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コーヒー・紅茶・お菓子から、世界のつながりがわかる物語「カフェの世界史」を小学生でも分かるように説明します


カフェの世界史

著者 増永 菜生




はじめに

このnote記事は、無料部分の「小学生でもわかる解説」だけでも十分にご理解いただけます。

有料エリアには「音声考察(日本語版・英語版)」と本のエッセンスをより深く理解するための「大人向けの解説」を用意しております。

なお、この記事は無料・有料・音声考察のすべてにおいて、原著の引用は一切使用しておりません。すべて、私自身の言葉のみで構成したものです。



カフェと世界史のつながり:コーヒーやお菓子はどこから来たの?

私たちの身近にあるコーヒーやお茶、そして甘いお菓子に欠かせないお砂糖は、もともとヨーロッパの国々には存在しないものでした。

今から約500年前の15世紀半ば、スペインやポルトガルといった国々が、新しい富や食べ物を求めて大きな帆船で世界中の海へ飛び出していきました。

これを「大航海時代」と呼びます。

風や潮の流れを読み、命がけで荒波を越えた彼らは、アフリカ大陸の南端にある希望峰を回り、インドやアメリカ大陸へとたどり着きました。

この大航海時代によって、それまでヨーロッパの人が見たこともなかった砂糖やコーヒー、お茶、そしてトマトなどの新しい食材が世界中から運ばれてくるようになったのです。

中でも、カフェの主役であるコーヒーの歴史はとても神秘的です。

もともとエチオピアという国で飲まれていたコーヒーは、アラビア半島の南にあるイエメンに伝わりました。

15世紀のイスラム教の世界では、「スーフィー」と呼ばれる修行僧たちがいました。

彼らは神様に祈りを捧げるための夜通しの厳しい儀式で、絶対に眠くならないように、「カフワ」というコーヒーの飲み物を飲んでいたのです。

コーヒーに含まれるカフェインには、目を覚まし、頭をスッキリさせる効果があったからです。

最初は宗教の儀式のための不思議な薬のようなものでしたが、長期間の保存や持ち運びができたため、やがて一般の人々も嗜好品として楽しむようになりました。

そしてオスマントルコという巨大な国で「カフェハネ」というコーヒーハウスが作られ、そこからついにヨーロッパへとコーヒーの文化が伝わっていったのです。


ロンドンのコーヒーハウス:新しいビジネスやルールが生まれた場所。

ヨーロッパに伝わったコーヒーは、17世紀のイギリス、特に首都のロンドンの街で大流行しました。

1652年、アルメニア人(またはシチリア出身とも言われています)のパスカ・ロゼという人物が、ロンドンで初めての「コーヒーハウス」を開きました。

これが、現代のカフェの始まりだと言われています。

当時のイギリスは、王様と議会(政治家たち)が激しく対立し、ピューリタン革命や名誉革命といった争いが起きるなど、とても不安定で激動の時代でした。

そんな中、身分や職業に関係なく一般の市民たちが自由に集まることができる公の場所として、コーヒーハウスは爆発的な人気を集めました。

あっという間にお店が増え、1714年にはロンドンだけでなんと8000軒ものコーヒーハウスがあったと言われています。

それまで人々が集まる場所といえばお酒を飲む居酒屋でしたが、お酒を飲むと酔っ払ってしまい、真面目な話し合いはできません。

しかし、コーヒーを飲めばカフェインのおかげで頭がスッキリと冴え渡ります。

人々はコーヒーハウスに集まり、政治の不満や新しい学問、ビジネスについて熱く議論を交わしました。

そこには常に遠くからの新しい情報が集まるため、手紙を確実に受け取るための「郵便制度」が整えられたり、新聞が作られたりしました。

さらに、船の商人たちが集まって、船の荷物や天候について話し合う中で、「保険」という新しいビジネスまでがコーヒーハウスから生まれたのです。

コーヒーハウスは、ただお茶を飲む場所ではなく、新しい社会のルールやビジネスが次々と生み出される魔法の場所でした。

しかし、コーヒーハウスは男性だけが入れる場所だったため、何時間も家に帰ってこない夫に対して女性たちは不満を募らせました。

その後、イギリスではコーヒーだけでなく「紅茶」が流行し始めます。

上流階級の女性たちが中国の美しい磁器を使ってお茶を楽しむようになり、やがてコーヒーハウスは限られた人しか入れない閉鎖的なクラブへと姿を変えていきました。

紅茶の文化は現代でもイギリス社会に深く根付いており、ボリス・ジョンソン元首相が、家の前で待ち伏せするしつこい記者たちを追い払うために、あえてよれよれの部屋着姿で、スーパーで買ってきた安い砂糖とバラバラのマグカップで紅茶を振る舞ったという面白いエピソードもあるほどです。

