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証拠なき確信 vs 一次資料を読む親——ワクチン訴訟弁護士が見た「信仰」の正体

ワクチンを信じる——この日常的表現そのものが、ワクチンに関する主張が証拠ではなく信仰に基づくことを示している

—アーロン・シリ(ワクチン訴訟弁護士、『Vaccines, Amen』著者)

はじめに

想像してほしい。法廷である。向かいに座るのは「ワクチン学の生ける伝説」スタンリー・プロトキン。何百もの論文を発表し、CDCとFDAの委員会で何十年もワクチン政策を決定してきた男だ。しかし、彼は自分が主任研究者を務めたワクチン認可試験の、最も基本的な数字すら答えられなかった。

この場面は再現ドラマではない。2023年に実際に米国の法廷で起きた、アーロン・シリ対スタンリー・プロトキン——ワクチン訴訟弁護士とワクチン学の「大祭司」——の9時間にわたる証言録取の一コマである。

シリは知っている。ワクチン業界を支配しているのは科学ではない、信仰だと。そして信仰は、信者に都合の悪い質問を「してはいけない質問」に変えることで自己を守る。法廷だけが、その質問を強制できる場所だ。

本書『Vaccines, Amen』は、その法廷記録と一次資料を武器に、ワクチンという現代最大の「宗教」の聖職者・教会・教義・偶像を、一つずつ法廷に引き摺り出す。2026年6月、CDCは「ワクチンは自閉症を引き起こさないという主張はエビデンスに基づかない」と公式見解を変更した。本書の主張が制度内部に亀裂を入れた瞬間である。

アーロン・シリ

著者と本書——法廷という戦場

アーロン・シリ(Aaron Siri)は、100名以上の専門家を擁する法律事務所を率いる、米国で最も恐れられるワクチン訴訟弁護士の一人だ。

彼の仕事は単純ではない。1986年法によってワクチンメーカーは民事免責で守られており、被害者は製薬会社ではなく政府を相手取らねばならない。その土俵で勝つには、規制当局の内部文書を開示させ、世界最高権威の科学者を法廷に引き摺り出し、宣誓の下で矛盾を抉る——という気の遠くなるような作業が必要になる。シリはそれを18年間、黙々とやってきた。

本書『ワクチン、アーメン:ワクチンの宗教』(原題:Vaccines, Amen: The Religion of Vaccines、2025年)は、その法廷記録を初めて一般に開いた著作だ。原書約300ページ。四部構成——「聖職者たち」「教会」「信仰」「金の子牛」——でワクチン業界を解剖する。ワクチン全面否定ではない。製品としての公正な評価と、個人の自律的選択の回復を求める、法廷弁護士としての冷徹なブリーフ(準備書面)である。

1 1986年法——ワクチン業界の「原罪」

製造業者は既に大きな利益を上げているワクチンのデザインを改善するインセンティブをほとんど持たない

—ソニア・ソトマイヨール(米国連邦最高裁判事)

ここで一つの比較をしてほしい。

ファイザーがエリキュース(抗凝固薬)を認可してもらうとき、彼らは数年にわたるプラセボ(偽薬:有効成分を含まない外見上の薬)対照ランダム化比較試験を実施した。本物の薬を飲んだグループと偽薬を飲んだグループを比較することで、副作用や効果を正確に評価する仕組みだ。エンブレルも、リピトールも、リリカも同じだ。副作用が出れば即座にシグナルが立つ。

ところが、同じファイザーが製造する小児用ワクチンで、プラセボ対照試験に基づいて認可されたものは一つもない。一つも、だ。

この落差はファイザーの「良心」の問題ではない。構造の問題だ。そしてその構造の起点が、1986年国家小児ワクチン傷害法(NCVIA)——シリが「原罪」と呼ぶ法律——である。

1970年代、全細胞性百日咳ワクチン(DTP)による脳症・死亡訴訟が全米で急増し、ワクチンメーカーが次々と製造中止を検討する事態に陥った。議会の出した答えは「ワクチンメーカーを訴えるな」だった。被害者は政府(HHS)を相手取り、特別補償プログラム(VICP)を通じて救済を求める——その代わり、製薬会社はワクチン傷害に対する金銭的責任を完全に免れる。

