熊を駆除できない社会──「共生社会」という名の無責任
はじめに──熊の出没が映す社会の盲点
山が静かに色づくころ、里に熊が下りてきた。2025年、日本列島では熊の出没が過去に例を見ない規模で拡大している。4月から8月までのわずか5か月で69人が被害に遭い、うち5人が命を落とした。出没件数は前年の1.4倍、北海道から東北、北陸にかけて、かつては「熊のいない地域」とされた場所にも次々と姿を現している。
行政は駆除をめぐって対応を迫られたが、判断は一様ではなかった。早期駆除を決めた自治体がある一方で、「共生の道を探る」として捕獲を見送る地域もある。社会は再び、命を守るための行為が「残酷か否か」という問いの前に立たされている。
SNSでは「殺さないで」「熊にも生きる権利がある」という声が溢れ、駆除を決めた自治体には非難が集中した。だが、その多くは熊が日常の生活圏に現れる現場を知らない人々の声である。「人間が山を荒らした」「熊の領域を奪った」といった主張は一理あるが、同時に現実を見えなくする一種の慰めにもなっている。
現場では、通学路を子どもが歩けず、農作業をあきらめる高齢者もいる。熊が現れたというだけで、生活の基盤そのものが失われる。そこには、善悪や自然保護の理念では測れない、現実の恐怖がある。
それでも、都会からは「共生を」という美しい言葉が響く。もちろん、共生を願う気持ちは尊い。だが、その善意が現場の理性を覆い隠してしまうとき、それはもはや優しさではない。熊をめぐる問題は、自然との対立ではなく、「感情が理性を凌駕する社会」の病理を映し出している。
熊を駆除できない社会──それは、自然との共生の問題ではなく、理性と感情の均衡を見失いつつある現代日本の鏡なのである。
歴史の現場から──熊駆除の変遷
かつて熊は、人間と自然の境界に存在する脅威であり、同時に畏怖と敬意の対象でもあった。明治から昭和期にかけて、日本各地で熊害が多発した。1915年、北海道苫前町の三毛別羆事件では7人が犠牲となり、全国に衝撃を与えた。1878年の札幌丘珠事件でも複数の死者が出ている。
こうした惨事を背景に、北海道では1966年から「春グマ駆除制度」が始まった。冬眠明けのヒグマを集中して捕獲・駆除し、人里への出没を防ぐ制度である。当時は「野生動物管理」よりも「人命と生業の防衛」が優先され、駆除は行政の当然の職務とされた。
しかし1990年、この制度は廃止される。ヒグマの個体数減少と、動物保護思想の浸透が背景にあった。以降、北海道をはじめ全国で方針は「必要最小限の駆除」へと転換し、駆除数は減少の一途をたどる。人と熊の関係は、「害獣」から「共生の対象」へと、わずか数十年で大きく変わったのである。
駆除できなくなった社会的背景
この変化の裏には、いくつもの社会的要因が重なっている。
まず、環境行政の理念転換である。1970年代以降、欧米の自然保護思想が日本にも流入し、「人間中心から自然共生へ」という価値観が広がった。生物多様性やエコロジーの概念が政策に取り入れられ、個体の駆除は慎重を要する行為とされた。
次に、世論とメディアの影響だ。SNS時代のいま、行政が駆除を決めるたびに「残酷だ」「人間のエゴだ」という非難が可視化される。担当者がリスクを恐れ、判断を先送りする傾向が強まった。一方で、被害地域の住民は「早く対応してほしい」と訴える。この二つの声のあいだで、行政は板挟みになっている。
そしてもう一つは、欧米から輸入された「動物愛護」という思想の影響である。イギリスでは1822年に世界初の動物保護法(マーティン法)が成立し、1824年にはRSPCA(動物虐待防止協会)が設立された。以後、19世紀後半にかけて動物の権利意識が欧州全域に拡大し、20世紀にはそれが「動物福祉」から「生命倫理」へと発展した。日本でも1980年代以降、この潮流が「共生」「調和」「命の尊重」という言葉として行政政策に定着していく。
本来それは、人間社会が自然への謙虚さを取り戻すための思想だった。だが、その理念が「命を奪うことはいかなる場合も悪」とする倫理にまで拡張されると、現実との摩擦が生まれる。熊を駆除できなくなったのは、制度や技術の問題というより、社会が「殺す」という行為そのものを忌避する文化的変化を経験したからである。
欧米リベラルが広めた「動物愛護という倫理」
