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テレビの時代が終わり、発信者の時代が来た「カウンターエリート」を小学生でも分かるように説明します(本・書籍)


カウンターエリート

著者 石田 健



今の世界で起きている不思議な変化とは

現在、世界中でとても不思議な現象が起きています。

皆さんもテレビやインターネットのニュースで、アメリカの新しい大統領になったドナルド・トランプという人の名前を聞いたことがあるでしょう。

また、宇宙ロケットを飛ばしたり、電気自動車を作ったりしている世界一の大金持ち、イーロン・マスクという人のことも知っているかもしれません。

彼らは今、世界を動かすとても大きな力を持っています。

しかし、彼らはこれまでの普通の政治家や偉い人たちとは全く違う考え方や行動をしています。

いま世界では、これまで長い間、社会を正しく導く立派な人たちと思われてきた人たちに対する不満が爆発しています。

そうした古い時代の立派な人たちのことを、この文章では古いエリートと呼んでいます。

古いエリートとは、国のルールを決める政府の人たち、有名な大学の先生たち、そしてテレビ局や新聞社でニュースを伝えている人たちのことです。

これまでは、彼らがこれが社会にとって重要なことですと言えば、みんながそれを信じてきました。

しかし、今多くの人たちは、テレビや新聞が言っていることは、自分たちの本当の生活とは関係がないと感じるようになりました。

偉い人たちは自分たちの仲間内だけで利益を分け合っていて、私たちの生活を少しも良くしてくれないと怒っているのです。

皆さんも、学校で先生や委員会の人たちが決めたルールに対して、なんだかおかしいなとか、私たちの本当の気持ちをわかっていないと思ったことはありませんか?

それと同じような不満が、大人たちの間で、しかも世界中の規模で大きく膨れ上がっているのです。

みんな、心の中では偉い人たちが言っていることは実は間違っているんじゃないかと薄々気がついています。

童話の裸の王様を知っていますか。王様は服を着ていないのに、大人たちは誰も王様は裸だと言えませんでした。

今の社会もそれに似ています。古いエリートたちが作り上げたルールはもうボロボロなのに、誰もそれをはっきりと指摘できなかったのです。

そこに登場したのが、トランプ大統領やイーロン・マスクのような人たちです。

彼らは王様は裸だ、今の社会のシステムは完全に壊れていると大声で叫びました。そして、古いエリートたちを厳しく攻撃し始めました。

普通の人たちは彼らの言葉を聞いて、よくぞ言ってくれたと大喜びし、熱烈に応援するようになりました。

このように、古いエリートたちに反抗し、新しい時代の力を持つようになった人たちのことをカウンターエリートと呼びます。

カウンターとは、反対するとか立ち向かうという意味です。

つまり、これまでの偉い人たちに立ち向かう新しいリーダーたちのことなのです。


古いエリートと新しいカウンターエリートの違い

では、この古いエリートとカウンターエリートの違いについて、もう少し詳しく見ていきましょう。

古いエリートたちは、良い大学を出て、政府や大きな会社、有名なメディアに入り、昔からあるルールをしっかりと守って出世してきた人たちです。

彼らは、多様性や地球環境を守るといった美しい理想を大切にします。多様性とは、男の人も女の人も、いろんな国から来た人も、みんな平等に仲良く暮らそうという考え方です。言葉としてはとても素晴らしいですよね?

しかし、カウンターエリートたちは、そうした古いエリートたちの美しい言葉を嘘っぱちだと批判します。

古いエリートたちは、きれいごとばかり言って、実際には自分たちの地位やお金を守ることしか考えていないと言うのです。

たとえば、アメリカでは長年、一生懸命働いてもお給料が上がらず、生活が苦しいままの人がたくさんいます。

それなのに、古いエリートたちは地球の環境が大事だとか世界中のみんなと仲良くしようという遠い世界の話ばかりしていて、目の前で苦しんでいる自分たちの国の普通の人たちを助けようとしません。

