じんせいかきいろの観た映画感想文「ブルームーン」(ネタばれあり〼)
本予告
はじめに
失敗した時だけ、人は傷つくのではありません。
自分がいなくても、誰かがうまくやれてしまう時にも、人は傷つく。
映画『ブルームーン』を観ながら、私はずっとその痛みのそばにいた気がしていました。
華やかな場所にいるのに、少しずつ自分の居場所だけが薄くなっていく。拍手の音が聞こえているのに、その拍手が自分へ向けられたものではないと分かってしまう。
この映画に流れていたのは、そんな静かな残酷さでした。
言葉で自分を支えようとする男

この映画は、分かりやすい物語ではありませんでした。
大きな事件が起こるわけでも、分かりやすい成功や破滅が描かれるわけでもありません。観客を泣かせるための山場が、親切に用意されている映画でもありません。
ほとんどの時間、ロレンツ・ハートという男が喋っています。
冗談を言い、皮肉を言い、相手を試すように言葉を投げ、時には自分自身すらも言葉でごまかそうとする。けれど、その言葉の多さとは裏腹に、彼の孤独はどんどん濃くなっていきます。
この映画で本当に起きているのは、事件ではありません。
ロレンツ・ハートという才能ある作詞家が、自分がもう時代の中心ではなくなってしまったことを、一夜かけて思い知らされていく。その心の崩れ方を見届ける映画なのだと思います。
舞台は、ブロードウェイの新作ミュージカル『オクラホマ!』初日の夜。
かつてハートとコンビを組んでいたリチャード・ロジャースは、新たな相棒オスカー・ハマースタイン2世と共に、大きな成功を収めようとしています。
この設定だけを聞くと、かつての相棒に置いていかれた男の嫉妬の物語に見えるかもしれません。
もちろん、それもあると思います。
けれど『ブルームーン』が厄介なのは、ハートを単なる「嫉妬する敗者」として描かないところです。
彼は魅力的です。頭がいい。会話の切れ味もある。言葉を扱う人間としての誇りもある。場を支配する力も、まだ残っている。
でも同時に、かなり面倒な人でもあります。
自己憐憫があり、皮肉がきつく、相手の優しさにすら傷つき、酒に逃げ、言葉で自分を守ろうとする。観客が完全に同情しようとすると、彼自身の厄介さがそれを邪魔します。
逆に、突き放そうとすると、ふとした表情や沈黙で、この人は本当に追い詰められているのだと分かってしまう。
だから、この映画は感情の置き場が難しいのです。
「かわいそう」とだけ言うには、ハートは鋭すぎる。
「面倒な人」とだけ言うには、ハートは傷つきすぎている。
主演のイーサン・ホークの演技も、その難しさをそのまま背負っていたように感じました。言葉はよく回るのに、表情の奥にはずっと疲れがある。陽気に振る舞っているはずなのに、どこかで自分が場違いになっていることを知っている人の顔をしている。
特に印象に残ったのは、彼が周囲に言葉を投げ続けている場面です。
その言葉は、誰かと心からつながるためというより、自分が崩れてしまわないために積み上げている壁のように見えました。作詞家である彼にとって、言葉は武器であり、才能であり、誇りだったはずです。
けれどこの映画では、その言葉が彼自身を救いきれない。
そこが、とても苦かったです。
相棒がいなくても、世界は前へ進んでいく

私が観ながら強く感じたのは、この映画が「才能の終わり」を描いているのではなく、「自分の才能が、もう誰かの未来に必要とされていないかもしれない」という恐怖を描いているということでした。
ロジャースの成功は、ハートにとって本来なら祝福すべきものです。
かつての相棒が、新しい時代を切り開こうとしている。それは素晴らしいことのはずです。
けれど、その成功は同時に、ハート抜きでも世界は進んでいくという事実を突きつけます。
この残酷さが、胸に残りました。
そして、その痛みは仕事だけに限られていません。
エリザベスが照らした、もうひとつの喪失

