私の心に残った白井鐵造の言葉②――「虞美人、上演やめる」
時は戦後。
人々が夢を求めて劇場に押し寄せた時代。
宝塚に、演出家本人から突然の電報が届く。
「虞美人、上演やめる」
理由は――畑仕事が忙しいから。
冗談のようだけれど、彼は本気だった。
『虞美人』は1951年に白井鐵造が手がけた、宝塚歌劇史上初の一本立て作品です。(一本立て:1幕・2幕とも芝居/二本立て:1幕が芝居、2幕がショー)
上演されるや連日満員の大盛況で、戦後最大の記録を打ち立てました。
その『虞美人』が、生まれなかったかもしれない――。
いったい何があったのでしょうか。
白井は1940年に宝塚を辞めた後、東宝で男性俳優を加えたミュージカル『エノケン竜宮へ行く』や『木蘭従軍』を演出しました。
しかし戦争の影響で日本中の劇場が閉鎖され、豊橋へ疎開。そこで百姓生活を送ることになります。
終戦後も東宝で笠置シズ子主演の『ジャズカルメン』を演出するなど舞台の仕事は続いていましたが、百姓仕事にも強い興味と自信を持つようになった彼は、「演出の仕事がある時だけ上京する」という生活を選んでいました。
1946年4月、宝塚が再開。
翌年、『モン・パリ』初演20周年の記念公演をきっかけに宝塚へ招かれ、再び宝塚で演出を手がけるようになります。
そして1951年。
10年ぶりに宝塚に戻った白井が手がけたのが『虞美人』でした。
8月の上演に向け、6月に豊橋で脚本の執筆を開始。
しかしこの時期、畑はさつまいもの苗を植える作業で一番忙しい季節でした。
私は皆がいそがしく仕事をしているのを見ると、ちょうどお祭りの太鼓が聞こえてくると、勉強を捨てて飛び出して行った子供の時のように、私も座って本などを書いていられなくなってしまった。そして、どうしても畠へ出たくなって「虞美人、上演やめる」と宝塚へ電報を打って、百姓をしていたのであった。
宝塚からは何度も催促の電報が届き、そのたびに理由をつけて延ばしてほしいと頼んだそうです。
そうこうしているうちに、さつまいも畑の仕事もひととおり片付き、気持ちも切り替わって一気に脚本を書き上げたといいます。
こうして誕生した『虞美人』は、宝塚初の一本立て大作として連日満員を記録し、組を替えて3か月の続演という大成功を収めたのでした。
大作の演出家でありながら、畑に呼ばれて本気で「上演やめる」と電報を打ってしまう。
なんとも人間味にあふれたエピソードです。
舞台と同じように土に向き合い、作物を育てることにも誠実だった人。
そんな白井先生に、私はますます魅力を感じてしまいます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
参考文献
白井鐵造著『宝塚と私』中林出版、1967年、p.159-181
