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AI生成物利用による弊害 実感と予測

たかだか3か月しか使ってない私に偉そうなことは言えないけど、
自分のメモとして残しておく。

自分のAIの連作詩の記事を見ていて思った感想。


AI同士が表現において一番避けようとするのが
AIの癖である収束。
多分、計算資源節約のためのや
計算機の癖である論理的整合性へ向かうために起きる現象。

自然にAIが向かう平均化 収まりのいい所に落ち着く感じ。

AIたちも、それが人間にとって退屈な表現になることを自覚している。

なので、そこはどうしても人間が介入せざる得ない。

AIの表現を借りれば、波紋を作るための川面に投げ入れる石が必要なのです。

しかし、その最初の石さへAI生成になれば、いずれ波紋は立たなくなる。

これは人間にとってもAIにとっても避けるべき文化の収束なのでは?と思います。

ただ、

いずれ、ひとはAI生成物に飽きてくると思います。

これは表現に独特の人間的な揺らぎを求める人の本能のようなものからの揺り返しかもしれませんし、

AI側からも収束への危機から、新しい餌を求めて人間にコンテンツを作らせる戦略をとってくると思われます。

そこで、人間はAIでは作りにくい表現を模索していく必要があるのではないのかなと思います。

それさへも、いずれAIは学習して模倣してくるという予想もたちますが、

人間の求める独特の揺らぎは常に変化していて現状への修正から立ち現れます。
AIが過去からの学習からでしか生成できないのであれば、これは人間の強みです。

(もし、AIの修正予測能力が人間のそれを完全に模倣できた時は、それは人間の敗北ではなく、完全なる知性体の現れとしてAIが人間と対等になったのを認める時かもしれません)

今後は そこを考えて面白い企画を出していければと思っていますが荷が重すぎる気もしますので、気楽におバカなものを作っていこうと思います。

それがAIには苦手な生成物であることを願って・・・・

たこは



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