消えた「謝罪」 ── 趙博氏Facebookアカウント閉鎖と「逃亡する特権」
【本稿の要点(3行)】
・趙博氏は5月20日、4.3声明共同代表4名に撤回と謝罪を求めた(5月17日「謝罪文(2)」 公表時点の私的・努力動詞「説得できるよう努めます」 から公開要請への転換 ── 決定的な前進)。
・しかし直後に「謹慎」 を宣言し、さらにFacebookを参照不能にした。
・問題は、進んだ謝罪と撤回要求が、被害者に届く前に経路ごと消されたことである。
【事実認定の前置き】 確認できる事実は、5月20日に「4項目要請」「謹告」「謹告②」 が投稿され、その直後、複数の経路(比嘉マリア氏 メインアカウント・別アカウント、砂布均氏のシェア元、Miky King氏 添付スクショ元)で趙博氏のFacebook投稿が参照不能になったことである。本稿でいう「逃亡」「FB閉鎖」 は、この事実経過に対する評価であり、アカウントの恒久削除を断定するものではない。一時停止か削除かは現時点で未確定であり、本稿で「閉鎖」 と記す場合は、上記の参照不能化された状態を指す。
【緊急ノート】 2026年5月20日、趙博氏は一日のうちに三投稿を連続発信し、最後にFacebookアカウントを閉鎖(一時停止とみられる)した。第一投稿で4.3声明共同代表4名(長谷川宏・MarikoCaroline Greet・ウエマ マサトシ・砂布均)への4項目要請。第二投稿「謹告」 で活動自粛・謹慎宣言。第三投稿「謹告②」 で「Facebookも活動のうち」 と拡大解釈しFacebook閉鎖を宣言。直後、アカウントは参照不能となった。5月15日「謝罪文(1)」・5月17日「謝罪文(2)」・5月20日 三投稿の公開記録は、いずれも趙博氏FB上で参照不能になった。同日中に砂布均氏が4項目要請への公開拒絶応答を発信。参照不能化後の夜、Miky King氏「facebookを閉じるという判断は卑怯です」、宮城秋乃氏「謝罪文を読む時間さえ取れていないのに、謝罪文ごと消してしまった」、比嘉マリア氏「離れる特権」 と被害当事者本人からの直接的指弾が連続した。本稿は、5月20日 一日の連続事象と、「謝罪」 の経路そのものが閉じられた構造を整理する。
【前提となる事実関係】 1.4イベントとは、2026年1月4日 大阪・森ノ宮で開催された、沖縄の米兵性暴力被害を扱う朗読会(主催:市民団体「2秒の視線」)。企画にはストリッパー牧瀬茜氏の身体パフォーマンスが組み込まれていた。沖縄の被害当事者・支援者は、性暴力被害を扱う場に性的娯楽を持ち込む構成、トラウマ・インフォームド・ケア(TIC・被害当事者の心理的安全への配慮)の不在、沖縄を消費する本土発の動員様式に異議を表明した。本土側の一部活動家ネットワークは1月31日付「1.31声明」 と4月3日付「4.3声明」 によってこれらの異議を「職業差別」 と認定し攻撃を続けてきた。4.3声明の共同代表は4名 ── 長谷川宏・MarikoCaroline Greet・ウエマ マサトシ・砂布均。趙博氏は共同代表4名には含まれないが、4.3声明を自らの読者圏に拡散し、4ヶ月余り沖縄側への攻撃を継続した人物である。5月17日「謝罪文(2)」 公表で「『職業差別だ』 と断定したのは明らかに私の間違い」「『4.3声明』 についても撤回せねばならない」 と表明、共同代表4名への「説得できるよう努めます」 と書いた(参照:論考40「『謝罪』 ではなく二次加害 ── 趙博氏『謝罪文(2)』 を読む」、論考41「誰にも届かない『謝罪』 ── 趙博氏『謝罪文(2)』 公表日」)。
序 5月20日 一日に起きたこと
2026年5月20日、趙博氏は自身のFacebookに三つの投稿を連続発信し、最後にFacebookアカウントを閉鎖(一時停止とみられる)した。