1990年代の英国における百日咳ワクチン接種に関する雑誌広告。出典:Retro AdArchives

この法律が何を引き起こしたか。製薬会社は安全性検証に投資する経済的インセンティブを、完全に、制度的に、喪失した。むしろ安全性問題を発見しないインセンティブが働く。問題が見つかれば売上に関わる。売上に関わっても訴訟リスクはゼロ。あなたが製薬会社の経営者なら、安全性試験になにがなんでも金を出すだろうか。

2011年、連邦最高裁はBruesewitz判決で「デザイン欠陥」に基づく請求を全面禁止した。ソトマイヨール判事は反対意見で、冒頭に引用した言葉とともに、メーカーが安全性向上に投資する動機を制度が奪っていると厳しく批判した。連邦最高裁判事自身による、制度の欠陥認定である。

ワクチンは、傷害を引き起こしてもほぼ完全な免責を持つ、唯一の消費者製品だ。車も、医薬品も、家電も、こんな保護は受けていない。

日本の状況はさらに深刻だ。予防接種健康被害救済制度はVICP以上に脆弱で、因果関係の立証責任が事実上被害者側にある。認定率は極めて低い。足尾鉱毒事件で田中正造が直面した「企業免責と被害者泣き寝入り」の構造が、形を変えて21世紀の予防接種政策に生きている。


2 大祭司プロトキン——9時間尋問が暴いた「信仰」の実演

証拠がないにもかかわらず、親に「ワクチンは自閉症を引き起こさない」と断言するのは絶対に正しい

—スタンリー・プロトキン博士(証言録取より)

法廷の空気を想像してほしい。

相手は世界最高権威のワクチン科学者、スタンリー・プロトキン。何百もの論文を発表し、教科書を書き、CDCとFDAの委員会でワクチン政策を決定してきた「生ける伝説」である。その男を、一人の弁護士が9時間にわたって尋問している。

スタンリー・プロトキン

シリはまず、金の話から入った。プロトキンがメルク、ファイザー、サノフィ、GSKから受け取ってきた報酬。ロタテック(ロタウイルスワクチン)のロイヤルティだけで総額1億8,200万ドル(約270億円)。その一部がプロトキンの口座に振り込まれている。「 公平な科学者」としてCDC委員会で投票していた男の、資金源である。

そして尋問は核心に迫る。プロトキン自身が主任研究者だったB型肝炎ワクチン(レコンビバックスHB)の認可試験について、シリは淡々と問うた。被験者数は? 観察期間は? プロトキンは答えられなかった。自分が責任者だったはずの試験の、最も基本的な設計を知らなかったのだ。

その試験の数字はこうだ。被験者は147人の乳幼児。安全性観察期間は各接種後5日間。このデータだけを頼りに、B型肝炎ワクチンは全新生児への接種が推奨されることになった。あなたの子どもが生後2カ月で打つワクチンの、科学的根拠の全容である。

さらにシリは畳みかける。「DTaPワクチンと自閉症の因果関係を否定する証拠を見せてください」。プロトキンは証拠を提示できなかった。それにもかかわらず、親に「ワクチンは自閉症を引き起こさない」と断言するのは「絶対に」正しいと証言した。

証拠がない。しかし断言は正しい——これは科学ではない。信仰である。

「でも、それって一人の悪い科学者の話では」

そう考える人もいるかもしれない。だがプロトキンは「例外」ではない。「頂点」である。彼の弟子たちを見よ。ポール・オフィットはメルクから約600万ドルを受領しながらワクチン政策を決定した。キャサリン・エドワーズは製薬会社のスピーカーズ・ビューローに所属しながらCDC諮問委員会でワクチン認可に投票した。2000年の議会調査報告書は「委員の圧倒的多数が製薬業界と実質的な関係を持つ」と結論づけた。

これはシステムの必然的産物だ。シェルドン・クリムスキーが暴いたように、DSM策定委員の69%が製薬企業と関係を持つ——医学界全体に張り巡らされた構造の、最も高い場所に立っているのがプロトキンというだけの話である。


