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|ロッケ育成記|検査が教えてくれなかったこと

先日、自閉症の男の子が文章を書いていて、13のコンクールに応募し、なんと10作品が受賞!という記事を読んだ。
正直、素晴らしいし、うらやましい。
そんな自閉症の子も存在するんだと知った。

肢体不自由児を育てていると、自閉症というこれまた脳性麻痺ほど幅の広い言葉なので、自閉症のお子さんのことを知っているふりなんて全くできないし、もしかすると自閉症のほうが幅が広いんじゃないかと思うことさえある。

だから、今日はこの記事で思い出した発達検査の話を書きます。
自閉症の話ではありません。ごめんなさい!



「一般に知能検査は、心理師の人が被験者に質問をして、あるいは課題を与えてやってもらう。クイズみたいな問題もあれば、この模様通りに積み木を組み合わせてくださいとか、この形を指示通りに書いてくださいとか。従来の知能検査の方法では、内田くんのようなタイプの自閉症の人の知性、知的な能力っていうのは測ることができないということ。」

「内田くんのような人は文字を書いて、文章を書いて自分の気持ちを伝えることができるようになったから、検査でわからない知性があるっていうことをわかったけど、普通チャンスが無ければそれすら見逃されてしまうってことがあると思うんです。」

明治大学特任教授 精神科医 山登敬之氏



という教授の言葉で、10年ほど前のことをいろいろ思い出した。

そのお友達の息子さんは視覚に問題を持っているけど、知的にはほぼ問題がないだろうと、周りのママ達とも感じていた。
でも知的のテストの判定は「遅れている」と出た。

そのママ友は受け入れるのが辛そうで、でもそんなの気にする必要ないよっていう話を当時はしてた。

うちの娘であっても、少しショッキングだったのは、発達検査は決して視覚障害やその他の障害を持っている“重複している状態”をあまり考えていない前提(もしかすると今は少し前進しているかもしれませんが)で行われること。

同じカードを見せられたとして、そのカードが認識できる視覚障害の子だと良いのですが、視覚障害によってそのカードが理解できない場合、判定は「理解できませんでした」になるのです。

その話を初めて聞いたとき、母数が少ないから仕方がないのかもしれないと思った。
けれど、昨日読んだこの記事にまだこんな言葉が載っているということは、もしかするとあまり前進していないのかな?

それにしても、知的検査で、自分の子どもが例えばDQ50と言われると、正常発達が100として、その当時10歳だとすると、5歳児の知能という意味。

なかなか受け入れが難しい。
しかもそのDQは、どんどんどんどん年齢とともに下がっていきます。
(もちろん、しっかり伸ばしていく子もいらっしゃるかもしれませんが。でもきっと下がっていく子が多数。)

やはりこれも受け入れがたく、私が悶々としていると、療育の先生から一言。

「お母さんは周りの子で、その検査結果の年齢の子と比べてみてどう思うの?」

確かに、その子たちよりもできることも、意識も違うところがある。
わが子の良いところに目を向けることができた瞬間だった。

その後、下の子が生まれて、健常の1歳児がこんなにもいろんなことを理解しているのかって知って、また胸が掻き乱されたのですが。

もう時効よ。私も成長しました。

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