ワクチン推進者の罪と罰—権威システムが仕掛ける道徳的罠
「ドイツ人よ、これがあなた方の犯罪だ、そして我々の犯罪でもある」
はじめに
医師がテレビでワクチンを推奨し、その後自分も心筋炎で倒れる。著名人が接種を呼びかけた後、原因不明の急死を遂げる。善意で患者に勧めた医師が、副作用報告を見て困惑する。こうした光景を我々は数え切れないほど目撃してきた。
これは単なる医療ミスや情報不足の問題ではない。プリモ・レーヴィ(Primo Levi)がナチス収容所で観察した「灰色の領域」—被害者と加害者の境界が曖昧になる現象が、現代社会で再現されているのだ。
レーヴィは収容所の体験から、人間がいかに段階的に共犯者へと変貌していくかを冷徹に分析した。重要なのは、これが個人の道徳的欠如ではなく、システムによる意図的な設計だという点である。善意の人々を巻き込み、責任を分散させ、批判を封じ込める—この構造こそが現代のワクチン推進キャンペーンの本質ではないだろうか。
著者・作品紹介
プリモ・レーヴィ(1919-1987)はイタリアの化学者・作家で、アウシュヴィッツ収容所の生存者である。代表作『これが人間か』(1947年)、『休戦』(1963年)に続く晩年の傑作『溺れるものと救われるもの』(1986年)で、収容所体験を単なる証言を超えた普遍的な人間分析にまで昇華させた。

化学者としての科学的思考と、地獄を生き延びた者の冷静な観察眼を併せ持つレーヴィの分析は、極限状況における人間行動の法則を解き明かしている。特に「灰色の領域」概念は、現代社会の様々な権力構造を理解する上で不可欠な視点を提供する。
なぜ今レーヴィなのか。パンデミック期間中に我々が目撃したのは、まさにレーヴィが描いた構造的共犯システムの現代版だからである。ワクチンを推進した善意の人々が気づかぬうちに加害者となり、同時に被害者でもある—この複雑な現実を理解するために、レーヴィの洞察は今なお鮮烈な現実性を持っている。

小さな権力への執着が生む共犯構造
レーヴィが観察した最も重要な現象の一つが、「小さな権力」への執着である。収容所では「半リットルのスープのために」多くの囚人が看守の手先になった。この心理メカニズムは、現代のワクチン推進構造にそっくり当てはまる。
テレビに出演する医師たちを思い浮かべてほしい。彼らの多くは最初から製薬会社の工作員だったわけではない。学会での地位、研究費の獲得、メディア露出の機会—これらの「小さな権力」を失うことへの恐怖が、批判的思考を麻痺させた。
「患者のため」という大義名分の下で、実際には自分の立場を守ることが最優先になる。学会から異端視される恐怖、研究費が打ち切られる不安、同僚からの孤立—これらは収容所の囚人が感じた恐怖と本質的に同じだ。
興味深いのは、権力の階層構造である。製薬会社の幹部から見れば、テレビ出演医師も単なる「使い捨ての駒」に過ぎない。だが当の医師たちは、一般市民より上位にいるという優越感に酔いしれる。レーヴィが描いた「カポ」(囚人の監督者)と全く同じ心理構造である。
この構造の巧妙さは、責任の分散効果にある。最終的な被害が明らかになった時、製薬会社は「医師が推奨した」と言い、医師は「学会のガイドラインに従った」と言い、学会は「政府の方針だった」と言う。誰も決定的な責任を負わない。
「近い将来、何百もの保健当局が『それはあなたの選択だった、誰も強制していない』と言うようになるでしょう。」 -ロバート・マローン博士 pic.twitter.com/Dp07WDqoVz
— Alzhacker (@Alzhacker) February 9, 2022
新参者への攻撃という防御メカニズム
レーヴィは収容所で、古参囚人が新参者を敵視する現象を観察した。これは単なる嫉妬ではなく、自己正当化のための攻撃性である。自分たちの屈服を正当化するために、まだ屈服していない者を攻撃する必要があった。
ワクチン推進においても、同じパターンが繰り返された。早期に疑問を呈した医師や研究者は、主流派から激烈な攻撃を受けた。「反ワクチン」「陰謀論者」「デマ屋」—これらのレッテル貼りは、収容所の囚人同士が互いを攻撃した構造と酷似している。