3 麻疹ワクチン神話の崩壊——「救われた命」より「失われた命」の方が多い可能性

麻疹・おたふく風邪に感染した男性は、感染しなかった男性と比較して脳卒中リスクが17%、心血管疾患リスクが20%、心臓発作リスクが29%低下していた

—日本の大規模コホート研究(10万人以上、21年間追跡)

公衆衛生の教科書を開けば、こう書いてある——ワクチンが感染症を克服した。何百万人もの命を救った。これが「科学的コンセンサス」だ。

数字を見よう。米国における麻疹死亡率は1900年から1962年の間に98%以上減少した。最初の麻疹ワクチンが登場したのは1963年である。つまりワクチンが登場する遥か以前に、衛生状態・栄養・住環境の改善によって、麻疹による死亡はほぼ消滅していたのだ。ワクチン導入直前の米国で、年間に麻疹で死亡していたのは約400人。主に基礎疾患のある子どもである。

ここまではまだ「ワクチンは不要だった」という話にすぎない。しかし日本の大規模コホート研究——10万人以上を21年間追跡——が示したのは、もっと根本的な逆説だ。麻疹・おたふく風邪に自然感染した男性は、感染しなかった男性と比較して、脳卒中リスク17%減、心血管疾患リスク20%減、心臓発作リスク29%減。すべて統計的に有意である。

自然感染が免疫系に長期的な訓練効果をもたらし、まったく別の疾患——心臓病——から身体を守っている可能性が、ここで浮上する。ワクチンが「救った命」(年間400人未満)より、自然感染を妨げることで「失われた命」(心血管疾患による超過死亡)の方が多いかもしれないのだ。これはもはや「ワクチンは不要」ではなく「ワクチンは有害」の領域である。

「でも、麻疹で死ぬ子がいるのは事実だろ。その子たちは見殺しにしろっていうのか」

その問いは重い。だが感染症のリスク管理は「ワクチンか死か」の二択ではない。ビタミンA投与という極めて低リスクの介入が、麻疹重症化リスクを劇的に下げることはWHO自身が認めている。基礎疾患のある子どもを集中的に守りつつ、大多数の健康な子どもには自然免疫の長期的便益を享受させる——そういうグラデーションのある対策は、検討すらされてこなかった。

この研究は観察研究であり、交絡因子の完全な制御は不可能だ。しかしRCT(ランダム化比較試験)が実施不可能な領域——自然感染の長期的影響——では、大規模コホート研究が最善のエビデンスである。ワクチン中心史観は、衛生・栄養・住環境という真の救命要因を不可視化し、自然免疫の長期的便益を無視してきた。

宮本常一が『忘れられた日本人』で克明に記録したように、かつての日本の農村では感染症との共存が生活の織物の一部だった。「感染=死」ではない歴史的現実が、確かにあったのである。


4 臨床試験のピラミッド・スキーム——プラセボなし、観察5日間、連鎖的承認

小児用ルーチンワクチンの臨床試験は、プラセボ対照群を使用せず、安全性観察期間も数日間というものがほとんどである

—アーロン・シリ『Vaccines, Amen』

個別の試験を見ていくと、その実態は異様を通り越して詐欺的ですらある。例えば、先にプロトキン博士が詳細を覚えていなかったB型肝炎ワクチン(レコンビバックスHB)の認可試験だ。

B型肝炎ワクチン(レコンビバックスHB)は、147人の乳幼児・小児を対象に、各接種後5日間の安全性観察のみで認可された。5日間だ接種から数カ月後に発症する自己免疫疾患や神経発達障害は、この観察期間では原理的に検出できない。あなたの子どもが生後2カ月で打つワクチンの科学的根拠は、たったこれだけである。

DTaP(三種混合)ワクチンは、旧型の全細胞性DTPを「対照」として使用した。このDTP、複数の研究で乳児死亡率を上昇させることが示されている。つまり「対照群も死んでいたので、新ワクチンも安全」という論理だ。

肺炎球菌ワクチン(プレベナー)シリーズに至っては、もはやピラミッド・スキームである。プレベナー7の認可試験では、対照(比較)として使われたのは「別の未認可の実験的ワクチン」だった。その後、プレベナー13はプレベナー7を対照に、プレベナー15はプレベナー13を、プレベナー20はプレベナー15を——という連鎖が続く。真のプラセボ群は一度も設定されず、ワクチンの絶対的安全性評価は永久に不可能なまま積み上がっていく。

