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けのびの先へ――津軽海峡に消えた男

※本記事の内容は全て架空であり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。


けのびの先へ――津軽海峡に消えた男

青森県大間町の海岸に、川西直樹は全裸で立っていた。

気温は十二度。北西から吹く風が海面を細かく波立たせ、その向こうには北海道の山並みがかすんで見えた。岸には数百人の観衆が集まり、沖では報道船と伴走船が待機している。

川西は三十八歳。競泳選手ではなく、長距離水泳の経験もない。

これから彼が津軽海峡横断に用いるのは、クロールでも平泳ぎでもなかった。

けのびである。

川西は両腕を耳の横にそろえ、指先を重ねた。足元の岩を確かめながら、静かに屈伸を繰り返す。

「向こう岸まで、一回で行きます」

午前八時。川西は大間崎を両足で強く蹴り出した。

オリンピックにない種目

川西がけのびに関心を持ったのは、小学生のころだった。

学校の水泳授業で、泳法を習う前に教えられたのがけのびだった。壁を蹴り、腕を伸ばし、身体を一直線にして水中を進む。教師はそれを「泳ぐための基本」と説明した。

川西は、その扱いに納得できなかった。

けのびは何かを始める前の練習ではない。水をかかず、足も動かさず、最初の一蹴りだけで進む、独立した技術である。にもかかわらず、競技会では距離も順位も記録されない。

決定的だったのは、テレビでオリンピック競泳を見たときだった。

自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ。選手たちはさまざまな泳法で速さを競っていたが、けのびだけが種目として存在しなかった。

川西は憤った。

「全ての泳ぎは、けのびから始まる。それなのに、始まった瞬間にけのびは忘れられる。あれは不公平です」

競泳種目の新設を求める手紙を関係団体へ送ったこともある。しかし、返事は形式的なものにとどまった。けのびはスタートやターン後の技術であり、単独で競技化する予定はないと説明された。

川西は、陳情だけでは何も変わらないと考えた。

人々が無視できない距離を、けのびだけで進む。それによって、けのびが補助動作ではなく、一つの泳法であることを証明する。

その目標として彼が選んだのが、海峡横断だった。

土渕海峡での偉業

会社員として働きながら、川西は市民プールで練習を重ねた。

壁を蹴る角度、腕の位置、顎の引き方、足の親指の重ね方。撮影した映像を一コマずつ確認し、少しでも長く進める姿勢を探した。

そして川西は、香川県小豆島の土渕海峡横断に挑んだ。

岸壁を蹴り出した川西は、途中で一度も水をかくことなく反対側へ到達した。けのびによる海峡横断は人類初の偉業として報じられ、その映像は全国のニュース番組で繰り返し放送された。

両腕を伸ばした川西が、海面を静かに進んでいく。

そこには長距離水泳の激しさも、競泳の速さもなかった。最初の一蹴りを終えた後は、ただ姿勢を崩さず、水の力に身を任せていた。

帰還後の記者会見で、川西はオリンピックへの思いを改めて語った。

「これで、けのびにも海峡を越えられることが分かりました。競技として認めない理由は、もうないと思います」

続けて、次の挑戦として津軽海峡の名を挙げた。

異例の長期準備

土渕海峡横断から間もなく、川西は津軽海峡への挑戦を正式に発表した。

準備期間は二か月。

川西にとって、これは比較的長期にわたる調整だった。これまでの挑戦では現地到着後、数日以内に蹴り出していたが、今回は海流や風向きの調査に時間をかけた。

大学の研究者が身体姿勢を計測し、流体力学の専門家が潮の動きを分析した。川西自身もプールで一日に数百回、壁を蹴り続けた。

スポーツ用品会社からは、水の抵抗を抑える専用水着が提供された。

だが、川西は着用を断った。

「水着の性能で進んだと見られたくありません。人間そのもののけのびで渡ります」

その結果、全裸での挑戦となったが、運営側は競技上の選択として受け入れた。報道各社も身体の一部が映らない角度から撮影することで対応した。

成功を疑う声は、ほとんどなかった。

土渕海峡での実績がある。専門家による分析もある。二か月という長い準備期間も確保した。大間町では前夜から観光客が集まり、港には横断成功を祝う横断幕が先回りして掲げられた。

