すずめの戸締り【映画感想文】
ども。久々にネトフリ開いて積んでる作品数にびっくりしてる、あめんぼうずです。
タイトル通り『すずめの戸締り』の感想を纏めていきます。新海誠作品は『君の名は。』と『天気の子』だけ観てます。
見たことを後から思い出せるように、そして日記代わりに本日も雑に感想を羅列していきます。
ほぼ箇条書き、最後にまとめた感想文です。読むのは最後だけで大丈夫。でも、たとえ小さなリアクションでも、残すことに意味がある。
箇条書き
鑑賞直後までの所感
めっちゃ草描きこんでて笑っちゃう
廃墟たくさんあるなー
最初の扉の位置が、建物の設計意図的に謎。知らんけど。
境界線を越える描写、不思議との遭遇、非日常への移行経路がしっかり描かれている。作り手も私もジブリ好きなんだなぁって。
金の糸出現時、状況の絵面のせいでハリポタのヤドリギかと思った。
「(JKと出逢って即接近は)まずい!」めっちゃハウルやん。
いやトトロか、更に露骨に魔女宅。(ラストに駄洒落でアシタカ…)
若者だなぁって思うのは私がおじさんになったか。イケメンには、すずめの「ダイジンが扉開けてる」発言に否定してほしかったのに寧ろお前もそっち解釈に傾いちゃうのか…クールっぽいけどかなり情が強いの可愛いかもね。
「廃遊園地に電気通るワケwww」からの「常世って電気飛ばせるの?こわ…」
扉の閉め方が、少ない筋肉と体重を頼りにしている感じで説得力がない。見栄えは作りやすいんだろうけど。「心情的に必死だが現実的手段に乏しいという描写、だから報われないエンドかな」とか予想した。
イケメンはちゃんと必要な知識は持ってそうだから、その辺も含めてすずめが報われずイケメンが日常に戻るエンドとか好みです。絶対やらないと思うけど。
めっちゃ助けてくれる道中が羨ましいというか、私もそんな旅がしてみたい。
神戸で来店するダイジン。まさかソウタと性質が入れ替わりつつある?とか思ったりした。『君の名は。』よりも『千と千尋の神隠し』とかそういう感じで、現状のほうに魂とかが馴染んでいくイメージ。
ただの偽装らしいんだけど、その場合すずめ達にはなぜきゅうべぇ姿で見えたのか。外に出てこさせる意図か。神の力がどういうものか知らないけど、手の込んだことしてたのかな。
新海さん、お姉さん趣味連打から次は踏まれたいんですか。それとも座られたいんですか。
私は後者派。すずめがイケメンを常世まで追いかける理由が少なくない?(どんな作品でも)「好きだから」で私は納得できない、「大切な仕事をしている気がする!」ことの理由や動機をもっと深めて欲しい。
これはお爺ちゃんとの会話が該当するのか?
後述するけど「人から見えない」「大事な仕事」という発言で補完されたと見てもいいか。ここにあまり言葉や理論による武装をしたくないのかも。
一番印象的なセリフ「この辺って、こんなに綺麗な場所だったんだなぁ」「えっ。ここが…綺麗…?」。ドキッとした。綺麗っていう言葉はほんと、美化の権化。どんな人にも土地にも歴史の動きがある。
でも芹沢さんが景色に感じた好印象を、「綺麗」という言葉を使わずに表すのは骨が折れるか堅苦しくなるか面白みなく突き放すことになる。芹沢さんは目の前の緑や海を見て、すずめは失われたものを見てたんだ。
見返して、ここの土地は福島県だったんだと初めてわかった。初見だと「まだ結構目的地遠いし、ここどこなんやろ。すずめちゃん知ってる土地だったの?」ってなってた。福島だったとしても知ってるの凄いというか不自然かもな、とは思う。
芹沢さん可哀そう。彼の役回りが自分に通ずるから好きなんて言わないけど、嫌いにはなれないね。
黒塗りのページつらい
なんで常世入った扉が月に?
