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第一話(1/3) 琥珀色の嘘と、紅の証言

窓の外では、十二月の冷たい雨が容赦なくアスファルトを叩いている。

その音は、どこか遠い異国の軍靴の足音のようにも聞こえ、街灯の光を乱反射させる夜の帳は、深い海の底を思わせた。

そんな夜、商店街の隅に灯る「まどろみ」の暖簾をくぐれば、微かな出汁の香りと、熟成された酒の匂いが、凍えた肺を優しく撫でてくれる。

「……不可解、という言葉は、こういう時のためにあるのかもしれないな」

カウンターの隅で、若き刑事・蓮見は、手元のビールの泡をじっと見つめていた。その表情は、解けない数式の前で立ち尽くす学者のようでもあり、あるいは道に迷った幼子のようでもあった。

「あら、蓮見さん。そんなに眉間にシワを寄せていたら、美味しいお酒が逃げてしまうわよ」
隣で朗らかに笑うのは、近所でブティックを営む貴子さんである。彼女は、冬の夜に咲く一輪の椿のように、その場を華やかに彩る術を心得ていた。

「いや、面目ない。実は、昨夜の盗難事件で頭を悩ませていましてね」

蓮見が語る事件の輪郭は、奇妙なほどに歪んでいた。

商店街の自治会館から消えた、祭りの積み立て金五十万円。容疑者は、その時別棟の事務室にいた事務員の佐久間という男。本館と別棟を隔てるのは、屋根のない二十メートルの中庭。

「昨夜は、今夜にも勝る豪雨でした。傘を差していても、膝下まで飛沫を浴びるほどです。しかし、佐久間が別棟へ戻ってきた直後、彼を目撃した者はこう証言しているのです。――彼のスーツは、一滴の雨粒も、一筋の湿り気さえも纏っていなかった、と」

店主は、黙って包丁を動かしていた。

まな板を叩く軽やかな音だけが、店内の静寂を律動させている。

「傘も、レインコートも、タオル一枚も現場には残されていない。ゴミ箱から天井裏まで調べ尽くしたが、彼が『雨』と接触した痕跡が、物理的に存在しないのです」

貴子さんは、おちょこを揺らしながら、事も無げに言った。

「単純なことじゃない、蓮見さん。それは『着替え』を用意していたのよ。本館に忍び込んで金を盗んだ後、あらかじめ隠しておいた新しいスーツに着替え、濡れた服をどこかへ消し去った。正統派の、着替えトリックというやつだわ」

蓮見の瞳に、僅かな光が宿った。

「……着替え。なるほど。盲点でした。確かにそれならば、乾いたまま姿を現すことは可能だ」

「明日、もう一度隅々まで探してみなさいよ。きっと、水を含んで重くなった重罪人の衣が、どこかに眠っているはずだから」

蓮見は、ようやく救いを得たかのように小さく頷いた。

その時、店主の包丁が止まった。

「お待たせいたしました」

静謐な声とともに差し出されたのは、あまりにも鮮烈な色彩を湛えた一皿だった。

砕かれた氷の海の上に、大葉の深い緑。その上に鎮座するのは、本マグロの紅、真鯛の透き通るような白、そして熟成されたカンパチの琥珀色。

「……これは」

蓮見が息を呑む。

お造りの断面は、剃刀で切り裂いたかのように鋭く立ち、照明の下で宝石のような光沢を放っている。

「お刺身は、鮮度が命です」

店主は、自らの仕事を確認するように、一点を凝視して言った。その声には、一切の虚飾が含まれていない。

「お刺身の表面は、放っておけば空気や水に触れ、すぐにその輝きを失います。だからこそ、私たちは一刻も早く『守る』術を持たねばなりません。切り立ての身に、薄く、しかし確かな結界を張るように」

店主は、小さな刷毛でカンパチの表面に土佐醤油を纏わせた。

琥珀色の身が、より一層深い輝きを増す。

「蓮見さん。もし明日、貴子さんの仰る『濡れた服』が見つからなかったら、またいらしてください。真実は時に、目に見える衣の中にではなく、その内側に隠されているものですから」

店主はそれ以上、何も語らなかった。再びまな板に向かい、静かに作業を再開した。

蓮見は、目の前の一皿が発する静かな威圧感に気圧されながら、箸を伸ばした。

舌の上で、真鯛の身が清冽に弾ける。

その清らかな美味の中に、蓮見は、まだ誰も触れていない真実の断片が、冷たく沈んでいるような予感を覚えた。

雨は、止む気配を見せなかった。

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