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第一話(2/3) 琥珀色の嘘と、紅の証言

翌日の夜も、空は厚い雲に覆われていた。雨こそ上がっていたが、湿り気を帯びた空気が、冬の夜の寒さをより一層肌に刺すような、重苦しい一夜だった。

「……なかった。どこを探しても、濡れた服など一着もなかったんだ」

居酒屋「まどろみ」の扉を開けるなり、蓮見が吐き出した言葉は、白い吐息とともに虚空へ消えた。その顔は昨日よりも色を失い、目の下には深い隈が刻まれている。

「おかしいわね。会館の物置も、植え込みの中も全部調べたの?」

貴子さんが、いぶかしげに首を傾げた。彼女の前には、丁寧に皮を剥かれた里芋の煮転がしが、上品な湯気を立てている。

「ああ。署員を動員して、中庭の排水溝の奥まで、金属探知機さえ持ち出して調べた。だが、佐久間が着替えたという形跡はどこにもなかった。彼が何かを捨てた形跡も、不審な荷物を運び出した形跡も、物理的に存在しない。……彼はあの豪雨の中、本館へ向かい、戻ってきた。それは間違いないんだ。だが、彼が戻った瞬間に彼に触れた同僚は、はっきりと証言している。『彼の肩も、袖口も、驚くほど乾いていた』と」

「魔法使いじゃあるまいし」

貴子さんが溜息をつく。推理が崩れ去った今、この場に漂うのは、逃げ場のない沈黙だった。

店主は、二人の会話に加わることはなかった。
ただ、黙々と次の料理の支度をしている。

今夜の店主が取り出したのは、昨日よりもさらに大ぶりな真鯛の半身だった。

店主は、濡らした清潔な布巾で、まな板の上の水気を拭い去る。

そして、昨日と同じように、刺身の五種盛りを作り始めた。

しかし、今夜の店主の所作には、奇妙なこだわりが含まれていた。

店主は、切り分けた刺身を盛り付ける前に、棚から一本のロールを取り出した。それは、どこの家庭の台所にもある、ごくありふれた透明なラップだった。

「……マスター。今夜は、ラップを使うのかい?」

蓮見が、力なく問いかけた。

店主は答えず、ただ手元に集中している。

店主は、刺身を並べる前に、器に敷き詰められた氷の山を、その透明な膜で丁寧に、そして隙間なく覆っていく。

「マスター、それはまた随分と丁寧な仕事ね。氷の上に直接置いた方が、風情があるんじゃないかしら」

貴子さんの言葉にも、店主は表情を変えない。
ただ、吸い付くように氷の形をなぞる透明な膜を見つめ、静かに呟いた。

「お刺身にとって、氷は命を繋ぐために不可欠なものです。ですが、水気は時として、素材が持つ本来の輝きを奪ってしまう。……この魚には、湿り気ではなく、ただ『冷たさ』という本質だけを届けたいのです」

店主は、ラップの上に瑞々しい大葉を敷き、切り立ての刺身を一枚ずつ並べていった。

本マグロの赤、真鯛の白、カンパチの琥珀色。
それらは、氷の冷気に守られながら、しかし一滴の水滴も纏わず、完成された静物画のようにその場に鎮座している。

「蓮見さん。表面が乾いているように見えても、その内側には、氷の冷たさがしっかりと息づいています。……大切なのは、見えない境界線をどこに引くか、ということかもしれません」

店主は、盛り付けを終えた一皿を、蓮見の前に静かに置いた。

そこには、氷の湿り気を一切寄せ付けず、しかしその冷たさを芯に湛えて供された、至高の五種盛りがあった。

蓮見は、目の前の刺身を見つめた。

透明な膜に守られ、一滴の水も纏わずに供されたその美しさが、何を暗示しているのか、今の彼にはまだ分からない。

ただ、店主が使い終わったラップを無造作に丸め、掌の中に隠して捨てたその一瞬の動作だけが、蓮見の視界の端で妙に鋭く残った。

「召し上がってください。温度が変わらぬうちに」

店主の静かな促しに、蓮見は吸い込まれるように箸を伸ばした。

外は再び、雨が降り始めていた。

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