一、ハバネラ(恋は野の鳥)④
「よく考えられてますよね」
「そうね。実際にこの通り実行できたとしたら相当に洗練されているわね」
「人の好意につけこんで、有無を言わさず後ろから殴りつけるとか」
残忍というより合理性が高い。
「でもなぜここまで詳細に手口が分かっているんですかね。自供なしにしちゃ、ちょっとディテールが充実しすぎてる気が」
ファイルから目を上げて堀くんが訊く。
「どうもそれ、前半は証言で取れたみたいね。一人、未遂で逃げた女性がいたでしょう」
「なるほど、いましたね。五人目の女性か……」
五人目の女性は東京女子連続強姦殺人事件をよく知っていた。何しろテレビで連日報道されていて、職場でも若い女性社員は十分気をつけるようにと注意もあった。チープだが紐を引くと大きな音の鳴る防犯ブザーまで希望者に配られたくらいなのだ。
松葉杖の男はかなりの好青年に見えた、と後に彼女は語っている。身なりも口調もしっかりしていて、一見まともな男性だったと。
「怪我をしていて不自由なものですから、荷物を運ぶのに苦労してしまって……」
申し訳なさそうにそう言われた時、手伝ってあげたいと本能的にそう思った。この時点で男の犯行手口はマスコミにも警察にも判明していなかった。だから彼女が警戒したのは、そこではなかった。
彼女は自分が被害者たちと同じ属性であることに気がついていたのだ。
「ああ、黒髪のロングヘア!」
ぽんと手を打って堀くんが口を挟む。
「それも毛先がゆるく巻かれたスタイル。ちょうど、こんな風な」
私は左手で自分の髪をひと巻き、つまみ上げてみせた。
「確かに被害者の写真、並べてみるとそっくりですよね。なんていうか、印象が」
私は仕事中は邪魔にならないようひっつめてしまったりもするが、彼女たちの髪型は判で押したように同じだった。犯人は意図的にロングヘアの女性を選んでいる、と分析官でなくてもすぐに気づいた。東京では危ないからと髪を切る若い女性もいたほどだ。
そのせいでこの事件、マスコミには「東京ロングヘア殺人」なんて呼ばれている。警察がつけた正式の名称より、本質を鋭くえぐっているのだから笑ってしまう。
ロングの女は独り歩きに気をつけろ。
五人目の彼女も、そろそろ髪型を変えた方がいいのかしらと考えていた矢先だったのだ。
荷物を運ぶのなら、どうしてこの人、女に声をかけたのかしら。
ひとつ芽生えた疑問がふたつ目の疑問を生じさせた。
この箱……量販店で買ったのかな? だとしたら、いつ、どこの店で? こんな時間に駅前で箱を持って歩いているその理由は何。ましてやこの人は、松葉杖をついている。量販店で買ったのなら、そのまま駐車場まで運ぶはずなのに。わざわざ駅前で荷を下ろす必要が、あるのだろうか。
ドミノ倒しのように疑問が次々と広がっていく。
彼女は直感的に後退った。
「ご、ごめんなさい! あたし、急いでいますんで、ごめんなさい!」
「あ、待って」
彼女は身を翻して走った。駅の反対側に小さな交番がある。とにかく誰かと一緒にいたかった。一人でいたら、あの男に追いかけられそうな気がした。追いかけてもしかしたら殺……
駆け込んだ駅前交番には巡査が二名待機していた。
「すぐそこで! 知らない男に声かけられたんです! 松葉杖! もしかしたらあれ、ロングヘア殺人の……」
「なんだって?」
半信半疑ながらすぐに連絡が行き、駅からほど近い場所で実施した検問に男の車が引っかかった。
車両後部からは五人目の女性が言った通り、パソコンのモニターの箱と松葉杖、ギプスに加えてロープ、大きなシャベル、真新しいバール、軍手などとともに盗品らしきナンバープレートが複数見つかった。どういうルートで入手したのか、いずれもまだ盗難届けの出されていないナンバーだったという。また、運転していた男には手も足も怪我をしている事実は認められなかった。
「ナンバープレート?」
「どうも複数のナンバープレートを使い分けていたみたいなのよね。駐車場で被害者を拉致した後にどこかでナンバープレートを付け替えて、現場で殺害及び死体遺棄して街へ戻ってくる時にはまた別のナンバーを、普段乗り回す時には本来のナンバーを、というように」
「Nシステム対策ってことですか」
「たぶんね」
自動車ナンバー自動読取装置、通称Nシステムは今や全国どこにでも設置されている。特に東京では高速道路以外にも至るところにあるのだから、これと駐車場の監視カメラを併用すれば不審車両はすぐに見つかるはずだった。
最初の女性が行方不明になった時点でおよその拉致場所から、駐車場の監視カメラで不鮮明ながら犯人と被害者らしき人物の映像までは警察も入手できていた。車両ナンバーがすぐに押さえられたかまでは分からないが、時間をかければいずれ判明するだろう。
東京で自動車を使った犯行を繰り返して、そう何度も逃げおおせるものではないと誰もが思っていた。だが犯人は複数の「生きた」ナンバーを使い分けていたのだ。
しかも万堂はナンバープレートの付け替えが比較的容易な軽自動車を愛用している。軽自動車のナンバープレートには普通の車両と違って、登録の封緘は必要ない。付け外しは素人にも充分可能だ。
「そりゃ限りなくクロですね」
「でも自白は取れなかったみたいなのよね」
「状況証拠のみってやつですか」
苦い顔で堀くんが奥歯をぎゅっと噛み締めた。
自白が取れなかった。
これは意外と大事なところなのだ。今は昭和以前のように暴行してまで自白を取ろうとした時代とは、確かに違う。だが警察だってその道のプロだ。
