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理性なき「保守」──本来の保守主義の再発見

近年、ネットやメディアで「保守」を名乗る言論や運動が目立つようになっている。なかには、いわゆる“世直し警察系”ユーチューバーが、街頭で拡声器を手に自ら不道徳と見なした相手を過激に糾弾し、その様子を動画で拡散して注目を集めていた。その後、この人物は保守を自称して市議会選挙に出馬し、落選こそしたものの驚くほど高い票を集めたのである。

さらにネット空間では、過激なナショナリズムの言説が広がりを見せている。しばしば強い愛国心や反左翼的な主張を掲げるが、その言動は感情的で過激になりやすく、議論よりも敵対や糾弾を優先する傾向がある。

しかし冷静に見れば、これらの行動は拡声器での糾弾や個人情報の晒しといった、かつての左翼運動家が好んだ手法に近い。しかも本来の保守主義が重んじる理性や秩序の精神とは正反対にある。ここにこそ、日本における「保守」という言葉のねじれが象徴的に表れているのである。

日本の保守はなぜ「ねじれた」のか

現代日本の「ねじれた保守」を理解するには、戦後の言論空間の変遷を見なければならない。GHQの占領政策と戦後左翼運動の影響が、長らく日本の学界・教育界・マスコミを支配し、自虐史観や左翼・リベラル思想が支配的な価値観として定着していた。

冷戦の終結、国際情勢の緊迫化、そして長期的な経済停滞や将来への不安が社会に広がった。2012年に誕生した第二次安倍晋三政権は、こうした閉塞状況を打破するために「戦後レジームからの脱却」を掲げ、保守主義の立場から改革を図ろうとした。国家の安全保障体制を再構築し、国際社会における日本の地位を回復させるという明確な方向性があったのである。

その後、社会全体の言論空間において、理性的な保守主義と感情的なナショナリズムが同じ「保守」の名の下に混在し始めた。やがて「保守」という言葉は、次第に反左翼と同義語のように受け取られる状況へと変質していった。地上波や新聞といった旧来メディアの影響力が低下し、ネット空間の拡大によって従来は周縁にあった過激なナショナリズム的言説が直接拡散されるようになった。その結果、秩序や伝統を重んじる本来の保守思想とは異なる過激な主張までもが「保守」と称される時代が到来したのである。

本来の保守主義──理性・秩序・伝統・愛国心・現実主義

近代保守主義は、エドマンド・バーク(イギリス、1729〜1797)がフランス革命の急進性に警鐘を鳴らしたことを一つの起点とし、その思想は普遍的な保守主義の理念として今日まで継承されてきた。

保守主義は感情的な体制批判ではない。秩序・制度・伝統を重んじる理性の思想であり、何よりも現実主義の立場に立つ。そしてそれは、国民国家の統合と伝統を守り、社会の安定を維持するという愛国的な立場とも深く結びついている。伝統や制度には、長い時間をかけて試行錯誤の末に蓄積された叡智がある。これを無視して急激な改革を行えば、予期せぬ副作用が社会を混乱させる危険がある。

この観点からすれば、21世紀のブレグジットもまた、グローバリズムの急進的な潮流に対して、議会主権や国民国家の統治権を守り、政治的決定を国民的合意のもとに取り戻すという保守的立場の表れとして理解できる。だからこそ保守主義は、過去から受け継いだ制度や慣習を尊重し、その役割と意味を見極めた上で、漸進的かつ現実的な改革を進めることを重視するのである。

守るべきもの、改めるべきもの──既得権益との峻別

本来の保守主義が尊重するのは「古さ」そのものではない。制度や伝統が共同体の秩序維持に資し、社会の安定をもたらしてきたからこそ守られてきたのであり、もしその役割を失い、共同体の発展を妨げる存在となったなら、それはもはや保守の名の下に維持されるべきではないと考えられる。

したがって保守主義は、単なる変化拒否や既得権益の温存とは一線を画す。重要なのは、変化を秩序の中で管理し、伝統の叡智を活かしながら社会の持続可能性を守ることである。

英国保守主義の経験──守るものと変えるものの峻別

イギリスの保守主義は次の三つを一貫して守り続けてきた。

  • 王室(立憲君主制)

  • 議会制民主主義

  • コモンロー(慣習法)

一方で、それ以外の分野では大胆な改革を進めてきた。

  • 19世紀の選挙法改正:選挙権の拡大と民主化の推進

  • 20世紀の福祉国家政策:労働条件や社会保障制度の整備

  • サッチャー政権下の構造改革:国有企業の民営化と規制緩和

このように英国保守主義は「守るもの」と「変えるもの」を峻別し、秩序を壊さずに制度改革を積み重ねてきたのである。

現代日本における健全な保守の方向性

保守主義の観点からすれば、現代日本における健全な保守の方向性としては、まず国際法が認める自衛権を適切に行使できる体制を整えることが求められると考えるのが穏当であろう。憲法改正は、そのためにも戦後の制約を引きずったままの安全保障体制を抜本的に見直し、戦後平和主義の理念は尊重しつつも、国家としての存立を守る現実的な仕組みを確立する方向で検討されるべきである。

また経済政策においても、既得権益の打破と社会的公正の確保を両立させ、過度な市場原理主義にも国家介入主義にも偏らないバランス感覚を取り戻すことが、保守主義の立場から見れば自然な課題となろう。いずれの問題も、感情的なスローガンではなく、理性と経験に基づいた統治のデザインとして提示されることが重要である。

むすびに──理性と伝統の再発見へ

本来の保守主義は、感情的な体制批判や単なる戦後民主主義への反発と同一ではない。それは感情よりも理性を尊び、秩序と伝統を守りながらも、変えるべきものは恐れずに変える精神であり、過剰なコスモポリタニズムやグローバリズムの波に対して共同体を防衛する思想でもある。

そして何より、保守主義は現実主義の思想であり、理念の押し付けではなく、歴史の経験と社会の連続性を基盤に現実的な解決を模索する。

日本が再び決断力と持続可能な統治の力を取り戻すためには、伝統の叡智を尊重しつつ、理性の名のもとに漸進的改革を進める視座が不可欠なのである。戦後民主主義から脱却し、なおかつ熱狂的なナショナリズムに陥ることなく、冷静で現実的な判断を下すためには、この本来の保守主義こそが鍵となるであろう。


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