どんなに偉いエリートでも、庶民と同じように紅茶を楽しむというアピールは、国民に強い親しみを感じさせました。


産業革命とカフェ:働く人たちを支えたお茶やチョコレート。

18世紀の後半になると、イギリスで「産業革命」という世界を変える大きな出来事が起きました。

飛び杼やジェニー紡績機といった機械が次々と発明され、蒸気機関の力で動く鉄道が走り、たくさんの巨大な工場が建てられました。

これにより、人々は農村から都市に移動し、工場で賃金をもらって働く「労働者」となりました。

工場での仕事は、時間を厳しく管理され、非常に過酷で厳しいものでした。

そんな疲れ切った労働者たちの体と心を癒やしたのは、たっぷりの砂糖とミルクを入れた温かい紅茶でした。

大航海時代の頃は薬のように珍しくて高価だったお茶や砂糖は、値段が下がり、一般の人々の毎日のエネルギー源になったのです。

ただし、その大量の砂糖が安く手に入るようになった裏には、イギリスがカリブ海のバルバドスやジャマイカといった植民地で、黒人奴隷を過酷な環境で働かせてサトウキビを作らせたという悲しい歴史も隠されています。

また、この時代にはチョコレートも大きく進化しました。

もともとカカオから作られるチョコレートは、ココアバターという脂肪分がたっぷり入っていて、ドロドロとしてとても苦い飲み物でした。

フランスの王様など一部のお金持ちしか飲めない高級品だったのです。

しかし、19世紀に入るとオランダのバンホーテンがカカオから脂肪分を取り除く技術を発明し、イギリスのジョセフ・フライがさらに工夫を重ねました。

これによって、砂糖とミルクが混ざりやすい甘くて滑らかな飲み物になり、さらにそれを冷やして固めることで、私たちが今食べている「固形のチョコレート」が誕生しました。

現代のイタリアでも、忙しく働く大人たちを支える不思議なお菓子があります。

「ポケットコーヒー」という商品をご存知でしょうか。

これは、チョコレートの殻の中に、本物のエスプレッソコーヒーの液体がそのまま入っているお菓子です。

カフェに行ってゆっくりコーヒーを飲む時間すらない工事現場のおじさんや会社員たちが、歩きながら一口でパクッと食べて、糖分とカフェインを一気に補給して元気を出すための画期的な発明なのです。

かじると中の液体がこぼれてしまうので、丸ごと口に入れて食べるのが正解です。

いつの時代も、甘いものとカフェインは働く人たちの強い味方なのですね。


フランス革命や万博とカフェ:国を動かし、都市を作った場所。

カフェは、時には国を動かす大きな革命の舞台にもなりました。

17世紀から18世紀のフランスでは、王様が絶対的な権力を持つ「絶対王政」という時代が続いていました。

ベルサイユ宮殿で豪華な暮らしをする王様や貴族たちに対し、重い税金に苦しむ市民たちの不満は限界に達していました。

そんな中、「人間は自分の頭で考えて真理にたどり着くことができる」という「啓蒙思想」という新しい考え方が広まりました。

パリにある「プロコープ」などのカフェには、ルソーやボルテールといった哲学者や芸術家が集まりました。

彼らはコーヒーを飲みながら、王様の政治を批判し、これからの自由で平等な社会について熱心に議論しました。

そして、カフェを拠点にして、政府の目を盗んで王様の悪口や新しい思想を書いたパンフレットや本を作り、市民たちに配ったのです。

これが世論を大きく動かし、ついに1789年、歴史を揺るがす「フランス革命」が勃発し、王様を倒すことになりました。

カフェは、人々の自由を求めるエネルギーが爆発する火薬庫だったのです。

また、ナポレオンの戦争が終わった後、ヨーロッパの平和を取り戻すための「ウィーン会議」という重要な会議がオーストリアで開かれました。

この会議を仕切っていたオーストリアのメッテルニヒという政治家が、世界各国の来賓をもてなすために、16歳の若き料理人フランツ・ザッハーに「私に恥をかかせないようなお菓子を作れ」と命じて作らせたのが、有名なチョコレートケーキ「ザッハトルテ」です。