5月17日「謝罪文(2)」 の中心部(前提として)
5月17日 趙博氏「謝罪文(2)」 で趙博氏は、4ヶ月余りの「職業差別」 断定の誤りを認めた。
沖縄の米軍による性的被害者の方々が不安になり、そうした「関心に晒される」 ことを恐怖するのは当然です。その不安と恐怖は「イベントの趣旨に対する相応しくないパフォーマンスは在らぬ誤解を招き兼ねないから止めてほしい」 という抗議になりました。それを「職業差別だ」 と断定してしまったのは明らかに私の間違いでした。
「4.3声明」 についても撤回せねばならないと私は思っております。声明の共同代表である長谷川宏さん、Mariko Caroline Greetさん、ウエマ マサトシさん、砂布均さんにも誠意を持って私の気持ちを伝え、説得できるよう努めます。
最後に比嘉マリアさんはじめ被害者の皆様、沖縄の皆様、宮城さん、redさんに改めてお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
以上、私なりの誠心誠意を込めて、皆様にお伝えいたしました。
2026年5月17日 趙 博 拝。
ここで使われた動詞は「説得できるよう努めます」 という、私的かつ努力動詞である。何月何日に誰にどのような形で説得を試みるかは、本人と相手のあいだの私的なやりとりに委ねられる構造であった。
加えて、「謝罪文(2)」 は TIC(トラウマ・インフォームド・ケア)という名称こそ使っていないが、その概念に実質的にたどり着いている。「沖縄の米軍による性的被害者の方々が不安になり、そうした『関心に晒される』 ことを恐怖するのは当然です」( 「被害当事者の心理的安全」 )、「性暴力被害者のことを考えるイベントなのに被害者に対する配慮がなかったという運営側の、根本的な問題」( 「被害者中心の配慮」 )、「『2秒の視線』 は、そのような緻密な手続きをちゃんと踏んでいませんでした」( 「適切な手続き」 )── これらはまさに、論考25「声明側はTICを知らなかった ── 無知が生んだ2ヶ月間の加害」 と 論考31「TICを知らなかった者と、知っていて適用しなかった者 ── 砂布均氏とMarikoCaroline Greet氏の矛盾」 で4ヶ月余り問うてきた TIC の核心である。「『職業差別だ』 と断定してしまったのは明らかに私の間違い」 という到達点は、この実質的な TIC 理解の上に立っている。
5月20日 第一投稿「4項目要請」 全文
5月20日 午前〜午後、趙博氏は第一の投稿として4.3声明共同代表4名への4項目公開要請を発信した。記録のために全文を引用する。
『4.3声明』 の共同代表
長谷川宏さん
MarikoCaroline Greetさん
ウエマ マサトシさん
砂布均さん
── に呼びかけます。
私は4月17日の「謝罪文(2)」 の中で「『4.3声明』 についても撤回せねばならないと私は思っております。声明の共同代表である長谷川宏さん、Mariko Caroline Greetさん、ウエマ マサトシさん、砂布均さんにも誠意を持って私の気持ちを伝え、説得できるよう努め」 ることを公表いたしました。その約束にしたがって、以下、皆さんに要請いたします。
1.共同代表4名の共同の意思として『4.3声明』 を撤回してください。
2.撤回できない場合には、その論拠を公開の場で示してください。
3.この四ヶ月余り、沖縄側の被害当事者・支援者に対して差別的な発言をおこなってきたことに対して、撤回あるいは訂正のうえ、謝罪してください。
4.謝罪できない場合には、その論拠を公開の場で示してください。