なぜ攻撃するのか? それは自分たちの選択への疑問を封じ込めるためである。異端者の存在は、自分たちが従った権威への疑問を呼び起こす。それを許してしまえば、自己正当化の基盤が崩れてしまう。
レーヴィは指摘している—「この攻撃性は、欠けている連帯を人工的に作り出そうとする無意識の試み」だと。ワクチン推進派の医師たちが示した異常な団結力も、同じ心理メカニズムから生まれた。本来あるべき科学的議論を封殺し、疑似的な「専門家コンセンサス」を演出する必要があったのだ。

段階的道徳的妥協のプロセス
「一度に大きな悪に手を染めるのではなく、小さな妥協の積み重ね」—これがレーヴィが観察した共犯者製造プロセスの核心である。医師たちも最初から薬害を意図していたわけではない。「患者のため」という善意から始まった小さな妥協が、最終的には巨大な薬害の共犯者に変貌させた。
第一段階は情報の選別である。製薬会社に都合の良い研究だけを読み、不都合な情報は「信頼できない情報源」として排除する。これは意識的な欺瞞ではなく、認知的負荷を軽減する自然な心理プロセスだ。
第二段階は異論の封殺である。患者からの副作用報告を「因果関係不明」として処理し、同僚の疑問を「専門外の意見」として軽視する。これも「混乱を避ける」という大義名分がある。
第三段階は積極的推進である。自分が接種し、家族にも勧め、患者にも強く推奨する。この時点で完全に「当事者」となり、後戻りできない心理状態になる。
興味深いのは、各段階で自己正当化の論理が巧妙に用意されていることだ。「科学的根拠に基づいて」「患者の安全のために」「社会全体の利益を考えて」—これらの美辞麗句が、道徳的妥協を正当化する麻酔薬として機能した。
被害者と加害者の複雑な重複
レーヴィの最も深刻な洞察は、「同一人物が被害者と加害者を兼ねる現実」である。これはワクチン問題で最も理解しにくい側面でもある。
ワクチンを推奨した著名人が心筋炎で倒れ、それでもなお推進を続ける。患者に勧めた医師が自分も副作用に苦しみながら、「稀な例外」として処理する。彼らは明らかに製薬産業システムの被害者である。同時に、他者への被害拡散の加害者でもある。
この複雑性が、単純な善悪二元論を無効化する。「推進した医師は悪人だ」という判断は、レーヴィが警告した道徳的思考停止の典型例である。重要なのは個人の道徳的責任よりも、そうした状況を生み出したシステムの分析だ。
だが同時に、完全な免罪も不可能である。レーヴィ自身が述べているように「被害者であることは責任を免除しない」。製薬システムの被害者であっても、他者に与えた被害への責任は残る。この曖昧さこそが「灰色の領域」の本質である。
システムによる共犯性の強制
レーヴィが発見した最も悪質なメカニズムが、「共犯性の強制」である。権力者は意図的に多くの人々を共犯者に仕立て上げ、抵抗を不可能にする。
ワクチン推進キャンペーンも同じ構造を持っていた。医師に患者への推奨を求め、著名人にCM出演を依頼し、一般市民に接種証明の提示を義務化する。全社会を巻き込むことで、「みんなで決めたこと」という錯覚を作り出す。

一度協力した者は、自己正当化のために更なる協力を余儀なくされる。最初は軽い気持ちで接種を勧めた医師も、副作用の報告が増えれば増えるほど、「間違いを認める」ことが心理的に困難になる。過去の自分を否定することは、アイデンティティの破綻を意味するからだ。
この心理的圧力は、収容所の囚人が感じたものと本質的に同じである。「もう後戻りできない」という絶望感が、更なる協力を生み出す。レーヴィが観察した通り、「最初の小さな妥協が、後の大きな犯罪への道筋を作る」のである。
抵抗しなかった理由の構造分析
「なぜ抵抗しなかったのか」—これはレーヴィが収容所体験で最も苦悩した問いである。現代のワクチン問題でも同じ疑問が浮かぶ。なぜ医師の大多数が疑問を呈さなかったのか。
個人レベルでは恐怖による支配がある。職を失う、学会から追放される、研究費を打ち切られる、同僚から孤立する—これらの恐怖は、収容所の囚人が感じた死への恐怖と構造的に同じである。生存への脅威が批判的思考を麻痺させる。
