認知症あるある~徘徊が始まる予兆ってあるの?
認知症の進み方は義母の場合ゆっくりだったわ。治療もしていたので、ゆっくりだったけど確実に進んでいることがわかって。。。
1えっ!自分の名前わからなくなっちゃったの?😭
ある日、私が自宅の電話をとると、義母の実家からの電話が。。。。
「R姉ちゃん(義母のことをこう呼ぶ親戚)が〇〇交番にいるらしいんだけど、迎えに行ってもらえないか?」
という連絡があったの。
急いで隣町の交番に車で駆け付けると、義母が疲れた仏頂面ででもどことなくしょんぼり交番の長机の前に座ってたわ。
交番のおまわりさんから言われたの。
「お母さんね、自分の名前がわからない、住所もわからなかったから、持っていたお財布にあった電話番号にかけさせてもらったら、田舎の方に連絡が入ったので、自宅に連絡してもらったんです」
「すみません。ありがとうございました」
とそのおまわりさんに言いながら、
「え!自分の名前も住所もわからないってどういうこと!」
と頭の中で衝撃を受けたわ。
でもお義母さんもしょんぼりしているから顔には出さないようにしてたけどね。
それが義母にとって初めての迷子だったの。義母がお財布に実家の連絡先を入れていなかったらどうなっていたのだろう、と思ったけれど、事なきを得て車で連れて帰ることができたわ。
認知症のご家族にはお財布や持ち物に連絡先を書いたメモを入れておくといいと思うわ。
ただそれから3~4年間、義母が老人ホームに入居するまで徘徊に付き合うことに。。。。
2歩くこと=脳の活性化✨それは確かなんだけど。。。
義母は毎日歩くことを日課にしていたわ。
「足を鍛えないとどこにも行けなくなるんだから。私毎日歩くからね」
と言って、とにかく雨の日でも買い物など理由を付けて歩きに行っていた。それはとっても大切なことなの。足を使うことで脳が活性化することは、子育ての時嫌って言うほど言われていたから。
でもね、年を取るというか、認知症が進むと、ただその決意を喜んでもいられなくなったのね。
義母の場合どうも帰り道がわからなくなるらしく、わからなくなると、親切な街の人なのか、民生委員さんなのか、誰かが警察に一緒に行ってくれるらしいという状態が増えていったの。
その結果警察から迷子連絡を受けて、迎えに行くということが続たわね。私一人で迎えに行ったことも、義姉さんと一緒に迎えに行ったことも、夫と迎えに行ったことも。
そしてある夜、夫と隣町の警察署に迎えに行ったとき、警察官の方からおしかりを受けました。
「お母さんが認知症なら、何か手を売ってください‼️何もせずに放置しているとまた同じことが起こりますよ‼️私たちも迷子の面倒を見ることだけが仕事じゃないので困ります👮」
夫と二人頭を下げるしかなかったわ。。。。
確かに、義母の自由にさせるのがいい、と思っていたけれど、自由にさせることで人に迷惑をかける(悲しいけど)状態になってしまう💦
何か打つ手があるのか、ということに対して「わからないから知りません」という状態になっていたことを反省したわ。
3反省したからこそできた!本人の自由をある程度守りつつの工夫👌
でもそうやってただ何もしないでいるのではなく、認知症の症状が人に迷惑をかける、ということを踏まえて、義母の好きなように過ごしてもらう方法を少しずつ工夫するようになりました。
まずは、いつもきまったコートを着ているので、コートの内側に名前や住所と連絡先を書く。こうすることで自分で名乗れなくても警察で所持品を見てもらえれば分かるように工夫。
そしてGPS発信機をいろいろ探して、小さくて靴に取り付けられる大きさのGPS発信機を購入し、義母がいつも履いている靴と同じ色の発信機のカバーを合わせて購入し、こっそり靴にGPS発信機を付たわ。
当時はピンク色の発信機カバーも売っていたので、そのカバーごと義母のピンク色っぽいスニーカーの靴紐のあたりに付けておいたら、義母もあまり気に留めず履いてくれたからよかったわね。
ちなみにこんな感じのものを買ったわ。
GPS発信機(180日使い放題)
でも今はGPS発信機よりもっといいものがあるから、当時これが合ったらこちらにしたわね。
小さくて軽くて電池長寿命(約1年)で良さそうね。
4運用は夫婦でそれぞれできることを担当✨
当時は今のような小型のGPS発信機が無かったし、充電は毎日必要だったので毎晩、夫がGPS発信機の充電をしてくれていたの。
そして私はその後を受け持ったわ。
GPS発信機の信号をアプリで受け取り、義母がどこをどうやって歩いているかを把握すること。
これはアプリで義母が歩いている場所を特定できるから、
「迷っているのか?」
「用があってそちらに向かっているのか?」
を見極めながら様子を見て、
「やっぱり迷っている」
と判断して車で迎えに行くことで、警察のお世話にならずに済むようになったわ。これはありがたかった。
だってわからなくて踏切に入ってしまったり、道を無理やりわたることで事故に巻き込まれる危険性をとにかく下げられた。
それにその危険性を下げることで、義母の不注意により事故が起こってしまうことを防げたことは本当に今でも感謝しているわ。
その他、義母が一人で外出しないように玄関の戸口の高い場所に内側からの鍵をかけて置き、簡単に義母が外せないようにしたの。帰って来られないなら出て行かない工夫をしないとと思ったのね。
でも、義母は家族のだれかが玄関から入ってそのダブルロックをしているところや、玄関から出るときにそのロックを外すところをじっと見ていて外し方を理解して、ある日外して出かけてしまったわ。
まあその時には、靴にはめたGPS発信機が居場所を教えてくれたので問題なかったけどね。
5だからといって徘徊がすぐに起こるわけじゃない💦
認知症はゆっくり進行していき、順を追うようにいろいろなことが起こってくるの。
私が結婚した2001年頃には義母は「お金が無い」と言っていたようなので、認知症を発症したころだと思うわ。
認知症の治療が始まったのが2007年頃、夫と私が子供達を連れてアメリカから帰ってまた一緒に義両親と住み始めたころだったの。
認知症を発症しても、できることはとにかく習慣にしておくとそのまま習慣としてやり続けるからできる期間が長くなるように感じる。多分本人が「やめる」というまでやり続けたほうがいいと思ってる。
例えば、買い物。
我が家の場合、私が車を出して週1で食料品の買い出しに行っているけど、義母にも声をかけて「一緒に行く」というので一緒に行っていたわ。子供が未就園児の時は、子供もつれて義母と一緒にお買い物というのは週1で習慣付いていったわ。
そして下の子が小学校に入学しても、私の食品の買い出しは続くので、買い物の時は義母に声をかけて、しばらく2人で買い物に行っていたわ。
そんなある日、義母から
「沢山買いすぎてしまうから、週1度の買い物は声をかけてもらわなくていい」
と言われたので、上の子たちが未就園児のころからずっと続いていた義母との買い物が終わりに。それが2019年ごろだった。
だから義母との食料品の買い物は8~9年続いていたわ。
それと一緒に食事をするという習慣も
義母が食事が作れなくなっても、私は義父も義母も呼んでいたの。義母が老人ホームに入居するまでは週1回の食事を共にする習慣も続けていたわ。
できるだけ普段通りの生活を守ることで安心を維持することは必要よね。
以下は必要な方に届いてほしいと思い有料にさせていただきます😊
6認知症患者本人にもやむに已まれぬ事情がある😐
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