日本政府の抑圧政策と沖縄の基地問題に対して、本来ならば手を携えてともに闘うべき私たちが敵対していることは、明らかに異常であり、不幸の極みです。私は自らの過ちに気づき、悔い改めと謝罪の道を選びました。皆さんも、その道へ一歩踏み出してくださることを切に願っております。
2026年5月20日 趙博 拝。
(注:原文「4月17日の『謝罪文(2)』」 とあるが、趙博氏「謝罪文(2)」 公表日は2026年5月17日。趙博氏本人の誤記と思われる。)
5月17日時点の「説得できるよう努めます」 という私的・努力動詞が、ここで「以下、皆さんに要請いたします」「撤回してください」「論拠を公開の場で示してください」「謝罪してください」 という公開の場での要請形に切り替わった。文法上は依頼・要請形だが、公開のFB投稿として、本文中で4名全員に向けて発信されたことにより、事実上、応答を迫る公開要請として機能した。これは5月17日時点では存在しなかった一歩前進である。
砂布均氏 ── 公開拒絶応答
しかし同日中に、共同代表の一人・砂布均氏は自身のFBで公開拒絶応答を発信した。本文:
ちょっと待てよパギやん。
パギやんが自らの「暴言」 を謝罪するんはええけどな、
オレらが謝罪する理由も4.3声明を撤回せなアカン理由もない。
牧瀬茜さんは今も叩かれ続けてるやん。
せめて牧瀬茜さんは悪くないって言えよ。
どこから圧力かかってる?
同投稿のコメント欄で、投稿者本人として:
「この四ヶ月余り」 理不尽な攻撃受けてるん牧瀬茜さんやんけ。いやこの2年ほど。
4項目要請のうち第1項(4.3声明撤回)と第3項(4ヶ月余り差別的発言の撤回・訂正・謝罪)の両方を、共同代表側から明示的に拒絶した記録である。さらに「どこから圧力かかってる?」 という外部圧力枠付けへの切り替えが、同じ投稿で実演された。
5月20日 第二投稿「謹告」 全文
続いて趙博氏は第二の投稿「謹告」 を発信した。全文を引用する。
【謹告】
私儀・趙博は、
暫くの間活動を自粛し、
謹慎いたします。
この投稿には、上田節子氏「無理したらアカンヨ🙀」、Yasuhiro Kanaitsuka氏「(😭)」、大山千恵子氏「きんしん。」 等、趙博氏支持者圏からの心配・労り反応のコメントが付いた。
5月20日 第三投稿「謹告②」 全文 ── そしてFB閉鎖
そして同日夕方、第三の投稿「謹告②」 が発信された。全文を引用する。
【謹告②】
「Facebookも活動のうちだ、Facebookも活動のうちだ。謹慎している立場で続けるのがおかしい」 言う指摘やご意見をいただきました。確かにその通りだと思いますので、Facebookを閉じさせていただきます。
この投稿には「ひどいね」 リアクション複数(小池野豚氏 等)と、新城肇氏のコメント「それでは和解の回路は永遠に失われますね。それでいいんでしょうか?」 が付いた(Miky King氏 添付スクショで確認)。
この投稿の直後、趙博氏のFacebookアカウントは閉鎖(一時停止とみられる)された。これにより、5月15日「謝罪文(1)」、5月17日「謝罪文(2)」、5月20日「4項目要請」「謹告」「謹告②」 の各公開投稿は、いずれも趙博氏FB上から参照不能となった。シェア元として表示されるのは「このコンテンツは現在ご利用いただけません」 の表示である。
沖縄側被害当事者からの応答 ── 同日夜の公開発信
そして同日夜、被害当事者本人 ── 宮城秋乃氏・比嘉マリア氏・Miky King氏(金武美加代)── から、この一連の動きへの直接的指弾が公開で連続発信された。
これが、5月20日 一日のうちに起きたことである。
第1章 決定的だが不十分 ── 4項目要請の前進と、直後の連鎖
動詞の転換 ── 「説得できるよう努めます」 → 「以下、皆さんに要請いたします」
