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古谷経衡さんは嘘つきなのか?~優しい著述家、與那覇潤さんに問う

1、與那覇さんらしくない記事

與那覇潤さんらしくない記事だと思った。勝手なイメージだが、舌鋒鋭い文章とは対照的に、とても優しい人で、圧倒的な知者でありつつも、壁をつくらずに胸襟を開いてくれる、ユーモアに溢れた著述家というイメージは、虚像だったのだろうか。同じ人が書いた文章とはどうしても思えないのだ。彼のもつ美点であるフェアネスや、優しさがここからは見えない。

この記事では2021年に、いわゆる「ツィッター事件」を契機に、歴史学者である呉座勇一さんの「性差別的」言動を糾弾するために行われた「オープンレター」の署名に、古谷経衡さんも当初、参加していたのではないか。ところが、オープンレターそのものの旗色が悪くなるや、態度を翻して、署名していない(無断で名前を使われた)と主張し、批判に転じたのではないかという疑惑を示し、仲間うちではほぼ「定説」であるとして記している。
確かに、與那覇さんの導いた結論=「①『酔った際に署名したかもしれない』という疑念を本人自身、晴らす自信がない。より穿った見方をすれば、②署名しており、記憶もあるのだが、後ろめたさゆえに隠蔽した可能性もある」のは否定できない。しかし、そのことを証明するための、確固たる証拠までは示されていないというべきだ。

2、Googleアカウント開設に、Gmailは必要ではない

上の記事で、與那覇さんが明らかに間違ったことを書いている箇所もある。それは、Googleアカウントの取得の際、Gmailアドレスを取得しないことは考えづらいとしている点だ。だが、実際には、Gmailアドレスの代わりに既存のメール・アドレスを利用して、アカウントを取得することはできるし、別段、珍しいことでもない。実は、私も長らくそういう使い方をしていた。その状態で、アンドロイド機器を使用することも何ら問題はない。
もっとも、オープンレターの署名にあたっては、メール・アドレスの記載が必須ではなかったのだから、そのこと自体、古谷さんの擁護につながるものではない。とはいえ、與那覇さんの記事にも、古谷さんの記事と同様に粗雑なところがあるのは指摘しておくべきだと思った。
そして、Gmailアドレスをもたないから署名できなかったと主張したのは古谷さんが嘘つきだから・・・と推測することも可能ではあるが、別の可能性として、そもそも署名フォームを訪れたことがなかったから、Gmailアドレスの入力が要件になっていないことを知らずに発言してしまったと解釈するほうが、私には自然なように思えるのだ。これもまあ、酔っていて記憶がないところまでは、庇いきれないのだけれど。

3、與那覇さんは何を聞いたのか?

古谷さんがどのような人物なのか、直接の面識がないという與那覇さんが、どのような情報に基づいて、判断を下したのかはわからない。言論界は狭いので、いろいろな情報が自然と集まってくるのかもしれない。
例えば、與那覇さんが参加したイベントのなかでは、とある人物がラジオ局のスタッフから聞いた話として、古谷さんが左右どちらのスタンスで話すかを、スタッフに選ばせたというような話をしていたことがある。これが事実だとすれば、言論人としては、なかなかエグい話なのかもしれない。しかし、それはただの伝聞情報にすぎないし、話した人だって、その言葉を直接、聞いたわけではなかったことは重要だと思う。事実とは限らない。
根拠はそれだけではないのだろうが、会って、話して、確認もせずに、一方的な話を信じ込んで、誰かを論難するのだとすれば、これもかなり粗雑なはなしというほかはないだろう。

4、春木・呉座問題vsゲンロン問題に関する認識の甘さ

この問題と直接の関係はないが、古谷さんが飲酒により招いた不行状として、後段で触れられている呉座勇一&春木晶子と、ゲンロン社とのトラブルについても、伝聞情報ばかりで、一方的なはなしが粗忽に展開されている印象しかない。私は単なる視聴者にすぎないのであるから、この問題について、まったく客観的にみられる立場にある。その認識に従えば、古谷さんはこの問題について、直接、関係はなかったと考えている。
確かに、ゲンロンのイベント(総会)で泥酔して、方々に迷惑を掛けたのは事実だろうが、事実として伝えられてきた古谷さんの不行状のなかでも、いくつかは既に否定されているものもあり、注意が必要になってくる。
当時、黒瀬陽平さんに任せていたカオス・ラウンジに関する不祥事などに絡み、ブランド・イメージに問題を生じかけていたゲンロン社にとって、古谷さんの行動は歓迎せざるものではあったのだろう。それでも、当時はその行動自体、そこまで受け容れがたいものとは思われてなかったはずで、ゲンロン総会もふつうに閉幕した。同時に、批判的な声や、苦情のようなものも届いたのは事実であろうし、舵取り役の東浩紀さんとしても、何も言わずに済ませることはできなかった事情は理解できる。
古谷さんの不行状は当時、ゲンロン社、および、シラス界隈に蔓延していた、行き過ぎた雰囲気を醸成するひとつのものではあったろうが、それ以上のものではなかった。そして、その雰囲気を引き締めたい意図のなかで、スケープゴートにされたとみえるのが春木晶子さんがシラス・プラットフォームで運営していたチャンネルへの仕打ちであった。
春木さんは専門だったアイヌに関する美術や、その他の日本美術の解説に加え、アニメや漫画、映画などのコンテンツから世相を語るはなし、言論界隈に関する話題、とりわけ、キャンセル・カルチャーへの反論を中心に展開していたが、中身がややマンネリ化してきたことに加えて、職場での欧州視察の体験も踏まえて、アップルパイを焼く家事配信などをしたところ、文脈を理解しない運営側から、女性性を売りにするものだという批判を受けたりして、徐々に話がこじれていくことになった。
呉座さんは春木さんのチャンネルに一視聴者として出入りしている中で、いくつかの発言が問題視される結果となり、こちらもシラス・プラットフォームでのチャンネル開設拒否に至ったものである。
春木さんは江戸東京博物館の学芸員という立場で、名のある大学教授や哲学者、テレビで人気の脳科学者、ベストセラー作家などと比べて、社会的ステイタスは相対的に高くはなく、呉座さんも著作業で成功し、優れた歴史学者でもあるとは言いながら、ツィッター事件や裁判で凹んでいる時期であったので、両者がトラブルメイカーになり得ると考えたゲンロン社が、一挙に2人を排除することにした意図は想像に難くない。こうした経緯のなか、古谷さんがいくらか関係しているとすれば、総会などで、なんとなく荒れている雰囲気をつくるきっかけになり、春木さんの配信のいくつかで悪ふざけをしたということぐらいだろう。この点でも、與那覇さんの理解は甚だ粗雑である。

