舞い踊る波の際で
引っ越しの段ボールが十二箱になった頃、雄一は外に出た。
南海上の低気圧が近い。防波堤まで歩くと、いつもは水平線が見える場所が、空と海の区別もつかない灰色に塗り込められていた。霧雨が顔を濡らした。波は白く崩れ、岸に叩きつけるたびに鈍い音を立てた。

八年前、母が倒れたとき、雄一は広告代理店に十五年いた。疲れ果てていた、というより、もう何も信じる気力がなかった。介護のために帰郷すると会社に告げると、みんなが「大変だね」と言った。雄一は「親孝行できる機会だと思って」と答えた。
嘘ではなかった。半分は。
母の容態は三年目に落ち着き、五年目に静かに終わった。それでも雄一はここに残った。友人には「海のそばは精神的に違う」と言い続けた。実際そうだった。朝、窓の外に海があることの安心感は本物だった。だから嘘じゃない、と思い続けた。

海があるから、ここにいる。海があるから、戻れない。
そう言い続けることで、何から逃げてきたかを問わずに済んだ。
波が足元まで来て、引いた。
今度の移住先は長野だ。友人に農業を手伝わないかと言われ、即座に「行く」と答えた。そのとき気がついた。海がなくてもいい、と思う間もなく返事が出た。八年間、海を理由にしてきたのに。
荒れた海は茶色く濁り、きれいではなかった。晴れた日に「ここにいていい」と感じさせてくれた海と、同じ海だった。
海は何もしていなかった。ただそこにあっただけだった。逃げていることを、逃げていると呼ばないための言葉を、雄一が勝手に借りていただけだった。
波がまた来て、引いた。

霧雨の中、雄一はしばらくそこに立っていた。笑えるほどではなかったけれど、少し、おかしかった。