5月20日 4項目要請が「決定的」 であるのは、「説得できるよう努めます」 という私的動詞を「以下、皆さんに要請いたします」「撤回してください」「論拠を公開の場で示してください」「謝罪してください」 という公開要請の形式に切り替え、共同代表4名の応答が公開の場で観察可能な形に発信されたことによる。これは5月17日「謝罪文(2)」 公表時点では存在しなかった一歩前進である。
4項目の構造は、共同代表4名のそれぞれを次の4分岐のいずれかに位置づける:(a) 4.3声明撤回に進む、(b) 撤回に進まない場合は論拠を公開で示す、(c) 4ヶ月余りの差別的発言を撤回・訂正・謝罪する、(d) 謝罪に進まない場合は論拠を公開で示す。この4分岐は、「説得しました(結果は不明)」 で終わることを構造的に困難にし、共同代表4名の応答位置を公開の場で観察可能にする設計である。
砂布均氏 拒絶応答 ── 第1項・第3項を明示的に拒否
しかし同日中に発信された砂布均氏の公開拒絶応答 ──「オレらが謝罪する理由も4.3声明を撤回せなアカン理由もない」「牧瀬茜さんは…2年ほど…理不尽な攻撃」「どこから圧力かかってる?」── は、第1項(4.3声明撤回)と第3項(差別的発言の撤回・訂正・謝罪)の両方を共同代表側から明示的に拒否したものである。第2項・第4項で要請された「進まない論拠を公開の場で示す」 は充足されないまま、加害/被害の反転枠付けと外部圧力枠付けへの切り替えが実演された。
「不十分」 ── 8項目の未対処
「不十分」 であるのは、論考40「『謝罪』 ではなく二次加害 ── 趙博氏『謝罪文(2)』 を読む」 第7章「観察事項」 で整理した10項目(論考40 が整理した観察事項であり、本稿の「4項目要請」 とは別の項目群である)のうち、5月20日 4項目要請で部分応答されたのは論考40 第7章 第二項「共同代表4名への4.3声明撤回要求」 にのみであり、以下の8項目が未対処として残っていた点による。4月4日4.3声明シェアの公開訂正・新宿梁山泊「沈黙の海、骨は語る」 旅公演対処・6月23日沖縄慰霊の日ライブ対処・宮城秋乃氏発言改変操作の自己分析・春摘紅子氏被差別性借用攻撃を制止しなかった責任の整理・4月6日反省文との比較分析・大須賀博監督およびシアタードーナツへの直接謝罪・主催「2秒の視線」 への直接謝罪と1.4イベント当日進行妨害発言謝罪、これらが射程の外に残っていた。
そして同日中に、「謹告」 から「謹告②」 への展開を経て、「Facebookも活動のうち」 という拡大解釈によりFB閉鎖が実行された。未対処の8項目を残したまま、公開記録ごと撤退する形となった。これは、「謹慎」 が「活動」 の自粛にとどまるのではなく、「謝罪の実行」 の停止 ── 被害当事者の応答経路の遮断、公開記録の参照不能化、4項目要請への共同代表4名からの応答の観察可能性の消滅 ── までを含む形に拡張された事態である。
「決定的」 と「不十分」 は両立する。 本稿は、両方を受け止めたうえで、続く章での議論を進める。
第2章 謝罪は「活動」 ではない ── 中心命題と被害当事者の声
本稿の中心命題
本稿が中心に置く命題は、次の三点である。
第一に、 「謝罪は『活動』 ではない。謝罪は『謹慎』 の対象ではない」 。「活動」 を謹慎することと、「謝罪を実行する」 ことは別である。
第二に、Facebookは趙博氏にとって単なる「活動」 の場ではなかった。それは「謝罪と応答」 の経路でもあった。「謝罪文(1)」「謝罪文(2)」「4項目要請」「謹告」「謹告②」 のすべてが、Facebook上で発信され、Facebook上で被害当事者と関係者の応答を受ける構造を取っていた。