そこでカウンターエリートたちは、そんな綺麗事よりもまずは自分たちの国を強くして、みんなの生活を豊かにすることが先決だと主張します。

彼らは、古いエリートたちが大切にしてきた多様性や正しい言葉遣いといったルールを、あえてバカにしたり無視したりするような過激な発言をします。

そうすることで、私たちは古いエリートとは違う、お前たちの本当の味方だとアピールしているのです。

面白いのは、古いエリートを批判しているカウンターエリートたち自身も、実はものすごいお金持ちだったり、世界でトップクラスの大学を卒業していたりするエリートだということです。

トランプ大統領は不動産の大金持ちですし、彼の右腕となったジェイディ・ヴァンスという副大統領は名門エール大学を卒業しています。

彼らは、自分たちもエリートでありながら、今のままのエリートのやり方ではダメだと気づき、あえて古いシステムを壊そうとしている破壊主義者なのです。

彼らは、古い建物を一度全部壊して、全く新しい丈夫な建物を建て直そうとしている大工さんのようなものだと考えるとわかりやすいかもしれません。


どうして彼らは熱狂的な人気を集めているのか

カウンターエリートたちがどうしてこれほどまでに普通の人々から熱狂的な人気を集めているのか、その理由をさらに深く考えてみましょう。

一番の理由は、多くの人たちが今の社会は何か決定的に間違っていると肌で感じているからです。

たとえば、昔のアメリカでは、工場で真面目に働いていれば、家を買い、車を持ち、子供を大学に行かせることができました。

しかし、今はどうでしょう?世界中のモノやお金が自由に行き来するグローバリゼーションという仕組みが広がった結果、アメリカの工場の仕事は、お給料の安い他の国に奪われてしまいました。

その結果、アメリカの中間層と呼ばれる普通の人たちの生活はどんどん貧しくなりました。一方で、一部のIT企業や金融の会社で働くエリートたちだけが、とてつもないお金持ちになりました。

普通の人たちからすれば、ルールを守って真面目に生きている自分たちが苦しいのに、エリートたちだけがズルをしていい思いをしていると不満に思うのは当然のことです。

古いエリートたちは、こうした人々の苦しみに気づかないふりをしてきました。今は変化の時代だから仕方がないとか、大学に行って勉強し直せばいいと上から目線で説教するだけでした。

しかし、大学に行こうにも、今の大学の学費はとてつもなく高く、卒業する頃には一生かかっても返せないような多額の借金を背負うことになってしまいます。

大学に行けば幸せになれるというのは、実は古いエリートたちが作り上げた嘘の物語だったのです。

カウンターエリートたちは、こうした普通の人たちの怒りや悲しみをすくい上げました。トランプ大統領は、アメリカを再び偉大な国にしようというスローガンを掲げました。

これは、今のあなたたちが苦しいのはあなたたちのせいではなく、国をダメにした古いエリートたちのせいだというメッセージです。

私が彼らを追い出して、昔の豊かだったアメリカを取り戻してやるという強力な約束でした。

この言葉は、貧しさに苦しむ多くの人々の心に深く突き刺さり、彼らに希望を与えたのです。

カウンターエリートたちは、難しい政治の話をするのではなく、人々の感情に直接語りかける天才だと言えます。


カギを握る天才投資家ピーターティールの考え

カウンターエリートたちがどのような考えを持っているのかを深く知るために、絶対に外せない人物がいます。

それが、ピーター・ティールというアメリカの天才的な投資家です。彼は、インターネットでのお金のやり取りを便利にしたペイパルという会社を作り、あのフェイスブックにも一番最初に投資をしたすごい人です。

ティールの考え方で一番特徴的なのは、競争は負け犬がするものだという言葉です。

普通、学校でも社会でも、ライバルと競争して勝つことが素晴らしいと教えられますよね?