後から思った、セーラームーンか?だとしても急だな。
みみずが上昇する=開けてきた扉を目指すということがすぐに描かれるのに、その扉をしっかり移さないどころか月に隠したのはなぜか。白痴のロマかよ。
ぐぐったら、監督が裏設定をネタバラシしてた。月の満ち欠けが扉に見える、かぁ。それは考えついたことないわ。面白い。
常世はいる時に扉あけっぱで飛び込んだのは失策だったか?でもみみずの挙動目的がわかりやすくなって与しやすくもなってるかも。
すずめが常世を駆けるシーン、これは彼女自身のトラウマ情景の中を行ってる、凄く辛いシーンだよね…こっちも辛い。
なんでソウタ即時で戻って(ウ)ダイジンが力尽きてんねん
遠慮なくかけた呪いを自分で上書きしてエネルギー切れたんかなぁ。その場合、(ウ)ダイジンが言ってた「(要石に戻れって言われて)無理」って返してたのは、優先順位的にやるわけにいかない、力尽きてしまう、行動理由的に無理って意味だったのね。んですずめの意思を理解して本来の役目に戻ったと。すずめを気に入ってたからこそ、すずめにとって都合のいい展開にしてくれたってわけだ。
ソウタ人間の身体の使い方覚えてたか、良かった。いや真面目に。60kg前後の人抱えてあんな軽快に瓦礫よけられるかよ。夏服で良かった。
幼いすずめが見た人のながーいアウターがソウタの着てた物だって、なんで常世いくまで気付かなかったんだろう。すげぇや。
「大事なものは、もう全部貰ってたんだ」。はいここで適合者は『Grip it リトルミラクル』が流れます。わからない人はシンフォギアを見よう。3期後半だ。
ダイジン達は何がしたかったん?
もちろん見直して、いくらかはわかった。
全体的に物語展開がスムーズ、ランニングのように乱れなく好調子なテンポ。逆に言うとテンポのための物語、物語のためのキャラクター背景感がかなり強い。私からキャラへの理解に難がでた。
なんでみみずは光って爆発するのか。映像演出の都合以外の理由で。映画鑑賞者にだけ見えてると思ったら(悪い癖?)、東京で夜の虹オーロラが一般人に観測されてたので一気に疑問点になった。一瞬の雨にも何か由縁があるのだろうか。
(ウ)ダイジンの表情描写が悪意的すぎて、物語佳境で困惑が生まれる。「きゅうべぇ(やべぇ超常存在)だ」って思わせたいのはわかる。それが力技すぎて肝心の佳境シーンの困惑に繋がっている。ただ、考えてみればそれが神のきまぐれ恐ろしさの説明と思えばわからなくはない。神を親密に描いたり、ジブリと全く同じ描写をしたりするよりはマシか。若い子向けに作って出た弊害?
そもそもSNS発祥のニックネームで「ダイジン」って何。見えない見えない誰。それっぽいかーみたいなセリフで私は「外人っぽいからガイジン???」とか思ってた。それであとから真名で「サダイジン(から連想でウダイジン)」ってでてくるのはご都合感強すぎ。SNS発祥イコール作中人物たちの自然な名付け方ってことで、制作陣が付けた名前感は無いほうが絶対に良いと思う。
執筆中の今に調べて初めて思い出した、お大尽って言葉があったね。お金持ち…に見える…か?養われてはいそうな小奇麗さだが…
落ち着いてからの感想
主役二人がどっちも不安定で未完成で危なっかしいからこそ、ロードムービーに人情が出てくるんだな。私だったらソウタ助けるために計画練ろうとしちゃう、不備を出さないようにどうすればいいかって一人で完遂できるようにやろうとする。そうなると(ウ)ダイジンの心変わりというか計画変更を引き出せない。私みたく独力完全性みたいなものを高めてると人情に触れられなくなっちゃうんだなぁ。まぁそれを高める理由が他人に期待しないことに起因するから当然か。
オープンカーのルーフが壊れてたのって、雨降って地固まるためか。
どうでもいいけどルーフがちゃんと閉じたシーン、この映画見てて唯一めっちゃ笑った。
遊園地は偶然見つけたように思うけど、そこまで含めての神の導きなんだろうか。ダイジンによる誘導はそうなんだけど、神戸のママさんに見つけて貰えてよかった。
神道に関心が湧く作品は良い。日本に産まれ生きる意義を感じられる。
ダイジン達は巨大化すると色が反転するのは、対になっていることの説明だろう。さらに私は、(ウ)ダイジンが丸まって落ちていく姿で勾玉みたいだなって思った。
(ウ)ダイジンはすずめに感謝されて再び肉付きが良くなる。これはどういう道理なんだろう。サダイジンが大きくて強いので、信仰の強さ多さに依存していそうとはなるが、そうなると(ウ)ダイジンが感謝の言葉で感化されて一回転してキラッ☆っていうのは違和感。感謝の言葉が届くと同時に信仰者(すずめ)から近い所から勝手に力を得る…と私は描きたくなる。この神にも感情だとか受容だとかが意味を持つのだろうか。でも気まぐれな性質は国津神、土着神の方に見えるんだよね。人間と交流してると人間に似るとか?