集団レベルでは責任分散の心理が働く。「他の誰かが正しい情報を持っているはず」「自分より偉い先生が判断するだろう」「学会が間違うはずがない」—この責任転嫁が、個人の道徳的判断を停止させる。
システムレベルでは情報統制がある。製薬会社に不都合な研究は発表されず、批判的な医師はメディアから排除され、異論は「陰謀論」として処理される。これは収容所の情報統制と同じ効果を持つ。
最も重要なのは、段階的エスカレーションである。最初は「安全で効果的」という宣伝だった。次に「副作用は稀」になり、「因果関係不明」になり、最終的には「想定内のリスク」になった。各段階では前の段階からの変化は小さく、抵抗する明確な理由が見つからない。
ナチズムの悪事は段階的に展開していった。ユダヤ人を不可触賤民とし、すべての悪の原因であるとする、資金力のあるプロパガンダマシンによる人間性の喪失。刻々と変化し、拡大する規則。社会的隔離と雇用の喪失。 最も重要なことは物語を維持するために、メディアを完全にコントロールすることである
— Alzhacker (@Alzhacker) December 18, 2021
現代版「特殊部隊」の心理分析
レーヴィが最も衝撃を受けたのは、ゾンダーコマンド(特殊部隊)の存在である。ユダヤ人囚人にユダヤ人の死体処理をさせる—この究極の屈辱が、現代社会でも形を変えて再現されている。

ワクチン推進の「特殊部隊」は、医師や研究者だった。本来なら患者の安全を守るべき医師が、患者に危険な実験的治療を推奨する。科学者が科学を歪める。これは職業倫理の根本的な転倒である。
レーヴィが記録した特殊部隊員の言葉を思い出そう—「確かに、自殺することもできた。だが私は生き延びて復讐し、証言するために生きたかった。我々が怪物だと思ってはいけない。我々はあなた方と同じ人間だ。ただ、はるかに不幸なだけだ」。
現代の医師たちも同じ心理状態にある。きっと、彼らの多くは「患者を救うため」という信念で行動したのだろう。だが結果的には、患者を危険に晒す加害者になってしまった。この悲劇的な転倒こそが、システムの最も悪質な側面である。
権威との同一化という心理的罠
レーヴィは、被害者が加害者と同一化する心理メカニズムを鋭く分析した。これは「ストックホルム症候群」の原型とも言える現象である。
医師たちの多くは、製薬業界や規制当局との同一化を無意識に行った。「私たちは同じ医学という船に乗っている」「薬事承認は科学的プロセスの結果だ」—こうした思考が、批判的距離を失わせた。
同一化の過程で、加害者の論理を内面化する。「多少の副作用は許容範囲」「全体の利益のための犠牲」「科学の進歩には代償が必要」—これらの考え方は、本来の医師の倫理観とは正反対である。
興味深いのは、同一化が段階的に進行することだ。最初は「協力的な関係」から始まり、「パートナーシップ」になり、最終的には「運命共同体」意識に至る。この過程で、患者への責任よりも業界への忠誠が優先されるようになる。
レーヴィが指摘した通り、「権力者は被害者を自分たちと同じレベルまで堕落させることで、道徳的優位性を失わせる」のである。医師が製薬業界の論理で思考するようになった時、もはや患者の代弁者ではなくなっている。

認知的捕獲の精巧なメカニズム
現代のワクチン推進システムは、レーヴィが観察した収容所システムよりもはるかに精巧である。物理的強制ではなく、認知的捕獲(コグニティブ・キャプチャー)によって人々を支配する。
第一の手法は情報環境の管理である。医学雑誌、学会、メディア、検索エンジン—あらゆる情報源が製薬業界の影響下にある。医師たちは「客観的な情報」だと信じて、実際には偏向した情報を摂取し続ける。
第二の手法は社会的圧力の活用である。「専門家コンセンサス」「科学的合意」という名の同調圧力が、個人の判断を封殺する。異論を述べることは「非科学的」「非合理的」とされ、社会的地位を失うリスクを伴う。
第三の手法は漸進的基準変更である。「安全で効果的」から「副作用はあるが利益が上回る」へ、「予防効果95%」から「重症化予防に効果」へ—基準を少しずつ変更することで、矛盾を感じさせない。
