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ハッピーライティングマラソン#37『最近、心が「軽くなった」と感じた選択は?』その①

誰かの気持ちを満足させなければならない、と思うことを辞めました。
それは不可能なことだから。
逆もまた真なり。私を幸せにできるのは私自身のみである。

「誰かの気持ちを満足させなければならない」と思い込んでしまっていた原因は、母との関係性にあります。
幼いころから私が母親の思うように行動したり発言したりしないと、母はみるみる不機嫌になりました。眉間にしわを寄せて不満を口にする母の姿は醜くかった。母をそのような姿にしてしまったことに私は怖れ、罪悪感を深く抱いたのでした。

誰かの気持ちを満足させることは不可能であると気づいたのは、Youtubeの仏教法話でした。最近よく聞いていたのは、高野山大学のYoutubeです。空海は利他の実践を大切な教えとしていたそうで、法話内で「利他の実践」という言葉をしばしば耳にしするようになりました。私はその度に、反射的に「利他=自己犠牲」という図式が頭に浮かび、何とも嫌な気持ちになったのでした。

言うまでもないことですが、仏教でいう「利他」は自己犠牲ではありません。
以下、NHK出版『はじめての利他学』の紹介ページより引用します。
“「利他」という言葉を日本で初めて使ったのは空海だと言われていますが、空海は単に「利他」と書くのではなく、「自利利他」と書いています。「利他」は「自利」と切っても切れない関係にある。さらにいえば、「自利」こそが「利他」の土壌であるとすら空海は考えていたのです。”

上記説明を読んでも、よく分からないなあっというのが本音です。利他については鋭意勉強中ですが、一生かけても真の理解にはたどり着けないかも…。
今の私なりの解釈ですが、利他とは他者にとって真に必要なことに手を差し伸べること。それは感情レベルから離れて、もっと視点を上げていかなければ見えてこないものなのでしょう。

ただ、「利他=自己犠牲」という私の思考はイビツなものだったのだということは、腑に落ちました。
自利と自己犠牲は相反するものだから。
そして、誰かの気持ちを満足させることを自分に強いることを辞めました。

それからほどなく、私は面白い夢を見ました。
私は飛行機の客室乗務員をしています。
中継地で数日休みを取り、次の乗務のために空港へ向かわなければなりません。
けれど、荷造りができておらず焦りまくっています。
目の前に私物が山のようにあり、必死にカバンに詰め込んでいます。
なぜかワインボトルが2本あります。
お酒が飲めないのに、なんでこんな重いものがあるのだろう?と不思議に思いながら、ワインボトルをそのままに出発しました。

夢のメッセージは明白です。
ごちゃごちゃの私物は私の意識。整序されておらず自分自身で把握できていません。
ワインボトルは、誰かが必要だろうと思って持っていた荷物。
私が誰かの気持ちを満足させようと重たいワインをもち続けていても、結局は独りよがりで、誰も飲まなかった。
ようやく、自分に不要なワインボトルを置き捨てて出発することができました。

次は、ごちゃごちゃの私物を整理して、自分の意識をきちんと把握することです。
最終的には私物も捨て、身一つで旅立つようになりたいぞ。


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