序盤の「ウチの子にならない?」というすずめの言葉。これは猫ならほほえましいけど、神に向かってだと「私(達の家系)に仕えないか」みたいな勧誘になりえそう。んですずめが(彼氏できたことない)若い子だからか恐らく個人個体同士の所有関係を結ぼうとなり、1対1の所有関係(つまり婚姻関係)に邪魔になりそうなソウタさんが排除され、ついでに要石という役目を移す、というのが序盤。(ウ)ダイジンは煮干しの御恩&すずめと一緒になる時間のために奔走する。神には人が周囲の人々をどう思ってるかなんてわからない。神様なりに目的に向かって頑張っていたんだよね。そう考えるとこの作品で報われなかった悲しきトラブルメーカーが(ウ)ダイジンってことなんだね。
可愛い可哀そう。日本神話ではわからないけど、アース神族のロキみたいだ。サダイジンの行動を整理しよう。封印突破される→お爺ちゃんの様子を見る→すずめを見守る→環とみすずの口喧嘩に乱入→みみず封印にご協力願う→常世で八面六臂に活躍。この神様はみみず封印にまっすぐである。ではなぜ環さん(すずめの叔母)とのを仲引き裂きにいったのか(恐らくずっと傍にいたので故意)。これは簡単で、すずめを遠隔地に持っていきそうだから絶交させにいった(どうなれば人と人が引き裂かれるのかはわかるのか…こわ)。ではなぜすずめなのか。要石をぶち込んでくれれば誰でもいいのでは。まぁ一番説得コスト低そうだからか。
また、サダイジン初登場シーンで(ウ)ダイジンはサダイジンに威嚇して止める。すずめが辛そうだから?でも絶縁してくれたら(ウ)ダイジンはすずめ独り占めできそうなんだよね。考えてみよう。絶交した場合、すずめは芹沢さんを使ってソウタを助けにいく。(ウ)ダイジンはこの時点ではすずめの自己犠牲に至る覚悟を知らないのでただ付いていくだろう。でも嫌われっぱなしなので不安である。みみずを解き放つわけにもいかない。口喧嘩時点ではすずめとの良い未来を期待できない状態だ。せめてすずめの願いを何か叶えることでヨリを戻そうとかになるだろう。となると(ウ)ダイジンはすずめのご機嫌とりの為に動く理由がある。こう考えると、嫌われた後の(ウ)ダイジンがすずめに全面協力的なのも納得だ。嫌われたから機嫌を直してもらう、ある意味での夫または彼氏ムーブをかましたのだ。男も神も女心には敵わなかった。
「大事な仕事は、人からは見えない方がいいんだ」。大事な仕事にあたっている人が、どのくらいいるのかな。わたしはそれができているのかな。
すずめの家系の苗字は岩戸。日を遮るもの。…元ネタ提示してくれるのはありがたいんだけど、これ単体は不吉だったり障害を意味することになるよね。単に要石引っこ抜いた過ち程度の意味かね。
みみずのデザインは何なのか。作中でなぜみみずと呼ばれるかはラストの状態を見れば納得なんだけど、なぜあの映像表現になったのか。なぜ扉から出る時に上方に広がる樹木のような形で、なぜ金の糸が出てくるのか。ごめんだし違うとは思うけど男根に見える。だけどそれを避けてるようにも見えない、意図的に否定していないようにしてる気がする。
東京でみみずが現した風雲図のような形態が完全体、みみずの最終形態と仮定するならそれ以外のみみず噴出は不完全ゆえに不格好に倒れ込んでるのであろうか。天に蓋をするように動くのがみみずの挙動パターン。作中では頭が抑えられているから後ろ戸にひっかかって、諦めて落ちる。その場合でも金の糸はのびる。
金の糸はみみず本体に繋がり、枝には繋がっていない。王蟲みたいだと思うのは簡単だけど、それだと何の説明にもならない、本作品内での意味が無いように思う。神のお気持ちは無くてもいいが、作り手の込めた意味がとれなくてモヤモヤする。
トラウマを刺激されても走り続ける、これを可能にするのは恋ぐらいかもしれない。そういえば、なぜすずめはソウタのことを「好きな人」と呼べたのだろう。昨日、いや数時間前までは言えなかった認識をどうやって飲み込んだんだろう。
見返したら、環さんに自転車載せてもらったシーンで「恋愛とかじゃないけど好きな人」には認めていそうだった。じゃあ恋ではなく友愛信愛で走ったのだろうか。強い子だ。強くなれたんだ。
ソウタ救出シーンの心象風景の方、ソウタはケガした方の左腕を伸ばしている。ケガが二人の縁の象徴と言えるからか。
幼いすずめと話す物語的な結末シーン。過去の自分の絶望めく夜に、生き抜いた自分が明けの光になる、人間の理想情景。未来、運命を確信するすずめの力強さは到底真似できない。過去の自分だから、というのを越えた強さがあったと思う。人々の優しさが、人に進む力を与えたんだ。