5、ここ数年の間にあったことを比較して

いずれも、数年のときを経て小康を得るなかで、與那覇さんがこの時期に、問題を改めてほじくり返さなければならないと思った理由はわからない。その間の数年の歴史について、振り返ってみよう。
ゲンロン社の予期に反して、春木さんは職場の江戸博では、着実に地位を高めており、本年は有楽町と東京駅付近で披露された都の事業「東京大浮世絵」に協力して、プロジェクション・マッピングに用いる作品の組み合わせなどを監修、ここ数年のうちには、パイ・インターナショナルから出版の浮世絵関係のアート・ブック2冊を監修するなどした。以前から続けている『夷酋列像』の個性的な研究に対してもさらに高い評価を得て、受賞もあった。ふつうに優秀な学芸員であると同時に、その立場では非凡といえる活動範囲を誇っている。
呉座さんも自身の裁判を概ね有利に進め、日文研の准教授に就く昇進ルートに復帰、各社から新書や単行本を相当数、著している。そのなかには、文明論に関する與那覇さんとの共著もあった。いわゆる「弥助問題」でも丁寧に論争を整理して、注目を浴び、炎上したゲーム・ソフトのリリースにあたって、この程、AFP通信からも取材を受けている。2人とも問題を起こすどころか、順調にキャリアを重ねていき、YouTubeというメディアでもそれまでとはちがう客層から一定の支持を得つつ、内容的にも見逃せない活動を展開してきた。そうした需要はゲンロンが様々な活動に手を広げてまで、手にしたいと思っているものかもしれない。
一方で、東さんは自らの態度を反省することなく、さらにいくつかの問題を起こしてきた。突発的に配信しては、翌日中に削除するといった時期もあり、感情のコントロールがままならない。2年連続でゲンロン総会を盛り上げてくれた文化人類学者の小川さやかさんとも、あるときから疎遠になっている。その小川さんはこのほど、立命館の副総長/副学長として出世を遂げた。昨年は東さんの後継候補とも思われた辻田真佐憲さんが専門外のイベントの司会を断ったり、共著の本で売り上げに貢献する行動をしなかったとして論難し、チャンネルの契約更新すら危ぶまれるほどの険悪なムードが流れた。あのとき、どちらにより大きな問題があったのかは、これらの事実が示している。
もちろん、東さんはビジネスマンとしても、なお、優れた実績を残し続けていることは否定しない。その考え方には春木さんや、呉座さんも、いまでも大きく共鳴しているのは、折に触れて窺われるところだ。東さんから学んだことを応用して、いまは、それぞれの道で活躍していることを、私は尊重したいと思っているが、與那覇さんがそうしたところに不躾な横槍を入れようとする意図も理解しにくいところがある。

6、與那覇さんは、自らの誠実さの根本に立ち返ってほしい

もちろん、古谷さんが嘘つきだという前提からすれば、確かに、そこと関係をもつことには問題があるのかもしれない。しかし、春木さんは與那覇さんとはちがって、古谷さんと面識があり、信頼に値する人物だと考えていることは、より重みがあるのではなかろうか。
そして、古谷さんが過去に迷惑をかけたお詫びとして、彼女のチャンネルを盛り上げるつもりで、出演したとすれば、どこに批判の余地があるのだろうか。友情と信義の問題であり、この場合、「謝罪」を受け入れるのも大事なことだ。もっとも、その配信でも古谷は諧謔的な態度をとり、シラス時代を知らない視聴者からみて、その中身は必ずしも期待どおりのものではなかったようだが、それはそれというところだろう。
本当に、與那覇さんらしくない、誠実さを欠く記事だったと思う。私からみれば、古谷さんも、春木さんも、呉座さんも、欠点がないといえば嘘になる。しかし、東さんにも欠点があるし、與那覇さんにも欠点はある。ここで、古谷さんの弱い部分だけについて、殊更に書くことの公益性というのは、どこかに認められるのだろうか。仮に古谷さんの言論姿勢に問題があるとして、そういうことに対して、足を引っ張ることが與那覇さんのしたいことの本意なのであろうか?
古谷さんの行動が実際のところ、どういうものだったのか、検証する術はないだろう。與那覇さんもそのことはわかっていると思うし、だとすれば、最低限やらければならないステップを欠いている。それは過ちを認めて、丁寧な批判をすることを惜しんだオープンレター勢と、どこがちがうのであろうか。與那覇さんは適切な労を払って、誠実な文章を発表したといえるのだろうか。
今度の與那覇さんのノートに出てくる人たちは、私にとっては、みな大事な人物ばかりだ。その人たちが、このような形で対立する形になるのは本当にきつい。ポイント・オブ・ノー・リターンにはまだ達していないかもしれない。與那覇さんには、彼の誠実さの根本に立ち返ってほしいと願うものである。

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