現代の動物愛護思想は、単なる感情ではなく、一種の道徳体系として社会を形づくっている。「誰も傷つけないこと」「命を奪わないこと」を最上の善とする倫理観は、メディアや教育、法制度を通じて拡散し、政治的にも力を持つようになった。
だが、その理念が社会全体を覆うとき、「誰かが傷つく」現実を前に社会は身動きが取れなくなる。熊が人を襲っても、駆除をためらう。人命を守る行為が「非倫理的」と見なされる。善意が行動を縛るという逆説が、そこにはある。
過激化する動物愛護──感情と理性の狭間で
欧米では、毛皮反対運動から始まった動物保護が、やがて食文化や医療実験にまで及んだ。「動物を殺すな」というスローガンは、「肉を食べる人間を糾弾せよ」という形へと変わった。
ヴィーガン(完全菜食主義)運動は、その最たる例である。菜食そのものは個人の信念として尊重されるべきだが、やがてそれが他者への強制となった。欧州では毛皮産業が禁止され、動物由来製品の使用に法的制限が加えられている。倫理が制度化され、個人の選択が抑制される。「感情の倫理」が社会を動かす時代に、理性的な線引きが失われつつある。
「共生」という幻想──境界を失った社会
リベラルが掲げる「共生」という言葉は、当初、人と人との共存を意味していた。だが、その理念はやがて際限なく拡張され、異民族との共生、他文化との共生、さらに自然や動物との共生へと広がっていった。美しい言葉であるほどに、現実から離れていったのだ。
欧州では、多文化共生を掲げて大量の移民を受け入れた結果、社会の分断が進んだ。宗教や慣習の違いを超えて共に生きるという理想は、現実の街角で衝突に変わった。フランスでは暴動が繰り返され、スウェーデンでは治安が悪化し、ドイツでは統合政策が迷走している。アメリカでも、不法移民の急増が教育や医療、雇用の制度を圧迫し、「共生」は理想ではなく負担の言葉になりつつある。
それでもなお、リベラルの理想は拡張をやめない。人種の次は自然、自然の次は動物へ──そして「熊とも共生を」という言葉にまで至った。まるで人間の倫理の到達点が「すべての生命との共存」にあるかのように。しかし、それは思想としては美しく見える一方で、人間社会の秩序や安全の基盤を静かに侵食していく。
際限なき理想──「境界」を失った共生の行方
共生とは、本来、互いの違いを認めつつも境界を保つ知恵のことである。人間と熊の共生を考えるなら、明確な線引きが欠かせない。人の生活圏と野生の生息域が交われば、衝突は避けられない。共生とは衝突を否定することではなく、衝突を管理するための理性の仕組みなのだ。
だが、現代リベラルの「共生」は、境界そのものを悪と見なし、あらゆる違いを溶かそうとする。結果として、文化も倫理も均質化し、社会は曖昧な「優しさ」に包まれていく。境界を失った共生は、やがて「自己喪失」へと行き着く。
むすびに──線を引く勇気
共生という言葉は、しばしば人間の理想を映す鏡として語られる。だが、現実の社会でそれを実現することは、決して容易ではない。人間同士でさえ意見や利害が衝突し、完全な調和など存在しない。ましてや、野生の生き物との共生となれば、その難しさはさらに深い。
共生は努力によって維持される安定ではなく、常に緊張と危うさをはらんだ関係である。理想を掲げるほどに、現実の限界は見えにくくなる。「誰も傷つけない社会」「命を奪わない共生」──美しい言葉ほど、現実から遠ざかってしまうことがある。
熊が人を襲い、暮らしが脅かされるとき、人間は自然の一部であると同時に、自らの社会を守る責任を負う存在である。駆除をためらうことが「優しさ」ではない。守るべき命を守るために、痛みを伴ってでも決断しなければならない瞬間がある。その判断を支えるのは、感情ではなく理性だ。
駆除とは、自然との戦いではなく、人間社会の秩序を守る行為である。悲しみを伴う決断の中にこそ、理性ある優しさが宿る。「誰も悪くない」という逃避ではなく、「誰かが責任を負う」という覚悟が、社会を支えている。それは行政だけの責任ではない。現場に生きる人々だけではなく、私たち一人ひとりの責任でもある。
共生は、願えば成り立つ関係ではない。どこまで関わり、どこで線を引くか──それを見極める勇気が求められる。線を引くことは排除ではなく、秩序を保つための知恵である。
いま、線を引く勇気を失えば、被害は拡大し、守るべき命さえ失われていく。共生とは、理想ではなく現実の中で築く責任の形なのだ。
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