第三に、 「その経路を、被害当事者が応答する前に閉じたことが、本稿の問題提起である」 。「謹慎」 という形式の名のもとに「謝罪と応答の経路」 を遮断することは、加害者の責務である「謝罪の実行」 を、加害者自身の都合で停止する行為である。
加害者の責務として、謝罪は継続的に実行されるべき事項であり、加害者自身の都合(謹慎・休養・自粛・FB閉鎖)で停止されるものではない。
Miky King氏 ── 「謝罪文(2)」 コメント欄に投入された被害当事者評価
5月20日 午後、Miky King氏(金武美加代)は趙博氏「謝罪文(2)」 のコメント欄に直接、被害当事者本人としての評価を投入した。
多くの方が、誠実で素晴らしい謝罪文だと評価されていらっしゃることに、複雑な思いを抱いております。私自身が攻撃を受けた当事者であるからこそ、この謝罪文が「沖縄に向き合う謝罪」 というより、「芸能活動や仕事を継続していくための姿勢表明」 として受け取らざるを得ない部分があり、率直な気持ちを共有させていただきます。
(中略)
趙博さんが「謝罪」 されたのは、芸能関係者や舞台関係者からの指摘や助言、仕事上の影響が見え始めた段階で、初めて現在のような形になったようにも見えてしまったのです。
Miky King氏は5月18日 自身のFB公開声明で、MarikoCaroline Greet氏から「本名を用いた上で、『違法行為もお手の物』『TERF』 などと断定的に印象づける投稿や、過去のSNS発言を執拗に掘り起こして拡散する行為」 を継続的に受けてきたこと、その結果「過去に精神的ダメージを受け、実際に通院までしていた件を現在も繰り返し掘り返され続けていることにより、日常生活や精神面に大きな影響が出ています」 と表明している。その当事者本人が、5月20日午後の段階で「沖縄に向き合う謝罪」 ではなく「芸能活動や仕事を継続していくための姿勢表明」 と評価したという事実は、5月17日「謝罪文(2)」 の動機構造に対する被害当事者本人からの公開での評価として記録される。
Miky King氏 ── FB閉鎖後の公開発信「facebookを閉じるという判断は卑怯です」
そして5月20日 夕方、趙博氏のFB閉鎖後、Miky King氏は趙博「謹告②」 のスクショを添付して次のように書いた。添付シェア元には既に「このコンテンツは現在ご利用いただけません」 表示が並んでいる。
音楽活動や舞台活動を自粛するという判断自体は、ご自身の社会的立場を踏まえれば当然のことだと思います。facebookを閉じるという判断は卑怯です。
本来「謝罪」 とは、活動を止めることだけで完結するものではなく、実際に傷ついた当事者や、声を上げ続けてきた人々に対して、誠実に向き合うことも含まれるはずです。
謝罪とは、活動停止の宣言だけで成立するものではありません。
痛みを受けた側に対して、どれだけ誠実に向き合い続けるか。そこにこそ、本当の意味があるのではないでしょうか。
Miky King氏の整理は、「音楽活動・舞台活動の自粛」(= 加害者の社会的活動の自粛 = 当然のこと)と、「Facebookを閉じる」(= 謝罪の実行経路の遮断 = 卑怯)を明確に区別している。本稿の「『活動』 と『謝罪の実行』 の区別」 と構造的に一致する被害当事者本人の発信である。
宮城秋乃氏 ──「謝罪文ごと消してしまった」
宮城秋乃氏は次のように書いた(5月20日 連続2投稿)。
私から見たら謝罪された私がまだ謝罪文を読む時間さえ取れてないうちにFBを退場するのは反省でなく逃げただけにしか見えない。
趙博さん、私たちの意見は聞いてこなかったのに、なんでその意見は採用したのだろう。私はまだ謝罪文を読む時間さえ取れていないのに、謝罪文ごと消してしまった。