上品な甘さのこのケーキは大変な評判を呼び、後にアルプス山脈を越えてイタリアにも「サケ」という名前で伝わり、今でも愛されています。

美味しいものは、高い山も国境も軽々と越えていくのですね。

さらに、1851年にイギリスのロンドンで世界で初めての「万国博覧会」が開かれました。

世界中から最新の技術や芸術が集まる大きなお祭りで、巨大なガラス張りの会場には600万人もの人が訪れました。

この時、「見学に来た人たちにお茶や温かい食事を出してほしい」という声にこたえて作られたのが、現在のヴィクトリア&アルバート博物館の中に作られた、世界初の「美術館・博物館併設カフェ」です。

ウィリアム・モリスといった有名な芸術家たちがデザインした「ギャンブルルーム」「ポインタールーム」「モリスルーム」という3つの美しい部屋で、色鮮やかなタイルやステンドグラスに囲まれながら食事を楽しむという、全く新しい文化が生まれました。


戦争の時代とコーヒー:非常事態に生まれた工夫と悲しい歴史。

20世紀に入ると、世界は「第一次世界大戦」と「第二次世界大戦」という、二つの巨大で悲惨な戦争を経験することになります。

これらの戦争は、軍人だけでなく一般の国民もすべてが武器の生産や食料の節約などに協力しなければならない「総力戦」でした。

戦争が始まると、海には軍艦や潜水艦がいて安全に船が動かせなくなり、ヨーロッパには遠い国からのコーヒー豆が届かなくなってしまいました。

しかし、厳しい戦場にいる兵士たちは、どうしても温かいコーヒーを飲みたがりました。

そこで大活躍したのが「インスタントコーヒー」です。

実は日本人の加藤サトリ博士などが以前から粉末コーヒーの特許を取っていましたが、戦争をきっかけに、お湯を注ぐだけでいつでもどこでも簡単に飲めるこのインスタントコーヒーがアメリカ軍の兵士たちに支給され、戦場で大流行しました。

その後、世界恐慌という大不況でブラジルのコーヒー豆が大量に余ってしまった時、スイスのネスレという会社がその豆を無駄にしないために長期保存できるインスタントコーヒーを開発し、世界中の家庭に広まりました。

また、男性たちが兵士として戦場に行ってしまったため、工場で働く人が足りなくなりました。

そこで、女性たちが代わりに社会に出て働くようになりました。

イタリアのミラノにある「ザイーニ」というチョコレート工場でも、戦争中は女性たちが一生懸命にチョコレートを作り、丁寧に包装をして工場を守り抜きました。

戦争は悲しい出来事ですが、そこから思いがけない形で伝わったお菓子の歴史もあります。

第一次世界大戦の時、中国の青島で日本の捕虜になったドイツ人のカール・ユーハイムという人がいました。

彼は兵士ではなく民間のお菓子屋さんだったのですが、日本に連れてこられ、なんと日本で初めて「バームクーヘン」を焼いたのです。

彼は戦争が終わった後も日本に残り、奥さんのエリーゼを呼び寄せて神戸でお店を開きました。

第二次世界大戦の終わりに GHQ によってドイツへ強制送還されるという悲しい出来事もありましたが、日本の職人たちが味を守り続け、後に奥さんが日本に戻ってきてお店を再興しました。

これが、今でも有名な洋菓子店ユーハイムの始まりです。

また、ロシア革命という国の混乱から逃れて日本にやってきたロシア人のモロゾフという人物は、美しい箱に入った宝石のような高級チョコレートを作り、日本に初めて「バレンタインデーに大切な人にチョコレートを贈る」という文化を広めました。

非常事態の中でも、職人たちの技術と美味しいお菓子は、人々の心を癒やし、現代まで残ったのです。


多様化するカフェ:イタリアのバールと世界に広がるスターバックス。

現代のカフェは、さらに多様に進化しています。

特に面白いのが、イタリアの「バール」という文化です。

イタリアの街角には至る所にバールがあり、人々は「エスプレッソ」という少量のとても濃いコーヒーを飲みます。

イタリアのバールの最大の特徴は、「立ち飲み」のカウンターがあることです。

イタリアでは、テーブルに座ってコーヒーを飲むと、サービス料がかかって値段が立ち飲みの3倍から4倍になることがあります。

だから、みんなカウンターに立ち、砂糖をたっぷり入れてジャリジャリとかき混ぜ、お店の人と少しおしゃべりをして、サッと飲み干してすぐにお店を出ます。

驚くべきことに、どんなにシャンデリアが飾られた高級なカフェでも、立ち飲みならエスプレッソ1杯が1ユーロから1.5ユーロ(約150円から250円)くらいで飲めるのです。

