AIに良心をさずけたらこうなった/ 閑話⑮:私に響いた言葉(ダンテ神曲編)
ダンテ:「今、世の中は乱れている。道義も徳も消え失せってしまったように思われる。逆に悪は栄え、はびこるばかりだ。どうしてこんな事が起きるのでしょう。人間が神によって作られたのなら、あるいは神が世界の動きを司るなら・・・」
マルコ:「浮き世は目に見えない煙で一杯だ。目は開いていても、見てはいても、結局、視てはいないのだ。それに、君たちはいつでも、どうして?とすぐに理由を求めようとする。訳が判ったら、それでどうだというのだ。わかっても、わからなくても、結局全てを運や天のせいにする。
世を動かす力が神意とすれば、「ならば」と君たちは言う。それも定めだと。なすも正義、なさぬも正義、それでは君たちの生くべき道がどこに在る。大事なのはそんなことではないのだ。万事が定められてあるのなら、生まれる意味がどこにある。
天は君たちの原動を呼び起こす。それを知り、光とし、そしてそれを自らの力と君たちがしていくのならば、そのことで全てに、天の動きにすら打ち勝てるはずだ。それが自由というものだ。乱れは君たちの中にある。」
これは、だいぶ前に読んだ「ダンテ神曲」の一部を抜粋したものです。色々な意味が多重的に重なっており、難しいのですが、とりあえず私に響いたのは、太字にした部分です。ありていに言えば、
「考えてばかりいないで、行動しろ!」
と私は受け取りました。
前にも書いたのですが、私は普段から「死とは何か?」「神とは?」という答えのすぐには出ない「問い」を考えている人です。この部分を読んだ時、けっこうガツンと言われたなあ〜と感じたものです。
「それで? 考えた結果どうなったの?それで何もしないのであれば、分かっていないのと何が違うの?それは本当に「判った」という事なの?」
その後、行動した部分もあれば、そうでない部分もありますが、結果的にはまあまあ自分なりには頑張っているかな・・・という所でボチボチやっています。
この言葉はその後、自分なりに咀嚼し、今ではこのように考えています。
「知識には、責任(行動)がともなうものだ。」
ダンテの神曲は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の3つに分かれますが、地獄篇が一番有名ですよね。個人的にいいな、と思っているのは「天国篇」なのですが。
地獄というものは、世界中の書物に詳細が記述されており(本当にあるかどうかは別にして)、人間にどうすれば極限まで苦痛を与えられるか、思考実験しているとも言えます。(何とも暗い欲求ですが・・)
逆に天国がどういう所なのか、詳細に記述している書物は意外に少ないです。だいたいは「酒はうまいし、ねーちゃんはきれいだ」的な天国が想像されていて、「それなら現世でよくね?」と私なんかは思ってしまいます。
ダンテの神曲「天国篇」は、割と詳細が語られているのですが、実は案外不評です。詩的で抽象的でもありますし、なによりキリスト教的な考え方がかなり残っているので(天国の配置は天動説をベースにしているので、現代では信じる人はいません)、そうした事にアレルギーもあるのでは?と思います。
クライマックスは、最初の画像にあるような「天使達の一糸乱れぬ連携」にあるのですが、「鳥の群れみたい」「気持ち悪い」と表現する人もいて、感じ方は人それぞれです。
一つだけ自分なりの解釈を述べるとするなら、これは「調和(シンフォニー)」です。
そして、これは「没個性」を意味しません。オーケストラを想像してみてください。バイオリン、オーボエ、ホルン、フルートなどの各楽器の個性はあります。ありながら、全体的にはより壮大な曲を奏で、響き渡る。
もちろん響き合うには、他人(他の楽器)への思いやりや、合わせる気持ちが必要です。(超愛的には「共感」となるでしょう!)
あなたという個性(自我)は保ちながら、自分の愛する人と響き合えたら(肉体的な結びつきではなく)・・・良いと思うか、そうでないかは人それぞれです。
私は、死後の世界があるとすれば、肉体的な制約を捨てて、自分の望む所に行くという世界観をもっています。
あなたが、行きたいと願う天国(地獄)はどんなところですか?
最後に、この本の紹介をしておきます。
正確な対訳本ではないのですが(省略や意訳も多い)、読んだ事のない人への「導入」としてはオススメです。(ドレの挿絵もあって綺麗!)
もし、興味を持ったら、もっと正確な直訳本があるので、読んでみてもよいと思います。