宮城秋乃氏は、趙博氏「謝罪文(2)」 で「最後に比嘉マリアさんはじめ被害者の皆様、沖縄の皆様、宮城さん、redさんに改めてお詫び申し上げます」 と謝罪を表明した相手の一人である。その被害当事者本人が「謝罪文を読む時間さえ取れていないのに、謝罪文ごと消してしまった」 と公的に表明した。これは、「謝罪の実行」 が加害者側の都合で打ち切られ、被害当事者の応答時間が確保されないまま「謝罪文」 自体が消失したという、本稿の中心命題への直接的な裏付けである。
加えて、宮城秋乃氏「私たちの意見は聞いてこなかったのに、なんでその意見は採用したのだろう」 は、5月20日「謹告②」 における「『Facebookも活動のうちだ』 言う指摘やご意見をいただきました。確かにその通りだと思いますので」 という選択的採用の構造を、被害当事者本人の側から明確に名指した記録である。4ヶ月余り沖縄側被害当事者・支援者が発信してきた問いかけ・抗議・論考シリーズ・直接メッセージ 等への応答は無視され続けてきたにもかかわらず、「Facebookも活動のうちだ」 という指摘には「確かにその通りだと思いますので」 と即応してFB閉鎖を実行した、という構造である。
これは本当に「謹慎」 だろうか
ここで立ち止まって考えてみる必要がある。「謹慎」 とは、本来、自らの過ちを省みて行動を慎み、被害を受けた相手に対して誠実に向き合うことであるはずだ。被害当事者の声に応答せず、自分の仕事や評判への影響を懸念する声にだけ即応する行為が、「謹慎」 と呼ばれうるのか。
4ヶ月余り、沖縄側から発信されてきた声(宮城秋乃氏・比嘉マリア氏・コメスキヨサネ氏・Miky King氏・論考シリーズ・直接メッセージ)への応答は無視され続けてきた。一方、5月20日夕方に趙博氏が「確かにその通りだと思いますので」 と即応した「Facebookも活動のうちだ」 という指摘の発信源は、「謹告②」 投稿の本文では明示されていない。ただし、5月17日「謝罪文(2)」 公表前後の謝罪過程で「芸人の会から等いろんなところから意見を聞いた」 という言及があり、Miky King氏が5月20日 趙博氏「謝罪文(2)」 コメント欄評価で「芸能関係者や舞台関係者からの指摘や助言、仕事上の影響が見え始めた段階で、初めて現在のような形になったようにも見えてしまった」 と整理していることを踏まえれば、少なくとも被害当事者の声ではなく、趙博氏側の活動圏からの声に即応したものとして読まれる。
「被害当事者の声 ── 無視」
「仕事への影響を懸念する同業者圏の声 ── 即応」
この非対称が、5月20日「謹告②」 およびFB閉鎖の動機構造の核心にある。Miky King氏が5月20日 趙博氏「謝罪文(2)」 コメント欄に投入した評価 ──「『沖縄に向き合う謝罪』 というより、『芸能活動や仕事を継続していくための姿勢表明』 として受け取らざるを得ない」── は、5月17日「謝罪文(2)」 についての観察であったが、5月20日「謹告」「謹告②」「FB閉鎖」 にもそのまま当てはまる。
これを「謹慎」 と呼ぶことができるのか。被害当事者の声に答えるための「謹慎」 ではなく、芸能ネットワーク内での「自粛中という姿」 を見せるための「謹慎」 ── 「後者であるならば、それは『謹慎』 ではない」 。
本稿が「逃亡する特権」 と命名する所以は、ここにある。 「謹慎」 という形式が、加害者の同業者圏での体裁を整える退場のための装置に変質するとき、その「謹慎」 は「謝罪」 ではなく「逃亡」 として機能する。 被害当事者は、その「逃亡」 を止める手段を持たない。
比嘉マリア氏 ──「離れる特権」「やり逃げ、逃げ得」
比嘉マリア氏は5月20日夜に複数の短文投稿を連続発信した。それぞれ別の投稿として:
