三、復讐の炎は地獄のようにわが心に燃え⑥
「泣いてましたね、彼」
しんみりとした声で堀くんが言う。
「そうね……」
完全に見慣れた車窓に重なって、私はさっきから万堂のことが頭から離れないでいる。
この道を通るたび私は思い出さずにいられないんだろう。
太陽の熱を吸ったシートもその熱を追い出すようにガンガンに効かせた冷房も、どちらも不快だとすら気づかないでいた。
繰り返し繰り返し、万堂のことを考えていた。
彼が事件を起こしたのは、間違いないと私も思うのだ。
あの男は人を殺している。四人もの何の落ち度もなかった女の子を、次々に苦しめて殺害している。必要もない加虐までも執拗に。
彼はやってないと言い張るけれど、私の研究者としての直感がクロだと言っている。状況証拠も充分に、ある。
だってこれでシロなら、犯人はどこにいる? どうして万堂が捕まった途端、犯行が止んでしまった? やってないなら一回くらいちゃんとしたアリバイがあっていい。いくら友達がいないと言っても。
冤罪の可能性は限りなくゼロに近い。
こんな残虐なことをしておいて、とうてい許されることではないと私も思う。
被害者と遺族たちの気持ち。彼が捕まるまで何人のロングヘアの女の子が、夜道におびえなければならなかったか。これだけの凶悪犯を罰せないなら、司法は社会の味方でもなくなってしまう。
分かってる。分かっているのに。
けれど何故。何故彼はそんなことをしたのか。する必要があったのか、と考えてしまう。
最初この仕事を受けた時は見慣れたセックス殺人だと思ったけれど。今は正しく鑑定できる。これは、セックス殺人ではないのだ。
少なくとも私のプロとしての常識からは、大きく外れる。
「ねえ、堀くん」
チラリと視線だけこちらに寄越して、堀くんは低く先を促す。
「はい」
「彼、死刑になるのかしら。私の鑑定で」
堀くんは一瞬だけ頬に緊張を走らせて、しかし運転にも声にも乱れを見せずにすっと答えた。
「それはあなたの考えることじゃない。あなたは真剣に彼と向き合ったし、普通の鑑定人が行き届かないところまで分け入ったと思います。実際今日の面接はほとんどセラピーでした。あなたは分析者としてだけでなく、カウンセラーとして、立派に役目を果たしたと俺は思います」
つらつらと堀くんの賛辞が耳を抜け落ちてゆく。
流れる何の面白みもない街並み。隣の車線の車は平凡な紺の軽自動車。太陽の熱を吸ったアスファルトは平坦にならされてどこまでも続く。
「彼の刑罰は、彼のものだ。あなたのせいじゃない。俺はいつだって、あなたを尊敬しています」
赤信号で停車した時、そっと彼の左手が私の右手に触れた。
驚いて顔を上げた私に、堀くんは静かに首を振った。
「もう余計なことは、考えちゃいけない」
「そうね……」
堀くんはそれだけで手を離すと、何事もなかったかのように青信号を待って発進させた。堀くんの手は万堂よりも汗ばんで少し体温が高いと感じた。
振り払っても振り払っても、さっきまで対面していた男の顔が浮かんでくる。
彼は今頃、何を考えているのだろうか。
四人は殺しすぎた。
何をどうしたって、庇いきれない。
太陽がまぶしいからなんて言い訳して私はピクピクと痙攣している瞼をとじた。
万堂哲人の生き死にが、この手にかかってる。キーボードを叩くこの、指先に。
彼の精神に異常性は何ら、認められなかった。
本来喜ぶべきその診断が今はあまりにも悲しい。
私の鑑定書が後押しして、公判で彼には死刑が言い渡されるだろう。
その事実に今あらためて、おののいた。
※
最近は仕事が過密で、研究室に寄らずに直帰させてもらうことが多くなった。当たり前のように自宅マンション前へ送ってくれる堀くんには感謝してもしきれない。堀くんは一度研究室へ戻って資料を整理してから、郊外の自宅へ帰るのだろう。
灯の消えた部屋は静かに、昼間溜め込んだ熱をじりじりと抱いている。私は不快感に鼻を鳴らして部屋じゅうの窓を開けた。
一室。
母のいた部屋だけは、そのままにして。
まだ悪臭のこびりついてる気のするその部屋に、私は花なんか飾っている。
バタバタしているうちにすっかり忘れて、ベランダのプランターは全部枯らしてしまったほど植物には興味もないのに。
母のためでなく自分のためなので、仏花は避けて布団のなくなったベッドの上に花瓶を置いて。
仏壇も遺影も置かないことにした。それでも、この部屋には死人の気配が濃厚に漂っている。夜中にふと、恨みがましい視線を感じる気がして目を逸らす。私はオカルティストではなくて精神科医だから、その視線の正体が私の罪悪感だと分かっている。
いずれ引っ越そうと思っている。
この仕事が片付いて落ち着いたら、もっと通勤に便利な都市部に住もう。
もう部屋は一つで構わないのだから。どうせ帰って寝るだけの部屋、その方が合理的なのだ。
私は湿度の高いその部屋から離れて、自分の部屋でパソコンを立ち上げる。
シャワーを浴びる前にまず仕事の準備だなんて、我ながら余裕がないなと思うけれど。
こんな季節に一日じゅう歩きまわって、日中吹き出した汗とファンデーションが混じった塩粒がフェイスラインにこびりついて肌をちりちりと刺激している。
私はどうせ誰にも見られない下着を箪笥から引っ張り出しながら、ぶつぶつ唱える。
「幼少期……中学の時に祖母他界。愛着……情緒……確執……ううん確執というよりはもっと一方的……」
今夜あたり、骨子くらいは仕上げておかないと間に合わない。
どこまで肉迫できるだろうか。真実を、掴み取らなければ。
万堂哲人の精神鑑定書は、私が今まで書いてきたものの中でもトップクラスに文字と情報量の多いものになるだろうと予感していた。
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