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『ごめんなさいが、届かない距離。』



大人たちは言う。



「ちいちゃんは3歳のとき、小鳥を死なせたんだよ。」



私には、その記憶がひとかけらもない。




だけど、言葉だけが冷たく部屋の隅に転がっている。




家には、手乗りのオカメインコがいたらしい。
名前も、羽の色も、どんな声で鳴いていたのかも、私の頭の中には残っていない。







ただ、とても人懐っこい鳥さんだったと聞いた。




ある日、その子がピョコっと、小さな籠の扉から外に顔を出した。




3歳の私は、ただ、びっくりしたのだと思う。
悪意なんてなかったはずだ。
だけど、小さな手は、勢いよくガシャんと扉を閉めてしまった。










それだけで、ひとつの命が消えた。







大人たちは、それを「子供の無邪気な残酷さ」として語る。
「覚えていないの?」と、責めるように、あるいは哀れむように聞いてくる。




どれほど愛らしい姿をしていたのだろう。




カゴを開けられて、ピョコっと飛び出したというのは、どれほど嬉しかったのだろう。きっと、遊べると思って出てきたのだと思う。


実際に見つめ合った記憶も、その温もりを掌で感じた記憶もない。それなのに、大人たちの言葉によって、かつて自分のそばに、小さくて愛くるしい命が確かに存在していたこと、そして、それを自分の手が奪ってしまったという事実だけが心に刻まれている。



私は、大人の人間に対してはとことんドライだ。他人の感情の機微にも、世間の騒がしさにも、冷ややかなほどに関心を持てない。防護服を着たみたいに、心を硬い殻で覆って生きている。


それなのに、小さな生き物や、言葉を持たない弱い立場の存在を想うとき、そこは私の感情の防波堤が、決壊する場所へと変わる。





いつもは頑丈なはずの殻が、



あっけなく粉々に砕け散ってしまう。



どうしてなのか、自分でも理由がわからない。



ただ、その小さきものたちの痛みを想像するだけで、胸の奥から堰を切ったように、とてつもなく涙が溢れて止まらなくなるのだ。




それはまるで、私の体に最初から組み込まれていた、制御不能な痛覚のようだった。





痛かっただろう。苦しかっただろう。
あの子は、何ていう名前だったのだろう。


せめて名前だけでも呼んであげられたなら、この胸の痛みは少しだけ行き場を見つけられたのだろうか。



何も知らない私のせいで、冷たい金属に挟まれた瞬間の衝撃を想像すると、また視界が歪んでいく。溢れて、溢れて、どうしても涙が止まらなくなる。


会ったこともない、触った記憶もない、私が殺してしまったという小さな命。鳥さんのことを考えると、いま流しているこの涙が、その乾いた羽を濡らしていくような気がする。





ごめんなさい、ごめんなさいと、
頭の中で知らない鳥さんに謝り続ける。





けれど、私の声はどれだけ叫んでも、



あの日の籠の向こう側には届かない。




子供は純粋だ。


純粋だからこそ、


加減を知らなくて、


恐ろしいほど残酷だ。



そして、そんな過去をいつまでも掘り返して、消えない罪の意識を植え付ける大人たちも、同じように残酷だと思う。
子供も、大人も、人間という生き物が、私はどうしても苦手だ。




記憶のない私が犯した罪と、理由もわからず溢れ続けるこの涙は、一体どこへ行くのだろう。






この罪を背負ったまま、これから先、どこまで行くのだろうか。





私はそれでも、自ら命を絶つことはせず、今もここに居る。
大した功績もないけれど、ただ生きているし、何かに生かされている。



今でもなお、あのガシャんという幻聴のような音と一緒に、冷たい籠の中に閉じ込められたまま、外の世界をじっと見つめている。




神様、どうか。




私のせいで空を奪われたあの子を、光の溢れる、明るくて綺麗な場所へ住まわせてあげてください。





届かない謝罪の代わりに、せめてその願いだけが、あの日の籠の隙間から、高く、遠い空へと昇っていくことを祈り続けている。






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