イタリアでは、どんな身分の人でも、お金持ちでも学生でも労働者でも、等しく美味しいコーヒーを楽しめる「全ての人に平等なコーヒー」という素晴らしい文化が守られています。

朝ごはんは、このコーヒーに「ブリオッシュ」や「コルネット」という甘いクリームやジャムがたっぷり入ったパンを合わせるのが定番で、朝から糖分をがっつり補給します。

一方で、お隣のフランスでは、ユネスコの無形文化遺産にも登録された「バゲット」という細長いパンにバターやジャムを塗って、ミルクたっぷりのカフェオレと一緒に食べる朝食が愛されています。

一方で、世界中で大成功しているのがアメリカ生まれの「スターバックス」です。

スターバックスの創業者は、イタリアのバールでエスプレッソに出会い、それにたっぷりのミルクを入れた「カフェラテ」を思いついたことから大企業へと成長しました。

しかし、コーヒーに強い誇りを持つイタリアの人たちは、「アメリカの薄いコーヒーなんて認めない」「フラペチーノの店だ」と、長い間スターバックスのお店ができることを拒んでいました。

2018年、スターバックスはついにイタリアのミラノに初めてのお店を出しました。

その時、スターバックスは普通の店舗ではなく、「リザーブ・ロースタリー」という非常に豪華で特別な焙煎工場のようなお店を作り、さらに地元の有名なパン屋さんと協力してイタリアのピザやパンを提供するなど、イタリアの食文化に最大限の敬意を払いました。

歴史ある昔の郵便局の建物を使ったこのお店や、ローマにできた公共の水飲み場を店内に設置したお店などは、コーヒーに厳しいイタリアの人々にも少しずつ受け入れられています。

さらに最近では、プラダやアルマーニ、ドルチェ&ガッバーナ、ルイ・ヴィトンといった、世界的に有名な高級ファッションブランドが、自分たちでカフェや美術館を運営しています。

彼らはただ洋服を売るだけでなく、地元の歴史あるチョコレート屋さんやパスタ屋さんと協力して、美しくて美味しい食べ物を作り、文化や芸術を大切に守り育てようとしているのです。


カフェから見える私たちの歴史と未来。

ここまで、カフェやコーヒー、お菓子がたどってきた歴史の旅を見てきました。

私たちが休みの日に何気なく飲んでいる一杯のコーヒーや、甘くて美味しいチョコレートケーキ。それらは、決して魔法のように突然現れたわけではありません。

そこには、大航海時代に未知の海へ命がけで渡った船乗りたちの冒険があり、絶対的な権力を持つ王様に立ち向かい、自分たちの自由を求めた市民たちの熱い議論がありました。

また、悲惨な戦争の中で少しでもホッとできる時間を作ろうとした兵士や職人の工夫があり、遠い異国の地で捕虜になりながらも、自分のお菓子作りを信じた人々の努力がありました。

そして、どんな人でも同じように一杯のコーヒーを楽しめるようにと、インフレや物価の高騰に負けずに値段を守り続けているイタリアのカフェの人たちの優しさと誇りがあります。

カフェは、ただ喉の渇きを潤したり、お腹を満たしたりするだけの場所ではありません。

そこは、何百年という時間をかけて世界中の人々の知恵と勇気、そして文化が混ざり合ってできた、歴史の交差点なのです。

この本の著者も、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんと一緒にカフェで過ごした大切な思い出を胸に、コーヒーの歴史をたどっています。

カフェは人々の人生の記憶が刻まれる場所でもあるのです。

今度、家族やお友達と一緒にカフェに行ったり、ケーキ屋さんに並ぶお菓子を見たりした時は、ぜひこの壮大な物語を思い出してみてください。

「このコーヒーはエチオピアからどんな旅をしてきたのかな」「このチョコレートには、戦争を生き抜いたどんな工夫が詰まっているのかな」と想像してみるだけで、いつも飲んでいる飲み物や食べ物が、もっともっと特別で美味しく感じられるはずです。

歴史を知ることは、年号を暗記することではなく、私たちの毎日の生活を豊かにし、世界とのつながりを感じる素晴らしい冒険なのです。

さあ、あなたも一杯のコーヒーから、無限に広がる世界史の扉を開いてみてください。

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