北海道側では到着式典が準備され、花束を渡す児童まで選ばれていた。

「土渕海峡を渡った人ですから、津軽海峡も大丈夫でしょう」

観衆の多くが、そう話していた。

川西自身も自信を見せた。

「けのびに必要なのは、速さではありません。止まらないことです」

十五メートル

午前八時、川西は大間崎を蹴った。

入水姿勢は完璧だった。

しぶきはほとんど上がらず、腕から足先まで一直線になった身体が水面下を滑っていく。岸から拍手が起こり、伴走船の実況担当者は「これ以上ない美しいけのびです」と声を上げた。

五メートル。

十メートル。

十五メートル。

そこで川西は止まった。

波に合わせて上下しているが、北海道方向へはほとんど進んでいない。両腕を伸ばしたまま、海面に浮いていた。

岸では、拍手がまばらになった。

「津軽海峡は約十八・七キロあるのに、なぜ十五メートルしか進めないのか」

中継番組の解説者は、率直な疑問を口にした。

観衆からも落胆の声が上がった。

「土渕海峡のときとは勢いが違う」

「二か月も準備して、これで終わりなのか」

中には、川西がすぐに泳ぎ始めると思った者もいた。しかし、腕や足を動かした時点で、けのびによる横断ではなくなる。

救助船のスタッフも手を出せなかった。

川西は顔を水につけ、指先を重ねたまま動かなかった。北海道の方角を確認することも、岸へ助けを求めることもしなかった。

約四分後、川西の身体が再び動き始めた。

潮が彼をとらえたのである。

最初は見間違いかと思われるほど遅かったが、川西は確実に岸から離れていった。速度は徐々に上がり、伴走船との距離も開き始めた。

先ほどまで失望していた観衆から、大きな歓声が上がった。

潮流による移動がけのびに含まれるのか、運営本部では急きょ協議が行われた。しかし、けのびとは最初の蹴り出し以降、自ら推進力を加えず進む行為である。

運営は、挑戦続行を認めた。

川西は再び津軽海峡を進み始めた。

東へ向かう身体

出発から三時間後、川西は岸から遠く離れていた。

だが、予定航路から少しずつ東へ外れていた。

潮は川西を北海道側ではなく、太平洋側へ運んでいた。

伴走船から拡声器で呼びかけが行われた。

「川西さん、進路が東へずれています」

返答はなかった。

けのびの姿勢を保ったまま針路を変えることはできない。方向を修正するには、片腕か片足を動かす必要がある。

スタッフは、挑戦を中止して救助を受けるよう呼びかけた。

川西は動かなかった。

北海道へ着くことと、けのびを続けること。その両立が不可能になったとき、川西は姿勢を守ることを選んだ。

午後になると、海上に霧が出始めた。

伴走船は川西の姿を追っていたが、大型船の航路を避けるため一時的に距離を取った。数分後、視界が開けたときには、海面に川西の姿はなかった。

午後四時十三分。

川西は、太平洋側の海上で見失われた。

消えた挑戦者

海上保安当局は直ちに捜索を開始した。

巡視船や航空機が投入され、漁船や貨物船にも目撃情報の提供が呼びかけられた。捜索区域は津軽海峡東部から太平洋側へと拡大された。

川西は水着も救命胴衣も身につけていなかったため、漂流物からの特定は困難だった。捜索隊には、両腕を頭上に伸ばした川西の姿勢を図示した資料が配られた。

「普通の漂流者とは形が違う。細長いものが海面に浮いていたら確認してほしい」

沿岸の自治体や漁業関係者にも、そう伝えられた。

大間崎には、無事を願う人々が集まり続けた。

土渕海峡横断の映像を見てファンになったという男性は、報道陣に語った。

「十五メートルで止まったときは期待外れだと思いました。でも、今はそんなことを言ったのを後悔しています。帰ってきてくれれば、それでいい」

北海道側で花束を渡す予定だった児童は、式典会場に残された椅子を見ながら、「まだこちらに向かっているかもしれない」と話した。

一方で、全裸で海へ入り、潮流だけに身を任せた計画への批判も出た。

「これは競技ではなく、ただの漂流ではないか」

「周囲が成功を確信しすぎて、危険を見落としていた」

運営責任者は会見で、救助を受けるよう何度も呼びかけたと説明した。そのうえで、川西が自ら姿勢を崩さなかったことについては、「想定していた以上に、けのびを優先した」と述べた。