しかし、ティールは全く逆のことを言います。彼によれば、みんなが同じ目標に向かって競争するということは、他人の真似をしているだけだというのです。

たとえば、みんなが良い大学に入りたいとか有名な会社に入りたいと思って必死に勉強して競争します。

しかし、その競争に勝ったとしても、待っているのは同じような人たちとの終わりのない戦いだけで、本当に新しいことや価値のあることは何も生み出せないと彼は考えました。

ティールは、他人の真似をして競争するのではなく、誰もやっていない全く新しいことをゼロから作り出すことこそが最も重要だと言います。

彼らはこれをゼロ・トゥ・ワン、つまりゼロからイチを生み出すことと呼んでいます。

ティールから見ると、今の社会の古いエリートたちは、ただ他人の真似をして競争に勝ってきただけの人たちです。

彼らは、本当に社会を良くするための新しい発明、たとえば空飛ぶ車や、ガンを完全に治す薬などを生み出すことには興味がなく、ただ自分たちの今の地位を守ることしか考えていません。

だからこそティールは、古いシステムを壊してくれる破壊主義者として、トランプ大統領を強く応援しました。

ティールは、今の社会は完全に停滞してしまっているから、少しくらい乱暴でも、一度社会のルールをぶっ壊してくれる人が必要なんだと考えたのです。

彼のようなシリコンバレーの天才たちが、莫大なお金と知恵を使ってカウンターエリートたちを裏で操り、支えているという事実は、これからの世界を考える上でとても重要です。


政治を変える物語とインターネットの力

カウンターエリートたちが力を持つようになったもう一つの大きな理由が、インターネットとソーシャルメディアの力です。

皆さんも普段から、ユーチューブやティックトック、インスタグラムなどのアプリで動画を見ていると思います。

今や、テレビや新聞よりも、スマートフォンの中で見ている情報の方が、皆さんにとって身近でリアルなものになっていますよね。

古いエリートたちは、テレビや新聞を通じてこれが正しいニュースですと人々に伝えてきました。

しかし、今の人々は、そうした一方的なニュースを信用しなくなりました。代わりに人々が信じるようになったのは、ユーチューブなどで面白おかしく、そして過激に社会を批判するインフルエンサーたちの言葉です。

たとえば、アメリカの選挙では、何千万人もの人が見る大人気のポッドキャストというインターネットのラジオや動画番組に、トランプ大統領やイーロン・マスクが出演しました。

彼らは、堅苦しいスーツを着て難しい話をするのではなく、飲み物を飲んだり冗談を交えたりしながら、3時間もぶっ通しで自由な会話を繰り広げました。

これを見た視聴者は、この人たちは自分たちと同じような普通の感覚を持っていると感じ、テレビのニュースよりも彼らの話の方が本音で語っていて信用できると感じるのです。

また、ソーシャルメディアにはエコーチェンバーという仕組みがあります。これは、自分が好きな情報や、自分と同じ考えの動画ばかりが次々とおすすめとして表示される仕組みのことです。

これによって、今の社会は間違っているとか古いエリートたちは悪い奴らだという過激な情報ばかりを見るようになり、人々の中でその考えがどんどん強くなっていくのです。

カウンターエリートたちは、このソーシャルメディアの仕組みを誰よりも上手く使いこなしています。

彼らは、人々の怒りや不安を煽るような刺激的な物語を作り出し、それをインターネットの力で世界中に拡散させました。

今や政治は、政策の正しさではなく、いかに面白いキャラクターを演じ、人々を惹きつける物語を語れるかという戦いに変わってしまったのです。


世界中そして日本にも広がるこの波

このカウンターエリートの波は、決してアメリカという遠い国の出来事ではありません。世界中、そして私たちが住むこの日本にも、同じような波が押し寄せています。

たとえば、ヨーロッパのドイツやフランスといった国々でも、古い政治家や官僚を激しく批判する新しい政党がものすごい勢いで人気を集めています。

ヨーロッパの人たちも、自分たちの意見を聞かずに勝手にルールを決めるエリートたちに対して、我慢の限界を迎えているのです。

また、お隣の韓国でも、ユーチューブで広まった過激な情報や陰謀論を信じた大統領が、突然軍隊を動かすという信じられないような事件まで起きました。

そして日本でも、これまでの政治のやり方に反発し、インターネットの力を使って大きな支持を集める人たちが次々と登場しています。

たとえば、東京の知事を選ぶ選挙で大旋風を巻き起こした石丸伸二という人や、兵庫県の知事選挙で一度は議会から辞めさせられそうになりながらも、インターネットの応援の力で劇的な大逆転勝利を収めた斎藤元彦という人たちがいます。