この精巧さこそが現代システムの恐ろしさである。収容所のような物理的暴力は使わない。代わりに、人々が「自発的に」協力したくなる心理環境を作り出す。レーヴィが予見した通り、「最も効果的な支配は、被支配者が支配されていることに気づかない支配」なのである。
沈黙する専門機関の共犯性
レーヴィは、ナチス体制下で沈黙した知識人や専門機関を厳しく批判した。現代のワクチン問題でも、同じ「沈黙による共犯」が大規模に発生している。
生命倫理学者の大部分は、強制接種や差別政策について沈黙した。本来なら人権侵害を厳しく批判すべき立場にありながら、権力に迎合するか無関心を装った。これは戦時中の知識人の態度と酷似している。
PART1:停職中の医療倫理学教授アーロン・ケリアティが語るワクチンの強制、リスク、自然免疫力https://t.co/xYiVkglgfx
— Alzhacker (@Alzhacker) November 10, 2021
「医学生にインフォームド・コンセントの原則を何年も教えてきました。朝起きたときに、良心の呵責に耐えられないだろうと思いました。」-Aaron Kheriaty
医学会も同様である。副作用報告が増加しても、体系的な調査や検証を行わない。「因果関係不明」という政治性の疑われる判定を乱発し、実質的に被害を隠蔽する。科学的探求よりも組織防衛を優先する姿勢は、学問的良心の放棄である。
司法機関さえも機能不全に陥っている。薬害訴訟は軒並み棄却され、被害者の救済は極めて困難である。これらの機関が果たすべきチェック機能が完全に麻痺している状況は、全体主義体制の典型的特徴である。
レーヴィが指摘した通り、「悪が蔓延するために必要なのは、悪人の行動ではなく、善人の無関心」である。専門機関の沈黙こそが、薬害システムを支える最大の柱なのだ。
複雑系としての薬害システム
レーヴィの分析で最も重要なのは、個人の道徳的責任を追求する前に、システム全体の構造を理解することの重要性である。現代の薬害システムも、単一の悪意や陰謀ではなく、複雑な相互作用の結果として機能している。
製薬会社は利益最大化を目指し、規制当局は製薬業界との癒着を深め、医学界は研究費への依存を強め、メディアは広告収入を重視し、政治家は選挙資金を必要とする。これらの個別利害が相互に強化し合う循環構造を形成している。
重要なのは、この構造において「単一の悪意」を特定することが困難だということだ。各アクターは自分なりの合理性に基づいて行動している。製薬会社の研究者も、規制当局の官僚も、推進した医師も、それぞれ固有のインセンティブに基づいて行動をとっている。
だからこそ、レーヴィが警告した「道徳的思考停止」に陥ってはならない。「推進した医師が悪い」「騙された患者が愚かだ」といった批判だけで終わってしまえば、根本的な解決からは遠のくだろう。
真実という武器の両刃性
レーヴィの証言活動は、「真実の力」への信念に基づいていた。だが彼自身も認めているように、真実は時として「耐え難い重荷」になる。現代の「ワクチン反対派」も同じ困難に直面している。
真実を知った者は、無関心でいることができなくなる。家族や友人にワクチンの危険性を伝えようとするが、多くの場合理解されない。それどころか「陰謀論者」として排斥される。真実が人間関係を破壊する皮肉な現実である。
さらに問題なのは、真実が「道具」として利用される危険性である。ワクチン批判を政治的対立に利用したり、他者への優越感の源にしたり、商業的利益のために悪用したりする事例がないとは言えない。
レーヴィが晩年に抱いた絶望感も、この問題と無関係ではない。証言すればするほど、真実が歪められ、利用され、消費される。「真実のための真実」を貫くことの困難さが、彼を苦悩させた。
現代の我々も同じ罠が待ち構えている。ワクチン問題の真実追求が、単なる「反体制ポーズ」や「知識マウンティング」「嘲笑のツール」に堕してしまえば、レーヴィの警告した「真実の機能不全」を招く。
我々はみなルムコフスキーである
