「徳を積んだ」で口惜しさは消えない。納得できない気持ちのまま、生きてもいい
「あとで払う」が30年続いたら
友人との旅行代を一人がまとめて払う。
同棲中の家具や家電を片方が立て替える。
「あとで送るね」と言われ、そのまま待つ。
金額は違っても、「今は自分が払っておく」という場面は、若い世代にも珍しくありません。
たいていは数日か数か月で終わる話です。けれど、その「あとで」が何年たっても来なかったら。関係が変わり、連絡も取りづらくなり、約束を信じているうちに、取り戻す手段まで失ってしまったら。
今回の相談は、その「あとで」が30年続いた話でした。
相談者は71歳の男性です。
約30年前、亡くなった親の遺骨が斎場に預けられたままになっていました。そこで5人きょうだいで相談し、150万円をかけてお墓を建てることにします。
負担は1人30万円。相談者が全額を立て替え、あとからそれぞれが払う口約束でした。
しかし30年たった今も、支払いはほとんど終わっていません。兄2人は未払いのまま亡くなり、妹2人からも一部しか受け取れていない。相談者は、きょうだいなら裏切らないだろうと信じて待っていました。
その間に、法律の力で請求できる期間も過ぎてしまいました。
お墓の話は遠く感じても、身近な人とのお金の約束を、信頼ゆえに曖昧にしてしまう構図は、旅行代の数千円から150万円まで地続きなのだと思います。
※本記事は、ニッポン放送「テレフォン人生相談」2026年7月18日放送回と、その書き起こし記事「読むテレフォン人生相談」さんの内容をもとに、一リスナーとしての感想と考察をまとめたものです。
法律では取り戻せない
回答した塩谷崇之弁護士は、長い間請求していなかったため、消滅時効の問題があり、今から法的に支払いを求めるのは難しいと説明しました。
さらに、お墓は相談者名義であり、自分が親のために買ったものだと割り切るしかない、と助言します。
法的な手段が残っていない以上、気持ちの整理に話を移すのは現実的なのでしょう。
けれど、私はそこで立ち止まりました。
相談者が欲しかったのは、お墓という財産ではありません。「5人で負担する」という約束が守られることだったはずです。
自分のものになったのだからいい、と考え直すだけで、その口惜しさまで消えるのでしょうか。
身近な人ほど、約束は曖昧になる
こう言ってはなんですが、私自身にも疎遠にしているきょうだいがいます。
つくづく、「きょうだいは他人の始まり」とはよく言ったものだと思います。
きょうだいだから信頼できる。きょうだいだから面倒を見なくてはならない。そんな前提は、必ずしも持たなくていいのでしょう。
友人より少し近いこともあれば、少し遠いこともある。その程度の距離感でもいい。
友人と150万円の負担を相談するなら、口約束だけでは済ませないはずです。金額や期限を確認し、メッセージや書面に残すでしょう。
けれど、相手が身近であるほど、「そこまで細かく言わなくても」と考えてしまいます。
信頼と記録は反対のものではありません。
記録を残すことは相手を疑うためではなく、未来の自分たちが、記憶の違いや状況の変化で揉めないための準備なのだと思います。
過去の判断を責めても仕方がない
もちろん、今ならいくらでも言えます。
書面にしておけばよかった。
もっと早く請求すればよかった。
けれど、相談者ときょうだいたちは、30年前には良好な関係だったのでしょう。約束が守られないとは思わなかったから、相談者は全額を先に支払った。
結果を知っている側が、「甘かった」と片づけるのは簡単です。
恋人と暮らし始めるとき、別れる日のことまで考えて家具の所有者を決める人は多くありません。友人と何かを始めるときも、仲違いを想定して細かな取り決めをするのは気が引けます。
信じていたから、決めなかった。
その過去を責めるより、今を生きる私たちが教訓として受け取るしかありません。
「徳を積んだ」で終われるのか
玉置妙憂さんは、誰も動かなかったなかで母の遺骨を引き取り、お墓を整えた相談者に、「徳を積んだ」と声をかけました。
その行動に大きな意味があることは、私も否定しません。
変えられない現実に対して、自分の中で意味づけを変える。そうすることで、これ以上苦しまないようにする。それも一つの心の守り方です。
ただ、すべての人がその方法で救われるわけではありません。
「徳を積んだと思うことにする」自分がいる一方で、約束を破られて口惜しかった自分もいる。そのことを、自分自身は知っています。
友人に貸したお金が返ってこなかったとき、「人助けをしたと思えばいい」と言われても、気持ちが収まるとは限りません。
「勉強代だった」
「いい経験になった」
そう言い換えるほど、処理しきれない感情が浮かび上がる人もいるでしょう。
今回の相談は、徳の話として包む前に、ただ約束が守られなかった話として受け止めてもよかったのではないでしょうか。
平穏だけが正しい着地点なのか
相談者は、親族会議を開くために手紙を送りましたが、返事はありませんでした。
それでも私は、法律とは別に、話し合おうとする行動を続けてもいいと思います。
お金が戻る可能性は低いかもしれない。さらに傷つくかもしれない。それでも、「自分は納得していない」と伝えることには意味があります。
心の平穏だけが、人生の正しい着地点とは限りません。
約束を破られたことを、なかったことにしない。納得できないものを、納得できないまま抱えて生きる。
そういう生き方もあると思うのです。
相談者が手放せないのは、130万円だけではありません。
約束は守られるものだ。
信じた相手には誠実でいてほしい。
そんな自分の感覚なのかもしれません。
「徳を積んだ」と包む前に、「約束を破られて、口惜しかったのですね」と、そのまま受け止める時間があってもよかった。
人は、すべてを美しく納得してから前へ進むわけではありません。
納得できないまま、それでも今日を生きることもあるのです。
出典・参考
本記事は、
ニッポン放送「テレフォン人生相談」
読むテレフォン人生相談
を拝聴・拝読し、一視聴者としての感想と解釈をまとめたものです。
いつも貴重な書き起こしを公開してくださっている「読むテレフォン人生相談」さんに、感謝を込めてリンクを貼らせていただきます。