これらの試験では7〜9%の乳幼児が重篤な有害事象を報告している。しかし「対照群でも同様の率だった」ため「安全」と判断された。HPVワクチン(ガーダシル)に至っては、神経毒性・細胞毒性のあるアルミニウムアジュバント(AAHS)を対照として使用し、2.3%の被験者が全身性自己免疫疾患を発症した。対照群でも同率だったため、これまた「安全」とされた。

クリスティーヌ・コットンが内部告発した臨床試験データの品質管理破綻と合わせて見れば、この構造が「ずさんさ」ではなく「合理的設計」であることが見えてくる。


5 自閉症とワクチン——「安全の証拠」は存在しなかった

その情報はCDCから得るのが最善だ

—ジョシュア・ゴードン博士(NIMH所長・IACC議長、著者の質問への最終回答)

この一言が、すべてを物語っている。

米国最高の精神衛生研究機関——NIMH(国立精神衛生研究所)——の所長であり、IACC(自閉症調整委員会)の議長でもあるジョシュア・ゴードン博士。その男に、シリは直接こう問うた。「生後1年間に推奨されるワクチンが自閉症を引き起こさないという研究を、見せてください」。

ジョシュア・ゴードン

ゴードン博士は答えられなかった。CDCに照会した。CDCは既存のウェブページへのリンクを送るだけで、実質的な研究を一つも提示できなかった。

これは制度的無責任の象徴的な瞬間である。しかし、より恐ろしいのは、これが瞬間ではなく「連続」だということだ。

議会は1986年——そう、あの原罪の年——にHHSに対し、百日咳ワクチンと自閉症の関連性研究を命じている。1991年のIOM(医学研究所)報告書は、関連性を支持する研究を一つも特定できなかった。が、否定する研究も一つも特定できなかった。2012年のIOM報告書も同様——DTaPが自閉症を引き起こさないという研究はゼロ。2014年のAHRQ(医療研究品質局)報告書は、B型肝炎ワクチンと自閉症について、唯一の信頼できる研究が300%のリスク増加を見出したと報告した。リスクがないという研究は、存在しなかった。

40年である。40年にわたって議会は研究を命じ、40年にわたって「わからない」という報告書が積み上がり、40年にわたって「安全は確認されている」という断言だけが繰り返されてきた。

「ワクチンと自閉症の関連は否定された」——この公的言説は、科学的証拠の不在を「安全性の証明」にすり替える修辞的操作だ。「関連を証明できない」ことと「無関連を証明した」ことは、論理的にまったく別の命題である。この基本的な区別が、公衆衛生言説では意図的に曖昧化されてきた。

そして2026年6月。CDCの公式ウェブサイトは遂にこの区別を認め、こう明記するに至った——「ワクチンは自閉症を引き起こさないという主張はエビデンスに基づかない」。本書の核心的主張が、制度の内部で部分的にではあれ認められた歴史的画期点だ。

自閉症の原因は多因子であり、ワクチンが唯一の原因という単純な因果モデルは支持されない。しかしシリの主張は「ワクチンが原因である」ではなく「無関係という証明は存在しない」という、はるかに限定的で、はるかに強固なものだ。そしてこの主張は、NIMH所長が答えられず、CDCが提示できず、IOM報告書が40年にわたって「わからない」と言い続けてきた——文書化された制度的失敗によって、十分に支持されている。


6 信仰としての「科学」——閉じた循環と排除のメカニズム

ジャーナルは製薬業界の情報洗浄機関と化した

—リチャード・ホートン(ランセット元編集長)

ここまで見てきた構造——免責された製薬会社、利益相反に塗れた規制当局、プラセボのない臨床試験、存在しない安全性の証拠——これらを支える最後の柱が、「科学」という名の信仰装置である。

その仕組みは単純だ。製薬会社が研究に資金を出す。製薬会社から資金を受けたワクチノロジストが研究を実施する。製薬会社から広告費・別刷り購入費を受け取った医学ジャーナルがその研究を掲載する。掲載された研究が「科学」として、製薬会社と利益相反のある委員たちが参加するCDC・FDAの諮問委員会で政策決定の根拠にされる。

