五、見よおそろしい炎を③
まるで学生たちの文化祭のようにその日の法廷は最初から空気がどこか華やいでいた。
なんとか確保した傍聴席の券を握りしめて、私は見慣れた配置をぼんやりと見つめる。そうして見ると、なんだかおもちゃみたいで、学生の作った展示物の模擬法廷のようにも見えてくる。
おもちゃでないのは、そこに裁かれる人間がいるということ。そしてこの法廷の被告が、実際に人を四人も殺していること。
私と同じように第一回から欠かさずこの法廷を見守ってきた人がいる。最前列で白黒の遺影を抱いた黒い服の遺族たち。前回私の背中に斬りつけるような視線を送っていたのは二番目の被害者の父親だった。彼の耳には私の意見はどのように聞こえただろう。
被害者遺族の全員が同じ強さで、彼に極刑を望んでいるとは限らない。だが多数決をすれば確実に、彼は死刑に決まるだろう。
それはあの裁判員たちも同じことだ。
六名の裁判員は見た目では中年以上が多く、万堂よりはその親世代に近そうだ。男女比が今回は四対二で女性が多いのが吉と出るか凶と出るか。万堂は確かに女性受けしやすい外見をしていたし、ここまでの明瞭な話しぶりからも心証は悪くないはずなのだ。
少なくとも見た目からは、凶悪な殺人者には見えなかっただろう。
だが、事件は強姦殺人。女性の中にはその被疑者というだけでそうとうな嫌悪感を持つ者がいても、おかしいとは思わない。実際、被害者の写真はショックをやわらげるためにと白黒で提示されたが、それでも目を背けた女性が一人いた。私は何度も見た写真ではなく、裁判員の顔を見ていたので間違いはないはずだ。
生々しい表現は極力避けることになってはいるが、検察はギリギリのラインを攻めるような言葉遣いで裁判員に揺さぶりをかけていたし、万堂の飄々とした様子はかえって、反省の色がないと思われたかもしれない。
ここまで、万堂の主張は一貫していた。
私に言ったのと同じように、やっていない、証拠が充分でない、はっきりと言えるのはあの夜女性に声を掛けたのは万堂哲人(の身体)であることと自動車の中から偽装用のギプスその他が見つかったことのみ。DNAだとか、凶器が万堂の自宅から見つかったというような事実はないこと(致命傷を負わせた凶器は毎回被害者の身体に突き立てられてその場に残されている。そこから個人を特定できるような指紋は検出されていない)、万堂本人は何も覚えていないこと、一度も供述が取れていないことを訴え続けた。
前回の私の精神鑑定の内容と照らせば、合理的疑いはあっていいのではないかと思う。
合理的な疑い。疑わしきは罰せずが裁判の原則だ。
万堂哲人の犯行ではない可能性が、ある。
彼の中の別の人格。真犯人はその男ではないのか。
そしてその場合は刑法三十九条によって減刑されるのがふさわしい。
日本の裁判では現在、裁判員(及び数名の裁判官)の意見が割れた場合、多数決によって判定されることになっている。
単純に六名の裁判員について考えたとき、半数の三人が信じれば道が開ける。裁判官の考えがどうなるかは読めないが、可能性は充分にあると思えた。
特に評議で裁判員から解離性同一性障害への肯定的意見が出た場合、裁判官も専門職の意見を重視すると思われる。専門職。私のことだ。そのためにあれだけの枚数の鑑定書を書いたのだから。
純粋に精神科医としての意見を求められれば、正確には「疑いがある」という程度だ。
彼が殺人犯ではなく単に患者として診察をしていたら、解離性同一性障害「かもしれない」と診断しただろう。
実は私にも、どちらなのかよく分かっていない。充分に検証する時間もなかった。
けれども詐病にしては非合理的だとも思う。最初からそのつもりだったら、初対面の時から訴えているはず。少なくとも私が彼の立場だったら、そうする。
闇雲に僕はやってないと繰り返すのではなく、やったかもしれないが記憶がないとか、テッドに乗っとられたという主張をもっと早くから展開する。
あのタイミングで告白されたからこそより強く信じた。
万堂哲人は。哲人本人は、被害者なのだ。
そうでなければ説明がつかない。私の知る限り哲人は非常に明晰で、論理的。感情に流されるような人物ではない。
その点はきっと私よりもよく出来た人間だろう。
この人を、これだけの証拠で裁いてしまっていいのか。死刑になれば、取り返しはつかない。何が正義で、最善なのか。
満員の傍聴席に高まった期待がみてとれる。
法廷にふさわしくないひそひそしたざわめきが、そこかしこで立ち上っている。
とうとう公判も最終楽章へ。
今日は万堂哲人本人へ、尋問が行われる予定だ。
#創作大賞2025 #ホラー小説部門 #精神鑑定人のアリア
→NEXT