彼らもまた、テレビや新聞、そして古い政治家たちを、自分たちの利益しか考えない既得権益だと厳しく批判しました。

そして、ユーチューブや短尺動画を巧みに使いこなし、若い人たちを中心に熱烈な支持を集めたのです。

日本の若者たちも、アメリカの人々と同じように、今のままの古い社会のシステムでは自分たちの未来は良くならないと強く感じており、その不満を打ち破ってくれる新しいヒーローを求めていると言えます。

このように、カウンターエリートの台頭は、国境を越えて世界中で同時に起きている現象です。

それは、私たちがこれまで当たり前だと思っていた民主主義や資本主義という社会のルールそのものが、大きな曲がり角に差し掛かっていることを意味しています。


これからの社会はどうなるか私たちにできること

最後に、カウンターエリートたちが力を持つこれからの社会がどうなっていくのか、そして私たちがどう生きていくべきかについて考えましょう。

カウンターエリートが社会を変えることには、良い面もあれば、とても危険な面もあります。まず危険な面として、彼らが社会を良くするためだと言って、ルールを無視して暴走してしまう恐れがあります。

彼らの中には、話し合いなんて面倒くさい、会社の社長のようにリーダーがすべてを独裁的に決めるべきだと考える人もいます。

もしそうなれば、みんなの意見を聞いて物事を決めるという民主主義のルールが壊され、誰か一人のわがままで国が動かされる権威主義という怖い社会になってしまうかもしれません。

また、彼らを支持する人たちの中には、他の国の人や違う考えを持つ人を差別したり、嘘の情報を広めたりする悪い人たちも混ざっているため、社会の中で激しい争いや対立が起きてしまう危険性もあります。

一方で、良い面もあります。それは、彼らが社会の停滞を打ち破ってくれるかもしれないという期待です。

古いエリートたちは、失敗を恐れて新しいことに挑戦せず、ルールを守ることばかりに必死になっていました。

しかし、カウンターエリートたちは、人工知能や宇宙開発といった最先端のテクノロジーの力を信じ、もっと経済を成長させて人類が抱える病気や貧困といった大きな問題を解決しようという強くて前向きなビジョンを持っています。

彼らのこのテクノロジーによって未来はもっと良くなるという強い気持ちは、今の元気のない社会に活力を与える起爆剤になるかもしれません。

私たちに今求められているのは、彼らの言葉をただ鵜呑みにして熱狂することでも、逆にただ怖がって耳を塞ぐことでもありません。

大切なのは、自分の頭でしっかりと考え、何が本当に正しいのか、社会にとって本当に重要なことは何かを見極める力を持つことです。

ユーチューブやティックトックで流れてくる面白くて刺激的な情報や、過激な言葉にすぐに飛びつくのではなく、この人はどうしてこんなことを言っているのかなとか、裏に何か別の目的があるんじゃないかなと、一度立ち止まって考える習慣をつけてください。

これからの世界は、皆さんのような若い世代が作っていくことになります。

古いルールにとらわれず、かといって乱暴な破壊に頼ることもなく、テクノロジーの正しい力を使いながら、みんなが豊かで幸せに暮らせる新しい社会の形を、ぜひ皆さんの手で見つけていってください。

それが、激動の時代を生き抜くための最も大切な鍵となるはずです。


★付録その1★音声考察★



★付録その2★大人向け論文★


カウンターエリートの台頭と現代社会の変化
――既存のエリート不信、ソーシャルメディア、そして新しい政治と文化――

はじめに

近年、世界の多くの国で、政府、官僚、マスコミ、大学、専門家など、これまで社会を動かしてきた人びとや組織への不信感が強まっています。こうした不信感は、単なる一時的な不満ではありません。多くの人が、社会で本当に大切な問題が正面から議論されていないと感じています。生活は苦しくなっているのに賃金は伸びず、将来への安心も弱まり、教育や年金などの制度にも希望を持ちにくくなっています。それにもかかわらず、政治やメディアが取り上げる話題は、自分たちの実感とは離れているように見えるのです。