閉じた循環だ。この循環の中で、ドグマに反する研究は資金を得られず、掲載されず、キャリアも築けない。誠実な科学者ほど排除される選抜圧力が、静かに、制度的に、働き続ける。

これは陰謀論ではない。医学界の最高権威誌の元編集長たち自身による内部告発である。

ランセット元編集長リチャード・ホートン——「ジャーナルは製薬業界の情報洗浄機関と化した」。BMJ元編集長リチャード・スミス——「医学ジャーナルは製薬会社のマーケティング部門の延長」。NEJM元編集長マーシャ・エンジェル——「臨床研究の多くを信じることはもはや不可能だ」。彼らは外部の批判者ではない。システムの頂点に立ち、その腐敗を内部から目撃した者たちである。

CDCのMMWR(週刊疾病率死亡率報告書)はピアレビューすら受けず、CDC政策に一致する研究のみを内部クリアランスで掲載する。HHSは1986年法で義務付けられた「より安全な小児用ワクチンに関する作業部会」の報告書を一度も提出しておらず、作業部会は1998年に解散したきりだ。

CDCの免疫安全性オフィスの年間予算は約2,000万ドル(約30億円)。ワクチン購入には80億ドル(約1.2兆円)以上が支出されている。安全性研究よりワクチン購入に4,000倍の予算——これが「科学に基づく政策」の実態である。

この閉鎖的な資金と権威の循環は、トマス・クーンの言う「通常科学」の病理的形態に他ならない。パラダイムに反する異常事例が、資金・出版・キャリアの経路で自動的に濾過される。システムは自らの前提を永遠に検証不能にすることで、あたかも宗教のドグマのように自己を守っているのだ。


おわりに——車を買うときと同じ目で、ワクチンを見よ

親たちは車や住宅を購入するのと同じ注意を払ってワクチン製品を研究すべきである

—アーロン・シリ『Vaccines, Amen』

1986年法から40年。ワクチン免責構造はCOVID-19下のmRNAワクチンにおけるPREP Act免責へと拡張され、さらに強固になった。しかし2026年、CDCが「ワクチンは自閉症を引き起こさないという主張はエビデンスに基づかない」と公式見解を変更した。40年かけて積み上がった免責の壁に、ついに一本の亀裂が入ったのである。

シリの本が教える最も実践的な教訓は、驚くほど単純だ——ワクチンを「製品」として見よ、と。

車を買うとき、あなたはカタログを読み、燃費を比較し、事故データを調べ、リコール情報を確認する。住宅ローンを組むとき、金利を比較し、契約書の細字を読む。それを「反自動車」とか「反住宅」とは誰も呼ばない。なのにワクチンだけが、同じ注意を払うと「反科学」になる。

これこそが、シリの言う「宗教」の最も巧妙な罠だ——製品を製品として評価するという、消費者として最も基本的な行為を、禁忌に変えてしまうこと。

日本の読者にとって、この構造は対岸の火事ではない。日本の定期接種スケジュールは生後2カ月から複数同時接種が始まり、その認可試験の設計は米国と大差ない。救済制度は脆弱で、政策決定過程の不透明性はむしろ深刻だ。HPVワクチンの積極的勧奨差し控えと再開をめぐる経緯は、本書の分析枠組みで読み解くべき日本固有の事例である。

シリは最後にこう書く——本書が明かした事実は「もう忘れることのできない」知識だ、と。その通りだ。一度この構造を見てしまったら、もう「ワクチンを信じる」という言葉を、無邪気に口にすることはできない。

そしてそれこそが、本書の最大の贈り物である。信仰から脱し、製品として評価する——その当然の権利を、取り戻すための一冊だ。


参考資料

  • Aaron Siri『ワクチン、アーメン:ワクチンの宗教』(原題:Vaccines, Amen: The Religion of Vaccines、2025年)

  • Ivan Illich『医療の限界』(原題:Medical Nemesis: The Expropriation of Health、1975年)

  • Sheldon Krimsky『Science in the Private Interest』(2003年)

  • 宮本常一『忘れられた日本人』(1960年)

  • 藤田省三『維新の精神』(1970年)

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