レーヴィが『溺れるものと救われるもの』で描いたハイム・ルムコフスキー(Chaim Rumkowski)の物語は、現代人への最も厳しい鏡である。ルムコフスキーは1940年から1944年まで、ナチス占領下のウッチ・ゲットーで「ユダヤ人長老」(Judenälteste)として君臨した男である。60歳近い元実業家だった彼は、ナチスから与えられた限定的な自治権に酔いしれ、自分専用の通貨を発行し、馬車で「領土」を巡回し、子どもたちに自分を讃える歌を歌わせた。

ルムコフスキーは本気で自分を「救世主」だと信じていた。ナチスに協力して労働力を提供すれば、ゲットーの住民を絶滅から救えると考えた。「私の手は強く確実だ」と演説し、住民の生死を決める絶対的権力を振るった。だが最終的には、他の16万人の住民と共にアウシュヴィッツのガス室で殺された。権力に酔った「王」の哀れな末路だった。
ワクチンを推進した医師たちも同じ構造にある。「患者を救う」という使命感に酔い、製薬業界から与えられた限定的な「専門家」という地位を過信し、自分が社会を救っているかのように錯覚した。テレビ出演や学会での発言権という「小さな権力」に執着し、製薬業界の操り人形であることに気づかなかった。
「我々はみなルムコフスキーである」—レーヴィのこの言葉は、現代社会への警告である。権力システムの中で、誰もが被害者と加害者を同時に演じる可能性がある。小さな権力への執着、権威への同一化、段階的な道徳的妥協—これらの罠から完全に自由な人間は存在しない。
重要なのは、この事実を認めることだ。自分は「騙されない」「操られない」と信じることは傲慢である。むしろ、自分も容易に操作される存在だと認めることから、真の批判的思考が始まる。
歴史は繰り返すが、形を変える
レーヴィが最も恐れたのは、「歴史の忘却」だった。収容所の記憶が薄れ、同じ過ちが繰り返されることを警告し続けた。現代のワクチン問題は、まさにその警告の現実化である。
形は変わった。物理的暴力の代わりに心理的操作、直接的強制の代わりに社会的圧力、収容所の代わりに情報統制システム。だが本質は同じである—人間の尊厳の否定、批判的思考の封殺、権力への盲従の強制。
最も巧妙なのは、現代システムが「人道的」「科学的」「民主的」な装いを持っていることである。「公衆衛生のため」「科学的根拠に基づいて」「社会全体の利益のため」—これらの美辞麗句が、レーヴィが観察した権力システムの現代版を覆い隠している。
ナチス体制も当初は「合法的」な手続きを経て権力を掌握した。現代の製薬産業複合体も「正当な」手続きを経て薬事承認を取得している。だが手続きの正当性と内容の正当性は別問題である。形式的合法性が実質的正義を保証するわけではない。
レーヴィが警告したのは、まさにこの点である。「文明的」な外見を持つシステムほど危険であり、抵抗を困難にする。物理的暴力なら明確に悪と認識できるが、「科学的権威」による精神的支配は善悪の判断を曖昧にする。
欲望の精巧な階層システム
ここまで読んできて、レーヴィの言う「構造的共犯システム」について、ひっかかった読者もいるかもしれない。システムによって悪が作られるのであって、明確な実行犯の意図は二次的な問題として主張されているようにも読めるからだ。
もちろん、コロナ禍で起こったことのすべてをシステムの問題に帰することができるわけではない。それどころか、多くのことが計画的に、しかもそれが私たちの安全ではなく、支配者の政治的アジェンダ—人口管理と統制を目的として行われたということを強く示唆する多くの証拠がある。
実際、レーヴィの分析の鋭さは、悪の複雑性を見抜いていた点にある。彼は「悪魔的に設計された」システムと表現した。特にゾンダーコマンド(特殊部隊)について、「これほど悪魔的な発明はナチズムの最大の犯罪」と断言した。これは明らかに意図的設計への言及である。
しかし同時に、個々の参加者レベルでは「意図なき共犯」が大部分を占めるとも分析している。多くのカポや機能者は、生存のため、小さな特権のため、あるいは単純に状況に流されて協力した。彼らに「システム破壊の意図」があったわけではない。
この二層構造こそがレーヴィの洞察の鋭さである。設計レベルでは明確な意図があり、運用レベルでは意図なき自動性が働く。設計者は参加者の心理を熟知し、意図的でない協力を引き出すメカニズムを構築する。
現代システムでの意図と構造