私の鑑定してきた犯罪者たちは全員が自白をしていた。強要されたんです、本当は無実なんです、などと訴える者もいなかったわけではないが、彼らも一度は自白をしているのだ。
素人が根性で乗り切れるほど、警察の取り調べは甘いものではない。
そうでなければ冤罪など生まれるものか。
ましてや、やっているのに意志の力だけで何日間も口を閉ざせるなんて人間業ではない。特にこのケース、そこそこの物証も出てはいるのだ。警察だって必死になって落とそうとしただろう。私も会ったことがあるが、警察には驚くほど「落とし」の巧い刑事がいる。
それでも万堂は、一度もやったと言わない。
「やってない可能性も、あると思うのよね」
「ここまで怪しくて、ですか?」
じゃあ真犯人は誰なんですか、と堀くんが鼻息を荒くする。「それに正式な資料にはなってないんだけど、どうも彼、ポリグラフ通ったみたいなのよね」
「え」
ポリグラフ。その五文字には堀くんも反応した。まん丸い目をぱちぱちと瞬いている。
巷では嘘発見機などと言われているその装置。法廷での有効性についてはまだ議論の残るところだが、自白を導く道具としてはかなり活躍している。資料を何度ひっくり返してもポリ検査の結果が載っていなかったのでしつこく問い合わせたら、オフレコでと念押しした上で、ポリグラフ検査をしたことが確認できた。結果については「無効でした」とのことだが、果たして。
「無効ってなんですかそれ。何も答えなかったってことですか?」
「私もそこまで詳しくないけど、実験上は何も答えない場合でも陽性反応取れたはずよ、確か。それにほんとに検査を失敗したなら、再検査すればいいだけのこと」
「……それって」
「シロだったんでしょうね。そうでなければ、警察だって鬼の首を取ったようにデータにして寄越すでしょうからね」
合理的に考えればそういうことになる。日本のポリグラフ技師の腕は確かだ。再検査もしなかったということは、ベテランの仕事だったと私は、思う。
「でもあれだけナメた態度の男ですよ。ポリグラフもぎゃーぎゃー騒いで有耶無耶にしたのかも」
「ポリグラフって嘘や動揺を検出する機械じゃないのよね。犯人の記憶を探る道具なのよあれは」
一般によく誤解されていることだが、あれは嘘をついた時に針が振れるというような仕組みではない。実際に検査で訊かれるのは「犯人しか知らない記憶」のことなのだ。
たとえば、凶器。「あなたは被害者をハンマーで殴りましたか」「あなたは被害者をレンガブロックで殴りましたか」「あなたは被害者をバールで殴りましたか」……ビンゴ。だから仮に容疑者が何も答えなくても、その「質問」に反応が出てしまう。
証拠を何も残さない犯罪などこの世に存在しないのだ。もし仮に物証をすべて奇麗に拭い切れたとして、最後に記憶だけは残るだろう。
DNAと同じくらいに私は、ポリグラフには期待している。今はまだ司法界で広く認められているとは言えないが、いずれは重要な証拠になる可能性は秘めている。
「でも機械を騙せる人間はいるかもしれませんね」
「そうね。科学検査である以上、誤りはつきもの。そして人の心は見えないから、誤っていることを証明はできない。ついでに言えば、正しかったことも、ね」
ポリグラフに限らず、それが難しいところだ。精神鑑定がいまだに職人技だの芸術などと揶揄されるのも、根本的には同じ問題から派生している。
堀くんが口をぐにゅっと変な形に曲げて黙り込んでしまった。この顔をしたら堀くんはそれ以上の思考はやめてしまう。
「ポリグラフの件はともかく、目撃証言は出てるわよ。五人目の彼女が証言して、万堂で間違いないって。ただこれも、あくまで彼女に声を掛けたのが万堂だというだけで、それと連続殺人犯が同一かどうかというのは疑問の余地があるわね。この声掛けに関しては、一応本人も認めてるわ」
記録によるとその認め方も一風変わっている。
「状況から見れば、僕と言わざるを得ないでしょうね」
そう万堂は答えたらしいのだ。
「なんだその言い方。頭おかしいんじゃねえのか!」
「だから私にお鉢が回ってきたんだってば。しらばっくれるにしても妙だから、警察も裁判所も手を焼いているみたい。何考えてるのかさっぱり分かんないって。それにいつも言ってるでしょう、先入観は真実を曇らせるのよ。若い頃、私の師匠が……」
「あーはいはい。アメリカの異常犯罪の権威の先生ね。FBIだかなんだかの」
うんざりしています、と眉毛と唇をおんなじ形にへし曲げて堀くんが肩をすくめる。私、そんなに何度も言ってるんだろうか。自覚はないのだが、あのアメリカ留学は私の人生でもっとも有意義な期間だったとは確かに常々思っている。
アカデミーでの勉強は私の青春そのも……、まあいい。万堂に意識を戻そう。
やっているのか、いないのか。
ふたつにひとつの単純な話だ。
ここで間違うことは許されないので、丁半賭博はいただけない。
「とにかく! 先入観は極力排していきましょう。お互いにね。私にもそういう傾向が出てきたら、遠慮なく指摘してほしいわ」
「承知つかまつりました」
このワードが出たら、私たちの言い合いはそこで終了だ。それ以上は引きずらないと、ルールで決めている。
平行線はどこまで伸ばしても交わらない。時間が無駄になるだけだ。
「なにはともあれ、彼は自白だけはしなかった。ここは重要なポイントとして押さえておきましょう」
とは言ったものの、あれから新しい被害者が出たという話は聞かない。万堂逮捕と同時に東京ロングヘア殺人の犯行がピタリと止まっているのは正しく事実だ。
それに……。
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