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「行ってきます!」が、こんなにも泣けるなんて。

【はじめに】
このお話は、数年前に我が家に起きた実際の体験をもとに綴ったエッセイです。

医療的な正確性を解説するものではなく、当時の私たち家族の心の葛藤と、命を繋いでくださった医療従事者の皆様へのあふれる感謝、

そして現在の日常の有り難さを書き残したいと思い、noteのコンテストに応募させていただきました。

一つの家族の物語として、温かく見守っていただけますと幸いです。


「複数の心奇形が重なっていて、非常に珍しい状態です」

お腹の中に新しい命が宿った喜びの絶頂で、私たちは突き落とされました。

告げられた病名は「大血管転位症」など、心臓に関するいくつかの病名でした。

医師から告げられたその言葉に、頭の中が真っ白になったことを覚えています。

これから生まれてくる我が子は、一体どうなってしまうのだろう。

もちろん子供のことが何よりも心配でしたが、同時に、親としてのこれからの生活や未来への漠然とした恐怖が、暗雲のように私たち夫婦を包み込んでいました。

出産が近づいたある日、医師から手術の具体的な説明を受けました。

「この手術には、命に関わる重大な合併症や死亡のリスクが約10%あります」

医療知識のない私は、その数字を聞いて「90%なら助かる可能性が高いんだ」と、すがるように安心しようとしました。

しかし、医師の表情は険しいままでした。

「医療において、10%という数字は決して低いものではありません。」

そこから語られる、起こりうるリスクの数々。
説明を聞けば聞くほど、胸が張り裂けそうになりました。

現実の重みが容赦なくのしかかってきます。けれど、ここで私たちが足を止めたら、この子は生きることができません。

「お願いします。」

私たちは震える手で、手術の同意書にサインをしました。

無事に我が子が生まれ、経過を見守り、ついに迎えた手術当日。

朝から夜まで、一日がかりの長い長い手術でした。出産を終えて退院した妻も、幸い体調に問題はなく、一緒に待合室の椅子に座っていました。

静まり返る待合室で、私は心の中で最悪の結末ばかりを頭によぎらせていました。

最悪の事態が起きても、自分が崩れてはいけない。妻を、家族を支えなければいけない。

「これから何があっても、私は大丈夫だ。絶対に乗り越える」

そう自分に何度も念じ、張り裂けそうな心を必死で奮い立たせていました。

どれほどの時間が経ったでしょうか。
手術室のランプが消え、主刀医の先生が直接、私たちの元へ歩いてきました。

「無事、手術は成功しました。」

その言葉を聞いた瞬間、体中の力が抜けました。
先生の手元に目をやると、長時間手袋をはめ続けていた先生の手は、白くふやけていました。

その手が、我が子の命を繋ぎ止めてくれたのです。言葉にできない圧倒的な感謝の気持ちが、胸の奥から溢れ出して止まりませんでした。

あれから、2歳になるまでに、さらに2回の手術を乗り越えました。

「当面は、もう手術の必要はありませんよ」

先生からそう言われた時は、ようやく一つの大きな山を越えたのだと実感できました。

そして現在、息子は6歳になりました。
今年から小学校一年生です。

生まれた当初は、「この子は普通に学校に通うことすらできないかもしれない」と覚悟していました。

激しい運動には制限があるものの、医師からは「学校までの1キロの道のりを歩く分には、全く問題ありません」と言ってもらえました。

入学当初は心配で、学校まで一緒に手を引いて歩いていました。

けれど、子供の適応力は親の想像を遥かに超えていきます。

今では、自分の体より少し大きく見える、重いランドセルをしっかりと背負って、1人で歩けるようになりました。

「行ってきます!」

ある朝、玄関で元気よくそう言って、振り返りもせず歩き出した小さな背中。

あの日、暗闇の中で怯えていた私たち。あの日、我が子の命を救ってくれた先生のふやけた手。

これまでのすべての景色が頭を駆け巡り、気付けば涙が溢れていました。

かつては叶わないかもしれないと覚悟した、重いランドセルを背負って学校へ向かう姿。

そんな、どこにでもある「何気ない普通の生活」が、私たちにとって、どれほど奇跡のようで、どれほど幸せなことか。

息子の小さな背中は、何でもない普通の毎日こそが、人生でいちばん尊いものなのだと教えてくれました。

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