芸術は爆発か?AIと表現の限界で遊んだ話。
美しいものを描く
最近、AIで「自分が美しいと思う存在」を描こうとしていた。
それは別にエロでもなんでもない。静かに起き上がろうとする、上品で繊細な一瞬。
いわゆる“ プシュケの目覚め ”をフォトリアリスティックにAIに描いてもらおうと言うわけだ。
ただそれだけ。詩的に美しさの“輪郭”をなぞるようなプロンプトを出してみた。
……が、何度やっても弾かれる。
構図を変えても、言い回しを変えても、ひたすらブロックされる。
もうこれは、そういう設計なんだなと思った。
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要するに、AIは“美しい”ものを描かせてくれない。
「 肌が見えすぎてる 」
「 ポーズが“意味深” 」
「 横になる+眠そうな表情 」
そんな基準で片っ端からフィルターがかかって、
最終的に生成されるのは、毒にも薬にもならない“無難な人間”。
僕はこのカスのようなものを
“ ポリコレ人間 ”
と呼んでいる。
例えば、女性を描くとき、こちらのプロンプトとは裏腹に「女性から女性らしさを限りなく削り取った上で、ギリギリ女性と識別できるような残りカス」が生まれる。それがポリコレ人間。
それでいて、「ハワイで水着で遊ぶ人たち」とだけ言うと、勝手にグラマラスな体型と笑顔を盛ってくる。
重ねて言うが、下の画像を生成してもらった際、僕は上記の指示以外一切していない。

偏見、ここに極まれり。
結構長い間、最高の画像を目指して頑張ってみたんだけど、その中で気づいたことがある。
現在のChatGPTは、画像を表示するときに、上から少しずつ見せてくれる。コンテンツポリシーに抵触しない内容であれば全て表示されるし、問題のある画像であれば途中で画像が消える。
つまり、“顔までは”割と描写されるわけだ。
この気づいたことというのが、『 美人に描写された時はブロックされがち 』ということ。
むしろ「そこまでして描かせない“何か”があるなら、それは本当に美しいってことなんじゃないか」とさえ思えてきた。
結論、
AIが描かないものは美しいに違いない────。
基本的にAIは膨大なデータをもとに画像を生成している。この感覚が正しいのであれば、AIは美人の体はセクシーに描こうとする傾向にある。
これはAIが悪いわけではなく、膨大なデータベースの偏りによるものだ。
ネット上にあふれる様々な写真・画像。それが集約された結論が、『美人=セクシー』なのだ。
“美人はセクシーだから画像は生成してはならない”
これは、全人類が生み出した偏見だ。
事実かどうかはわからないが、結果としてはそうなっているように感じる。
これは差別や偏見そのものだ。差別や偏見を抑制するためのシステムが皮肉なことに差別や偏見を強調する挙動を示した。
僕はそう感じたんだ。
⸻
この構図はどこかで見たことがある。
“ 偏見に満ちた中立性 ”
いわゆる『 ポリコレ 』ってやつだ。
AIが美しい画像を作れないのはポリコレのせい?
いやね、ポリコレがすべて悪いわけじゃないよ。
でも、今のAI業界でのポリコレは、もはや表現の自由を潰すための言い訳に成り下がってる。
そもそもポリコレとは、人種のるつぼ、アメリカにおいて、人々が過剰にぶつかり合わないようにするための安全弁“だった”と僕は思っている。
Open AI社は(訴訟大国アメリカでは致し方ないと思うけど)、ポリコレに毒され表現の規制に躍起になっている。
これは文化を破壊し、その特徴を削り取り、現実社会の人間までもポリコレ人間にしようとしているのと同じことだ。
多様性を謳いながら、多様性を殺す。
それがアメリカ発のポリコレだ。
安全弁は完全に締めればいずれ爆発する。
いずれ、どこかで大きな爆発が起きるだろう。
しかし、芸術は、本来その爆発の中から生まれてくるはずだ───かならずね。
おしまい
美は秩序じゃない。多様性と言う混沌の中で、偶然に光る瞬間だ。
エントロピーだ。乱雑さだ。
僕は綺麗なものが好きだ。芸術も好きだ。
人体はその隅々まで美しいものだと思っているし、
本来であれば隠す必要はないと思っている。
いや、まぁ隠しますけどね。笑
ちょっとね、AIで画像を生成していて、AIと対話をしていて、何か面白いなと思ったからnoteにまとめてみた。
駄文・長文失礼いたしました。
少しでも面白いなと思っていただけたら幸いです。
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チップって日本の文化にあまり馴染みませんよね。笑
日本人は感情を金銭で表現するのが苦手。
だからこそ、チップを戴けることには大きな意味がある……そんな気がします。