このような状況の中で目立つようになったのが、既存のエリートを強く批判し、別の物語や価値観を示そうとする人びとです。本書では、こうした人びとをカウンターエリートと呼んでいます。彼らは単なる反対者でも、ただの炎上型インフルエンサーでもありません。社会の中心にいた人びとが見ようとしない問題を取り上げ、多くの支持を集め、新しい政治的・文化的な力になりつつあります。

本稿では、本書の内容をもとに、カウンターエリートとは何か、なぜ登場したのか、どのように広がっているのか、そして社会に何をもたらすのかを整理して述べます。あわせて、その危うさと可能性の両面を考え、これからの社会に必要な視点を明らかにします。

第一章 カウンターエリートとは何か

カウンターエリートという言葉を聞くと、多くの人は、反エリートを掲げる大衆的な人物を思い浮かべるかもしれません。しかし本書では、その理解は不十分だとしています。カウンターエリートは、単にエリートではない人でも、貧しい人の代弁者でもありません。むしろ、学歴、地位、富を持つ人もその中に含まれます。たとえば、有力な投資家や実業家、影響力の大きい言論人なども、既存秩序を批判し、新しい方向を示すなら、カウンターエリートになりえます。

本書が示す定義を整理すると、第一に、カウンターエリートは学歴や財産の有無だけでは決まりません。第二に、彼らは現行のシステムに強い問題意識を持っています。特に、政府、官僚機構、メディア、大学、専門家集団などを、既得権を守る集団として批判します。第三に、彼らは保守と近い場合もありますが、必ずしも単純に保守やリベラルという枠に収まりません。つまり、カウンターエリートとは、既存の支配的な価値観や制度に対し、別の優先順位や物語を持ち込む新しいエリートだと言えます。

ここで重要なのは、彼らが単なる不満の代弁者ではなく、社会の中心にいた文化的エリートや政治的エリートに代わる存在として登場していることです。すでに彼らは周辺の存在ではなく、主流の政治やメディアを揺るがす力になっています。

第二章 なぜ既存のエリートへの不信が強まったのか

カウンターエリートの台頭を理解するには、まず既存のエリートへの不信がなぜ広がったのかを考える必要があります。本書では、多くの人が、今の社会で本当に重要な問題が長く無視されてきたと感じている点を重視しています。

その代表が、生活の苦しさと将来不安です。賃金がなかなか上がらず、教育費の負担は重く、少子高齢化の中で年金や社会保障への不安も大きいです。にもかかわらず、政治やメディアは人びとの実感から離れた議論を繰り返しているように見えます。国会や政策の話は大切だと説明されても、それが本当に暮らしをよくするとは感じられないのです。

この状態を本書は、誰もが問題に気づいているのに、正面から指摘できない共同幻想として描いています。つまり、王様が裸だと多くの人がうすうす分かっているのに、誰もそれを言い出せない状態です。既存のエリートは、本来なら何が重要かを示し、社会を導く役割を持っていたはずです。しかし、その役割を十分に果たせなくなり、古いルールや形式を守ることに終始しているように見えるのです。

特に本書が強く問題にするのは、文化的エリートの弱まりです。かつてテレビや新聞は、社会の最先端の議論や文化を生み出す中心でした。しかし今では、多くの人が日々の情報をYouTube、X、Instagram、TikTok、ポッドキャストなどから得ています。人びとが現実として強く感じる物語は、テレビの中ではなく、ネット空間にあることが増えました。この変化に既存メディアが十分対応できていないことが、さらに不信を深めています。

第三章 ソーシャルメディアが変えた政治と文化

カウンターエリートの広がりには、ソーシャルメディアの存在が決定的に関わっています。本書では、テレビや新聞などの旧来のメディアだけではなく、YouTubeやポッドキャストのような新しい発信の場が、政治や文化の主戦場になったと述べています。

