『地面から、こんぬつあ。~アドラーもびっくり、嫌われて大喜びの民~』
東北の訛りは、とても素朴だ。
おもむろに口から「んだ」とか「〜だべ」、ときには「あいや〜」「わや〜」などとこぼれ落ちれば、全身の骨が抜けたような妙な脱力に見舞われる。
そして、お腹の底あたりから、だいじぶ(大丈夫)という、裏付けなどどこにもない、面の皮の厚い不敵な自負が湧き上がってくる。
この「あいや〜」という言葉、東北では「あらまあ」「なんと!」「やっちまったなぁ!」「びっくり」「あちゃ〜」、果ては「Oh dear!」に至るまで、ありとあらゆる驚きと絶望と脱力をカバーする便利な万能ワードなのだが、いかんせん口から出すと中華の風が強すぎる。
自分が東北の民(みちのくの住人)なのか、それとも横浜中華街からやってきた怪しい中国人なのか、だんだん自己喪失を起こして迷子になった。
そんな東北の訛りだが、都会の人からは一体どう思われているのだろうか。少なくとも、パリジェンヌへの憧れのようなキラキラしたものは、逆立ちしたってなさそうだ。
おそらく、洗練さとは程遠い「ちょっとダサいもの」として、人によっては「嫌だな」と、ちょっぴり不快に思われたりしているのかもしれない。
まったくもって垢抜けてはいない。洗練とは真逆の、不純物だらけだ。おかげさまで、私のような者がひとたび都会の風に吹かれると、洗練された人たちから「あら、ダサい田舎っぺが歩いてるわ」などと、冷ややかな目を向けられること請け合いである。
そうやって人から冷遇されたり嫌われたりすることに対して、世間は随分と敏感なようである。
今の時代、『嫌われる勇気』を読んだことがない人間を探す方が、かえって骨が折れるのではないだろうか。これは、他人の評価を気にせず、自分の課題に集中せよと説くアドラー心理学をもとに、他者から嫌われることを恐れない覚悟を持てと諭す、大ベストセラーの自己啓発書である。
私は、そのような名著を読んだことがない。人から嫌われるということに対して、勇気を必要としたことがないのだ。
嫌われるのはちっとも嫌ではないし、むしろ「ありゃ〜、嫌われちゃったよ」と面白がって、なんならちょっと嬉しくなってしまうタチである。我ながら、なかなかに性格がねじ曲がっている。
普段はのへらーっと締まりのない顔をして生きているくせに、いざピンチやトラブルが勃発すると、にわかに張り切って頭の回転がやたらと速くなるという、実に変てこりんな性質を持ち合わせている。
修羅場を前にすると、怯えるどころか不謹慎にもワクワクと面白がってしまい、「よし、まかせとけー!」などと妙に元気ハツラツになってしまうのだから、我ながら少々つける薬がない。
そんなこんなであるからして、人から嫌われるという事態に直面しても、「あ、これネタにするのに最高だな」などと、商売道具を見つけたような目でしか見ていない。
それどころか、私のことを嫌うがあまりに、あちら様がストレスで寿命を縮めているのではないかと考えると、なにやら気の毒で心配にすらなってくる。
ストレスは体に良くない。うん。
そんな私が、日頃から実践している都合のいい世渡り術がある。周りが勝手に設定してくる期待のハードルを、最初から地面の底深く、マイナス100点くらいの場所に埋める(無敵のセーフティーネット)作戦だ。
大訛り、田舎っぺ、情けなさ、ダサさ、そして救いようのないアホさ。これらを隠すどころか、最初からフルオープンにして店先で大安売りしておく。
この作戦の素晴らしいところは、安全第一、ローリスクな点にある。
周囲からの初期評価を、あらかじめ、マイナス100点に設定しておけば、万が一そこからさらに評価が下がったとしても、もともと地面に埋まっているのだからこれ以上落ちて大怪傷を負うことはない。
高い高い高層ビルから突き落とされれば、人間はひとたまりもなく木っ端微塵になって即死してしまうが、最初から土の中に潜り込んでいれば、これ以上転びようがないのではないかと考えついた。
とても合理的で、超・エコ(というか、ただのズボラ)な生き方だと言える。
ダサい、キモい、大いに結構。
「とんでもない田舎っぺがいたもんだね」と、哀れみの目で鼻で笑いながら私を見下すあなたのそのアホ面は、眺めていると味わい深くて嫌いじゃない。
上から目線で優越感に浸っているその間抜けな顔こそ、最高の娯楽なのだ。
そんなおめでたいあなたに向けて、私は今日も地面の底から、とびきりの親愛と、ほんの少しの嘲笑を込めて投げキッスを贈る。チュッ♡
このように、地面の底にマイナス100点のアホとして埋まっていると、人間というのは恐ろしいくらいに図々しくなれるもだと気付いた。
いつの間にか私は、人前で堂々と自分の意見を述べたり、頼まれもしないのに不躾にふざけ倒したりすることに対して、躊躇しない立派な変人になっていた。
もちろん、私の放った渾身のギャグや意見が、周囲の冷ややかな空気によって綺麗に無視されたり、見るも無惨にスベり倒したりすることも日常茶飯事である。
そうなれば、いたたまれなさと恥ずかしさでその場から静かに蒸発したくなるところかもしれない。
私の場合は、周囲が静まり返ったその瞬間、私の心の中ではイェーイと盛大な歓声が響き渡り、がっちりとガッツポーズを決めている。
私にとって、スベるということは失敗ではなく、一つの完成された芸風であり、一種の誇りすら感じている。
私がこうした戯言を繰り出すのは、大抵が仕事の合間合間の、バタバタと忙しく動き回っている最中である。その場を離れて次の業務へと足を動かしているうちに、どうでもよくなってくる。
先日は、床に落ちている汚いゴミを素手で拾おうとしている真面目な同僚に向かって、背後から「バァーーン!!!爆発するよ!!!」と大声で脅かして盛大に嫌がられたばかりだ。
自分がベッドにつまづいて転びそうになった際には、恥じるどころか「いてて!!!なんだぁ!!!」とベッドに向かって理不尽に八つ当たりして絶叫し、何か不都合があれば「たすけてーーー!!!」と職場の中心で恥も外聞もなく救難信号をあげる。
自分の放った言葉に一切の責任を持たず、スベっても大喜びなのだから、これほど気楽でエコな生き方はない。私の脳みそというのは、都合のいい仕様にできているのかもしれない。
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