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自分を動かす「もう一人の自分」

窓の外では、桜が咲き始めている。
何かを始めるには、ちょうどいい季節だ。

けれど、それだけでは人は動き出さない。

人は、ときどき声を出す。

立ち上がるとき。
何かを始めるとき。
少し気が重いことに手をつけるとき。

「よし」
「やるか」
「せーの」

誰に聞かせるわけでもない、短い言葉。
それでも、なぜか口に出る。

意味があるようには思えない。
けれど、その一言のあとで、体が動くことがある。

あるいは、「どっこいしょ」と言いながら立ち上がる人もいる。

ふと、祖母のことを思い出す。立ち上がるとき、必ずと言っていいほど、その一言を口にしていた。

誰に聞かせるでもなく、
ほとんど息のように、自然に。

あの声は、何をしていたのだろうか。

ただの癖なのか。
それとも、自分を動かすための合図のようなものだったのか。

この記事では、「声を出す」という小さな行為から、人が動き出すときに何が起きているのかを考えてみたい。

自分に向けた指示

私たちは普段、「考えてから動く」と思っている。

やるべきことを理解し、納得し、
そのうえで行動に移る。

けれど、理解していても動けないことがある。

やった方がいいと分かっているのに、
なぜか体が動かない。

このとき、何が足りていないのだろうか。

ひとつの見方として、
「指示がない」という状態がある。

仕事であれば、誰かからの依頼がある。
スポーツであれば、掛け声や合図がある。

そうした外からの指示があると、
人は比較的スムーズに動くことができる。

では、それがないときはどうするのか。

そのとき私たちは、
自分で自分に指示を出している

「よし」
「やるか」

声に出すことで、
曖昧だった意思が「命令」に変わる。

考えではなく、指示になる。

言葉にした瞬間、
それは自分の中だけのものではなくなる。

かたちを持たなかったものが、
触れられるものに変わるような感覚がある。

そのとき、体は動きやすくなる。

声は、自分を二人に分ける

ここで少し視点を変えてみる。

声を出すという行為は、
自分を二人に分けることなのかもしれない。

言う側と、聞く側。
指示を出す側と、受け取る側。

本来は一人の中にあるものを、
声にすることで切り分けている。

心理学では「セルフトーク」という考え方がある。
人は、自分に向けた言葉によって、思考や行動を変える。

スポーツの世界でも、選手が意図的に声を出すことで、動作の精度や集中力が高まることが知られている。

興味深いのは、声にすることで、同じ内容でも効果が変わる点だ。

頭の中で考えているだけの状態では、どこか曖昧さが残る。

けれど、声にした瞬間、
それは「外に出たもの」になる。

外に出たものは、もう一度、自分に返ってくる。

言葉は、一度外に出ることで、
初めて「他者の声」に近づくのかもしれない。

その往復の中で、人は動き出している。

人は、一人では動けない

ここまで来ると、少し違った見え方ができる。

人は、一人で動いているように見えて、
実はそうではないのかもしれない。

外からの指示があれば動ける。
それがなければ、自分でそれを作り出している。

声を出すという行為は、
そのための小さな仕組みなのではないか。

人は一人では動けない
だからこそ、自分の中に「もう一人」をつくる。

そう考えると、祖母が口にしていた「どっこいしょ」という一言も、少し違って見えてくる。

あれは単なる癖ではなく、何かを始めるための、
静かな合図だったのかもしれない。

行動は、きっかけから始まる

私たちはつい、行動を「やる気」や「意思」の問題として捉えてしまう。

やる気があるから動く。
意思が強いから続く。

けれど実際には、
もう少し手前のところに、別の要因がある。

それは「きっかけ」だ。

行動は、動機や能力だけで決まるわけではない。
そこに「きっかけ」が加わって、初めて動き出す。

どんなにやる気があっても、きっかけがなければ動けないことがある。

逆に、きっかけさえあれば、それほど強い意思がなくても動けることがある。

声を出すという行為は、そのきっかけを自分で作る方法のひとつなのだろう。

小さくて、些細で、ほとんど意識されないような行為。

けれど、その一言が、
止まっていたものに、そっと触れている。

自分を動かす仕組み

もしそうだとすると、
大事なのは「意思の強さ」ではなくなる。

自分を動かすための仕組みを、
持っているかどうか


声を出す。
環境を整える。
最初の一歩を決めておく。

方法はいくつもある。

たとえば、コーヒーを淹れること。
シャワーを浴びること。

その中のひとつとして、
私たちは無意識に「声」を使っている。

日常の中に紛れている、小さな仕組み。

それに気づくと、
少しだけ、動き方が変わるかもしれない。

たとえば、何かに取りかかる前に、
ほんの一言、声を出してみる。

大きな言葉でなくていい。
誰かに聞かせる必要もない。

「よし」でもいいし、
「やるか」でもいい。

あるいは、自分なりの合図を決めておいてもいいのかもしれない。

その一言が、きっかけになることがある。

祖母が立ち上がる前に、
いつも小さく口にしていたあの一言。

意味があるとも、ないとも言えない、短い言葉。

けれど、あの声のあとで、確かに体は動いていた。

もし、動き出したいと思うときがあれば、
まずは声を出してみる。

それは、もう一人の自分に向けた、
最初の一言になる。

最後になりましたが、
この記事を書くきっかけとなった、
こうじ さん の記事をご紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございます。

この記事が、何かを始めるときに、ふと浮かぶきっかけになれば幸いです。

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