従来、政治家や専門家の影響力は、新聞、テレビ、大手出版社などを通じて広まりました。しかし、今では個人が直接、多くの人に語りかけることができます。この変化は、単に情報の流れ方が変わっただけではありません。何が注目され、誰が信頼され、どのような話し方が受け入れられるかまで変えました。

ソーシャルメディアでは、はっきりした言い方、対立を恐れない発言、既存の権威を疑う姿勢が拡散しやすいです。そのため、旧来のルールに従うより、率直で強い言葉を使う人物のほうが人びとの目を引きます。本書は、こうした環境の中で、カウンターエリートが新しい文化的エリートとして力を持つようになったと見ています。

もちろん、ここには大きな問題もあります。差別的な主張、陰謀論、科学を軽視する考えも、同じように広まりやすいからです。そのため主流メディアや既存エリートは、カウンターエリート全体を危険な存在として見がちです。しかし本書は、それだけで片づけてはいけないと主張します。極端な人物が含まれているのは事実でも、その背後には、社会の大きな変化と深い不満があるからです。

第四章 2024年前後の選挙とカウンターエリート

本書では、2024年を世界的な選挙イヤーとして重視しています。アメリカ大統領選挙、日本の選挙、欧州の政治変動など、各地で既存の秩序に対する揺れが起きました。これは単なる偶然ではなく、カウンターエリートの台頭が現実の政治に影響を与え始めた例だと考えられています。

アメリカでは、従来のテレビ討論会だけでなく、ポッドキャストやYouTubeが選挙に大きな影響を持ちました。候補者が人気番組に出演し、膨大な再生回数を得ることで、既存メディアを通さずに有権者へ直接訴える流れが強まりました。これは、政治コミュニケーションの中心が大きく変わりつつあることを示しています。

日本でも似た動きが見られました。東京都知事選や兵庫県知事選では、ネット上での発信や短い動画の拡散が強い影響を持ちました。これまで主流メディアでは大きく扱われなかった人物が、ネット空間で支持を広げ、現実の投票行動に結びついたのです。そこでは、既得権を壊す人物、古い政治やメディアに挑む人物という物語が強く支持されました。

特に本書が注目するのは、マスコミ批判と既得権批判が結びついている点です。既存のメディアは、人びとが知りたいことを十分に伝えていない、横並びで本質に踏み込まない、結果として真実を隠しているように見える、と受け止められています。こうした不信が、選挙の場で既存秩序への反発として表れたのです。

第五章 カウンターエリートが見ている「本当に重要なこと」

本書の中心にあるのは、本当に重要なことが無視されてきたという感覚です。では、その重要なこととは何でしょうか。本書は、経済成長、テクノロジー、AI、暗号資産、バイオテクノロジーなどを挙げています。

たとえば、AIがどれほど社会を変えるか、ビットコインのような技術が金融のあり方をどう変えるか、医療技術が病気との向き合い方をどう変えるかといった問題は、本来なら大きな公共的議論の中心になってよいはずです。しかし現実には、それらは危険なもの、怪しいもの、遠い未来の話として片づけられがちです。本書は、こうした新しい可能性を真剣に考える人びとの声が過小評価されていると見ています。

ここで重要なのは、本書が単純な技術礼賛をしているわけではないことです。むしろ、テクノロジーが社会を大きく変える時代だからこそ、その可能性と危うさの両方を正面から論じるべきだと考えています。既存のエリートがその議論を十分に引き受けず、古い価値観の中にとどまっていることが、カウンターエリートの影響力を強めているのです。

第六章 ピーター・ティールと思想的背景

本書では、カウンターエリートを考えるうえで、ピーター・ティールの存在が大きく取り上げられています。彼は投資家であり、テクノロジー業界に強い影響を持つ人物ですが、単なる成功者としてではなく、既存秩序への深い不信を持つ思想的存在として描かれています。

ティールの特徴は、現行の政治や制度に対して強い限界意識を持ち、国家や既存の民主主義だけに未来を託していないことです。インターネット空間、新しい通貨、国家から距離を取るような構想など、従来とは異なる場に可能性を求めています。これは、今の政治が本当に重要なことを解決できないという判断に基づいています。