現代のワクチン推進システムでも同じ構造が見られる。製薬会社の経営陣には明確に利益最大化の意図がある。規制当局との癒着、学術機関への資金提供、メディアへの広告出稿—これらは戦略的に計画された行動だ。
だが末端の医師や研究者の多くは、そうした全体戦略を知らない。彼らは「患者のため」「科学的根拠に基づいて」行動していると信じている。善意による協力こそが、システムを最も効果的に機能させる。
レーヴィが指摘したのは、このパラドックスである。意図的な悪意よりも、意図なき善意の方がシステムにとって有用だ。悪意ある協力者は裏切る可能性があるが、善意の協力者は自発的に献身する。
ただし、レーヴィが収容所で観察した「灰色の領域」は、現代においてより精巧な形で再現されたということも付け加えて置かなければならないだろう。コロナ禍で機能したのは単純な善悪二元論ではなく、欲望の階層システムである。
最上層のグローバルエリートは明確に人口管理と社会統制を意図した。だが彼らは直接的強制ではなく、各層の異なる欲望を満たすことで協力を引き出した。製薬会社には巨大な利益を、メディアには広告収入を、政治家には緊急事態権限を、テレビ医師には名声と収入を約束した。
この巧妙さは、既知の構造を利用して各参加者が持つインセンティブをついたことである。製薬会社は利益追求、メディアは視聴率向上、医師は専門家としての地位確保—これらの動機に人口削減意図は必要ない。むしろ「患者のため」という大義名分が、個人的利益を正当化する心理的装置として機能した。
複雑さという希望
だが同時に、このシステムは完全に統制可能でもない。各個人が異なるインセンティブに基づいて行動しているため設計者の意図を超えて自律的に発展する側面がある。一部の医師は途中で疑問を抱き、内部告発者が現れ、予想外の反乱が生じる。システムは学習し適応するが、参加者たちも学習し変化する。
彼らの計画書を見ると、私たちが、各ステップでどう反応するか設計者は驚くほど予想していたことがわかる。
しかし、現実は設計者の計算を超えていた。最も象徴的なのはロバート・F・ケネディ・ジュニアの政治的復活である。2019年時点では「反ワクチンの変人」として排除されていた彼が、パンデミック期間中にベストセラー作家となり、2024年大統領選では独立候補として一定の支持を獲得した。権威への不信が、「異端者」の声に説得力を与えたのである。
ワクチン反対運動の世界同時発生も予想外だった。オーストラリアからカナダ、ヨーロッパ各国で独立して抗議運動が発生し、インターネットを通じて相互に影響し合った。特に医師や看護師といった「内部の専門家」からの反乱は、想定以上の説得力を持った。
イーロン・マスクのツイッター買収は完全に計算外の事態だった。2022年の段階で検閲システムの一部が無力化され、「ツイッターファイル」として内部文書が暴露された。同様に、テレグラムやサブスタックといった代替プラットフォームの急成長も、既存の情報統制を無効化した。
最も計算違いだったのは、一般市民の情報分析能力の高さである。VAERSデータの分析、超過死亡統計の検証、臨床試験データの精査が草の根レベルで行われ、「素人専門家集団」とも言うべきネットワークが形成された。これは既存の専門家権威を相対化する効果を持った。
この矛盾こそが現代システムの本質である。意図的でありながら予測不可能、統制されながら自律的、設計されながら偶発的—これらの対立する要素が同時に存在している。支配と抵抗は相互に影響し合い、共に進化していく終わりなき循環を形成する。これは私の信念と言ってもいいくらいだが、私たちの防衛戦略は、予測可能な反発ではなく、支配者の予測を裏切ることのできる「複雑さ」を備えた抵抗や反発でなければならない。
レーヴィが最終的に絶望したのは、悪のシステムの複雑さと矛盾からだったが、同じ複雑さこそが希望の根拠でもある。完全な統制は不可能であり、予測不可能性は常に残る。システムが複雑化するほど、その矛盾と脆弱性も拡大する。我々の武器は、この予測不可能な複雑さそのものである。
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