捜索は十七日間続けられた。

航空機の飛行範囲は本州東方の海上にまで広がったが、川西の姿は確認できなかった。公式捜索が打ち切られた後も、複数の漁船が操業中に周囲を注意深く見回したという。

大間崎に掲げられていた横断幕は撤去された。

北海道側に用意されていた花束は、川西の家族へ渡された。

多くの人が、挑戦者は太平洋へ消えたと考えた。

カリフォルニアの海岸で

四か月後。

米国カリフォルニア州北部の海岸で、早朝に犬を散歩させていた住民が、水際に浮かぶ人影を発見した。

両腕を頭上へ伸ばし、両足をそろえた全裸の男だった。

救助隊が近づくと、男は自力で立ち上がり、最初にこう尋ねた。

「ここは北海道ですか」

川西直樹だった。

大きな外傷はなく、意識も明瞭だった。体重の減少や深刻な脱水症状も見られず、四か月間漂流していた人物とは考えにくい状態だった。

調査の結果、川西は津軽海峡から太平洋へ流れ出し、その後も海流に乗って北米大陸まで到達したとみられた。

しかし、食料も飲料水も持たない人間が、なぜ生き延びられたのか。

精密検査によって、理由が明らかになった。

川西は生物学上、植物だった。

外見や知能、社会生活は一般的な人間と変わらないが、細胞内に葉緑体を持ち、太陽光を利用して生命活動に必要な物質を作ることができた。

川西自身も、それまで自分が植物であることを知らなかった。

「昼間に外へ出ると元気になるとは思っていました。でも、誰でもそうだと思っていました」

さらに、川西が専用水着を断り、全裸で漂流していたことも生存に寄与した。身体の広い範囲に日光が当たり、海上で効率よく光合成を続けられたのである。

医師団は、川西を「人間としての自我を持ち、人間社会で生活してきた植物個体」と発表した。

世界最長のけのび

川西の生還は、世界的なニュースとなった。

大間崎での一蹴りから、途中で腕や足を動かすことなく太平洋を横断した。国際的な水泳団体は、川西の移動を史上最長のけのびとして認定した。

米国では歓迎行事が相次いだ。

沿岸の町ではパレードが行われ、市民たちは両腕を伸ばしたけのびの姿勢で川西を迎えた。学校では子どもたちが一斉に床を蹴り、廊下を滑ろうとする授業も行われた。

川西は、ホワイトハウスにも招かれた。

大統領は表彰式で、川西について「一度の蹴り出しによって太平洋を結び、人類と植物の可能性を同時に広げた」と称賛した。

川西には特別功労章が授与された。

会場は総立ちとなり、各国の記者から質問が飛んだ。

太平洋を横断した感想は。

世界的な英雄になった気持ちは。

植物だと知って人生観は変わったか。

川西は胸元の勲章を見下ろし、しばらく黙っていた。

「私は太平洋を渡ろうとしたのではありません」

通訳が英語に訳すと、会場は静まった。

「津軽海峡を渡ろうとしたんです。でも、北海道には着かなかった。だから、あの挑戦は失敗です」

記者の一人が、津軽海峡横断より太平洋横断のほうが偉大ではないかと尋ねた。

川西は首を横に振った。

「遠くへ行けばいいわけではありません。決めた場所へ着くことが、横断です」

再び、大間崎へ

帰国した川西は、すぐに練習を再開した。

市民プールの壁を蹴り、数メートル進んでは止まる。太平洋を横断した人物とは思えないほど、地道な反復だった。

世界各国の研究機関からは、植物としての身体を調査したいという依頼が届いた。宇宙空間での生存実験や、無補給航海への参加も打診された。

川西は、すべて保留にしている。

関心は今も、津軽海峡にしかなかった。

前回は潮の影響で東へ流された。次回は大間崎を蹴る角度をわずかに西へ向け、流される分を最初から計算に入れるという。

途中で腕や足を動かす予定はない。

「植物だから成功できるわけではありません。植物でも、けのびが下手なら北海道には着かない」

再挑戦の日程は発表されていない。

川西は大間崎を訪れ、前回蹴り出した岩場に足を置いた。目の前には津軽海峡があり、その先に北海道が見えた。

彼は両腕を伸ばし、指先を重ねた。

今度こそ向こう岸へ着けると思うかと尋ねると、川西は海を見つめながら答えた。

「また十五メートルで止まるかもしれません」

その声に迷いはなかった。

「でも、水が動いている限り、けのびは終わっていません」

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