また本書は、インテレクチュアル・ダーク・ウェブのような新しい言論空間にも注目しています。これは、主流メディアや大学では扱いにくい議論を、別の場所で展開する人びとの集まりです。ここでは、物議をかもす意見や、率直で対立的な対話が強く求められます。人びとがこうした言論に引き寄せられるのは、単に刺激が強いからではなく、本音の議論が失われていると感じているからだと考えられます。

第七章 カウンターエリートの危うさ

ただし、本書はカウンターエリートを無条件に肯定していません。むしろ、その危険性もはっきり指摘しています。彼らの中には、差別主義、陰謀論、科学否定、権威主義への傾きが混じっています。既存エリートへの不満が強いほど、単純で過激な物語に引き寄せられやすくなるからです。

さらに、制度や専門性への不信が極端に進むと、民主主義そのものへの信頼まで損なわれます。社会全体で共有すべき事実やルールが弱まれば、対話は難しくなり、政治的な分断が深まります。相手を説得するのではなく、膨大な情報や強い言葉で圧倒して動けなくするようなやり方も広がりえます。

本書は、こうした流れが進めば、国家の結束力が弱まり、社会のもろさが増すと警戒しています。人びとが制度もメディアも信じなくなれば、社会をまとめる共通の土台が崩れやすくなるからです。その意味で、カウンターエリートは、見落とされてきた問題を指摘する存在である一方、社会をさらに不安定にする危険も持っています。

第八章 それでも必要な視点としてのテクノロジー楽観主義

本書の終盤では、暗い見通しだけでなく、一つの手がかりとしてテクノロジー楽観主義が示されます。ここで言う楽観主義とは、何でも技術が自動的に解決してくれるという単純な信仰ではありません。AIやバイオテクノロジー、エネルギー技術など、人類の生活を大きく改善しうる可能性を持つ分野を、もっと正面から考えるべきだという立場です。

ただし本書は、技術だけでは不十分だとも述べています。成長の果実をどう分配するのか、どのような制度や規制が必要かを合わせて考えなければ、技術の利益は一部に集中し、社会の不満はむしろ強まります。つまり、本当に必要なのは、テクノロジーによる成長と、公平な分配を両立させる新しい社会の物語です。

ここで本書は、従来の進歩主義やリベラルな政治が、経済成長や分配をめぐる大きなビジョンを失ってきたことも批判しています。人権や多様性は大切ですが、それだけでは、人びとの生活不安や将来不安に十分応えられません。だからこそ、カウンターエリートが訴える本当に重要なことという問題意識を、差別や陰謀論と切り離した上で、建設的に引き継ぐ必要があるのです。

おわりに

本書が示しているのは、カウンターエリートに賛成するか反対するかという単純な対立ではありません。そうではなく、彼らがなぜこれほど支持されるのか、何が社会で見落とされてきたのかを直視することの重要性です。

既存のエリートや制度への不信は、ただの気分ではありません。生活の停滞、将来不安、メディア不信、そして新しい技術や変化への議論不足が積み重なった結果です。カウンターエリートは、その不満と空白の中から登場しました。だからこそ、彼らを単なる危険人物として切り捨てるだけでは、問題は解決しません。

一方で、カウンターエリートの中には、民主主義や社会の安定を壊しかねない要素も確かにあります。差別的な言説や陰謀論、強い権威主義への傾きは厳しく警戒しなければなりません。重要なのは、彼らの危うさを見抜きつつ、彼らが突いた本質的な問いを無視しないことです。

これからの社会に必要なのは、既存の秩序を守ることだけでも、何でも壊すことでもありません。人びとの実感に根ざし、本当に重要なことを正面から議論し、テクノロジーの可能性と制度の支えを結びつける、新しい公共の物語です。カウンターエリートの時代とは、古い中心が揺らぎ、新しい中心がまだ定まっていない時代だと言えます。その中で私たちに求められるのは、誰かの強い言葉に流されることではなく、社会のどこが行き詰まり、何を立て直すべきなのかを、自分の言葉で考えることです。


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