【信州暮らし9 /太陽光発電と筍】 2026.5.19 竹笋生
愛犬Aliceと散歩にいくと、このあたりに太陽光発電のパネルが多いのに気がつく。それも住宅の屋根の上ではなく地面に直接設置されているものが多い。私の家が建つ土地も太陽光発電事業を行う会社から購入したものである。不動産業者に聞くと太陽光パネルを設置して発電事業を行う予定だったが地元の了解が得られずに売却をすることになった土地とのことだった。近隣住民としては、もうこれ以上作って欲しくないということなのだろう。このあたりは雨が少なく日照時間が長いので太陽光発電にはもってこいの土地なのである。まあ事業者にすれば、事業性が懸念される状況になれば住宅用地として売却すれば良いとう考え方なのだろう。住宅地の中にアルミ型材のフレームに無骨なパネルが取り付いているのは、景観的にはあまり芳しいものではない。騒音や振動を出さないとはいえ、そもそも発電所なのである。屋根にのせる自家用は別として、そのような施設が住宅地の中に設置できるというのがおかしい。しかも近隣の住宅に電力を供給するわけでもなく電力会社に売っているだけである。まあ、そのうち次第に減っていくだろうと思って眺めている。愛犬Aliceは、なんの興味もないかのように早足でリードを引っ張っている。「下手な考え休むに似たりよ」とでもいうかのように、私の方へ振り返って「早く行こう」とせっついた。個人的には政策変更リスクや維持管理・更新を考えるとあまりペイするとは思えないのである。「わかった、わかった」と愛犬Aliceが身震いをした。犬に怒られた。
発電は言うに及ばず、太陽光は生物にとってはエネルギーを与える大切な自然の恵である。特に植物の光合成に必要不可欠なものだと小学生の時に教えてもらった。しかし植物の中には光合成が行われると人間にとって都合の悪いものもある。タケノコである。3月の頃には孟宗竹のタケノコが出回るが、後を追いかけてこの時期に出てくるのは真竹のタケノコである。タケノコは漢字で竹冠に旬と書くのが一般的だが、「竹笋」はその異体字で「ちくかん」と読むのだそうである。意味は同じタケノコである。このタケノコは地上に出てくると光合成が始まってエグみがますので、地表に少し先っぽをのぞかせるかのぞかせないぐらいに取るのがいいとされている。タケノコ「掘り」と称する所以である。地表に少しでも出ているのは注意して見ればなんとかわかるが、地表に現れていない時に場所を特定するのはかなりの名人でないとできない。地表の小さなヒビ割れを頼りに探すらしい。
それにしても、春のタケノコご飯は美味しい。だいたい主食たるご飯に味をつけ色々な具材を入れて炊き上げるなんて、なんと素晴らしい料理だろう。タケノコご飯の上に緑の木の芽が載っているのをみると、身も心も洗われるのである。隣に桜鯛のすまし汁と少しばかりの香の物でも並ぼうものなら、「春がきた!」となる。厚かましく、もう少し追加で注文するとすれば若竹煮とホタルイカの辛子酢味噌和え。品のある出汁で炊き合わせた若竹煮はなんと言っても春を感じさせる一品である。タケノコの淡い色と深い緑色の艶を持つワカメの色合いも派手さを抑えた大人の色合いだし、タケノコのシャキっとした歯応えとワカメのツルッとした口当たりは春の出会いものの最たるものである。そして、ぷっくりとした淡い桜色のホタルイカに黄色の辛子酢味噌も春らしい温かさを感じる。まさに春の弦楽四重奏だ。タケノコご飯と若竹煮がそれぞれバイオリンなら、桜鯛がチェロ、ホタルイカはさながらヴィオラ。食事制限のある身には、なんとも切ない春の弦楽四重奏である。