文字通り神に祝福された道筋を辿った彼女の言葉を、僕らはどう理解するのだろう。
天が廻り、伝える側である”すずめの明日”ではないすずめから夜が明けていく。同一存在だからできる、ふつうとは逆向きの描写。夜明けは自分の内側から訪れるんだという力強さを感じ取れる。
ラストで常世の中で要石刺したけど、これ要石の設置個所どこになるんだろう。現世のどこに刺されてるのか、いや下手したら常世にしかなくて点検できないとかいう怖いことになりかねない。次回の閉じ師の仕事がだるいだるい。
最後に感想文・まとめ
お綺麗な作品だと思います。皮肉的にね。それは別に嫌いな訳ではない。ただ私らしくこの作品を説明するなら、幸運にも災害と死に対して主観と人情とノリで乗り切れたロードストーリー、という感じになります。
見やすい、わかりにくい、そして3.11の衝撃を知らない若者へ向けられた作品という印象です。作り手からメインターゲットへの目的意識が明確。わかりにくいことで疑問を持ちやすく、確認のために見直すということを促しているのかもしれませんね。ただ神話というものに興味を持たないと神様の振る舞いに疑問しか残らないのに、ダイジンが可愛い=強制的に好意を引き寄せていることが効果的に働くかは疑問ですね。ターゲット層はきゅうべぇも中々知らないだろうからインパクトは残せるかもしれない。SNSなどに中和されただろうけど。よく似た前例がある、それだけで人間は考える動機を幾らか失ってしまうような気がします。
過剰に感じるほどの物語展開の滑らかさは、それだけ若い人に見て欲しいということですね。観られないよりはずっと良い。そして私のような擦れた奴には苦い顔をされる。
宮崎駿を想起させる要素を多分に持ちながら神の視点者たる我々をも巻き込んで恣意的に困惑させにきていることは、あまり尊敬されるようなやり方ではないと感じます。でもこれもきっと新しい試みであり意義があります。好きとは言わないが、この作品を作ってくれて有難うございます。神が登場したからなのか、主観性というものを強く感じられる作品でした。”綺麗な景色”に対する問題提起だけでも大きい発見をさせてくれていることも忘れてはなりませんね。
新海誠監督は、すずめ達の恋心(?)をどう捉えるのでしょうか。私はもう雑な動機付けぐらいにしか思えない堅物なので諦めているのですが、第一線で活躍する作り手もそういうドライな1面はあるのではないか、恋をいたずらに綺麗に描くことはどういう心情なんだろうと思ってしまう性質なのです。引き抜かれる際のソウタの「君(すずめ)に出会えたから!」発言連打のせいでソウタの心が薄っぺらく感じられてしまう。あるはずの彼自身の人生の重みがこの1シーンで掻き消えている。芹沢さんだけでない様々な人と想い出を共有していて、描かれていない経験をしているはずなのに、すずめちゃんしか眼中にないのか。特別枠なのはわかるのだけど、そこに全体重を預けることは僕には理解も共感もしない、たとえ一瞬でも。それがソウタの変化なのか。人間だから、か。「いま一時だけでも生き永らえたい」とソウタが自嘲的ながらも懸命に願えた理由、大切な知られざる仕事に多くを賭す彼が命に執着する理由、それが私には気になる。凍える寒さ、臨死の最中だったというのは大きいだろうけど、わたしはそういう時に希望ではなく諦観を抱く人間でして。もしソウタの役目が私だったら、まだ椅子に座っていることでしょう。
そして論点としたいのは「光る未来がくる、そういう運命なの」という述懐シーンを、私達視聴者はどう受け止められるのか、ということについて。不幸にあった人間はきっと未来を愛せない。ましてや他人にそれを指図されたくはない。だからこれは震災にあった人達に向けられたメッセージではない、その場合は不適切というやつになってしまうと思う。でも夜明けはいつでも自ら湧くもの、ということは見逃したくない。すずめはすずめ自身が相手だからこそ運命を説けたのであって、彼女は本来理想主義でもなんでもないのだ。それでもそうしたのは、自分を救済するという人間の個体的な悲願を達成したいからだ。そういう考え方をする私が抱く、この作品のまとめを以下に記述して本記事を終わります。
大切な仕事を通して自分を救えたという最大ハッピーエンドを、日本文化文脈上で風景描画力で乗り切った、ラブコメ風ロードムービー風な自己救済の物語。周りに助けられ、奇跡と感情の果てに遂に成せたのは自らの救済であった。それが生きる人がすべき大切なこと。