この映画で重要なのが、エリザベス・ワイランドという若い女性の存在です。
彼女は、ハートがバーで偶然出会うだけの人物ではありません。作中では、イェール大学で美術を学び、舞台美術や衣装デザインの世界を志す若い女性として描かれています。ハートとは以前から手紙のやり取りをしており、彼にとってはその夜、どうしても会いたかった相手でもあります。
彼女にとってハートは、自分の話を聞いてくれる年上の芸術家であり、才能を認めてくれる理解者であり、ある種のメンターのような存在だったのだと思います。
彼女はハートを軽んじているわけではない。むしろ、彼に親しみを持ち、敬意も抱いているように見えます。
けれど、その感情はハートが求めているものとは違う。
そのすれ違いが、静かに彼を傷つけていきます。
ハートの側では、その関係が別の意味を持ってしまっている。彼女が自分を尊敬してくれること。自分の言葉に耳を傾けてくれること。自分を必要としてくれるように見えること。
その一つひとつを、彼は「まだ自分にも未来がある」という証拠のように受け取ってしまう。
だから、エリザベスとの距離が埋まらないことは、単なる恋愛の失敗ではありませんでした。
彼女がハートを傷つけようとしているわけではありません。むしろ、彼女の無邪気さや率直さは、若い人間が自然に未来の側へ立っていることを示しているように見えました。
だからこそ、ハートには痛い。
彼女は彼を拒絶するために存在しているのではなく、彼がもう越えられない距離を、ただそこに立って示してしまう。
ハートが本当に苦しんでいたのは、彼女に愛されないことだけではなかったのかもしれません。
彼女のいる側へ、もう自分は戻れない。
その事実だったのではないでしょうか。
青い月が照らしていたもの
タイトルの『ブルームーン』も、観終わった後にじわじわと響いてきます。
ブルームーンは「めったにないもの」という意味を持つ言葉であり、ロジャース&ハートの代表曲のひとつでもあります。
けれどこの映画の月は、奇跡の象徴というより、もう二度と戻らないものを照らす光のように見えました。
美しいのに冷たく、ロマンチックなのにどこか残酷な、そういう月でした。
青い月が照らしていたのは、成功の夜ではなく、ひとりの男が自分の居場所を失っていく夜だったのかもしれません。
『ブルームーン』は、ハートが何かを成し遂げる映画ではありません。
むしろ、成し遂げてきたはずの人間が、それでも満たされないまま、時代の端に追いやられていく映画です。
華やかなブロードウェイの裏側にある、とても静かな孤独。
拍手や成功のすぐ隣にある、誰にも見えにくい敗北。
その音を聞く映画だったように思います。
分かりきれなさを抱えたまま

観終わった直後は、正直、簡単には言葉にできませんでした。
この映画が今つくられた理由も、少し分かる気がします。
才能があっても、実績があっても、世界は待ってくれない。昨日まで必要とされていたものが、今日には別の誰かで置き換えられてしまうかもしれない。その怖さは、1943年のブロードウェイだけのものではないと思うからです。
会話の多さに圧倒され、皮肉の苦さが残り、相棒への嫉妬と敬意が、うまく整理できないまま胸の中に残りました。
でも時間が経つほど、あの夜の空気を思い出します。
言葉で場をつなぎとめようとする男。
笑わせながら、少しずつ沈んでいく男。
自分がもう中心ではないと知ってしまった男。
それでもまだ、この映画のことを分かりきったとは思えていません。
『ブルームーン』は、分かりやすく感情を整理させてくれる映画ではありませんでした。
けれど今は、その整理できなさこそが、この映画の誠実さだったのだと思います。
人の孤独は、そんなにきれいに説明できるものではありません。
才能がある人の痛みも、成功した人の敗北も、恋と憧れと自己嫌悪が混ざった感情も、簡単には分類できません。
だからこの映画は、分かりやすく泣かせることを選ばなかったのかもしれません。
青い月の下で、ひとりの男が喋り続ける。
その言葉の奥にある沈黙を、観客はあとから思い出す。
『ブルームーン』は、そんな映画でした。
以下の方々におすすめです。
・派手な展開よりも、会話と表情でじわじわ染みてくる映画が好きな方
・人生の節目や、居場所を失っていく感覚を描いた作品に惹かれる方
・観終わったあとに、すぐ答えが出ない映画をゆっくり考えたい方
それではまた、次の映画で。