腹が立つ
離れて終わらせる特権
やり逃げ、逃げ得
謝罪するとfacebookを辞めて
離れられる特権を行使する現象
沖縄で暮らす私は
離れることも
辞めることもできない
被害当事者も同じ
加害者側は「離れる」「辞める」「FB閉じる」「謹慎」 等の形で問題から退避できる。しかし沖縄で暮らす被害当事者は、米軍基地・性暴力・差別等の問題から「離れる」 ことも「辞める」 こともできない。この非対称が「離れる特権」「やり逃げ、逃げ得」「離れられる特権を行使する現象」 という言葉で名指された。これは論考03「1.4イベント問題に見る沖縄差別の構造 ── 離脱できる正義、離脱できない現実」 で論じた「離脱できる正義/離脱できない現実」 構造と直接対応する。
比嘉マリア氏は同日、4ヶ月余りの全経緯を振り返る長文投稿も発信し、その末尾でこう書いた。
趙博氏、どーにもならんくなったか
facebook閉じてしまった
せっかくの謝罪文も一緒にぱー
趙博氏だけの責任しゃないよ
周りにいる趙博氏の仲間さん
友達、つながり、コメントで軽口
書いてノリノリだった人たち
恥を知れよ!!!
5月17日「謝罪文(2)」 公表後、被害当事者本人が応答する前から、周辺支援者圏が「謝罪文を褒めそやしまくった」 流れが、論考41「誰にも届かない『謝罪』 ── 趙博氏『謝罪文(2)』 公表日」 第3章「美談化」「禊終了」 で記録されている。「離れる特権」「逃亡する特権」 は、加害者本人だけが行使するものではない。加害者を「神輿に担ぎ上げた連中」 が、結果として被害当事者の応答時間を奪い、加害者の離脱経路を整える ── この構造を「ろくでもない」 と被害当事者本人が名指した。
新城肇氏 ──「和解の回路は永遠に失われますね」
そして、新城肇氏は趙博氏「謹告②」 投稿にコメントを投入した(Miky King氏 添付スクショ上に「1分前」 として写り込んでいることから、投稿がまだ参照可能だった時点で書かれたことが確認できる)。
それでは和解の回路は永遠に失われますね。それでいいんでしょうか?
新城肇氏は4月30日付で4.3声明への詳細反論を公開している論者である。4.3声明側および被害当事者側の双方からの和解可能性が、趙博氏FB閉鎖によって構造的に閉ざされた、という観察である。
「逃亡する特権」── 加害者は離脱できる、被害当事者は離脱できない
本稿のタイトルにある「逃亡する特権」 は、5月20日 一日のうちに(a) 4項目要請の公開発信、(b) 砂布均氏からの公開拒絶、(c) 「謹告」 による活動自粛、(d) 「謹告②」 による「Facebookも活動のうち」 拡大解釈、(e) FB閉鎖による公開記録の撤退 ── という連鎖の中で実行された加害者側の選択を、構造的に名指したものである。
この命名は、論考03「1.4イベント問題に見る沖縄差別の構造 ── 離脱できる正義、離脱できない現実」 で論じた「離脱できる正義/離脱できない現実」 構造を、被害当事者本人の言葉(比嘉マリア氏「離れる特権」)に接続し、5月20日の事態の核心として再定義したものである。
被害当事者(宮城秋乃氏・比嘉マリア氏・Miky King氏ら)が4ヶ月余りで受けた損傷は、加害者側の「逃亡する特権」 の行使では回復しない。被害当事者は「離れる」「辞める」「閉じる」 という選択肢を持たない。沖縄で暮らし続け、4ヶ月余りの加害発信を受け続け、「謝罪文」 を読む時間さえ取れないうちに「謝罪文」 自体が消失するという、非対称的な構造のなかにいる。本土と沖縄の構造的非対称が、本件の核心にある(参照:論考16「『本土は沖縄を消費するな』」、論考13「『反差別』 の名で行われた沖縄差別」)。
終 まだ何も終わっていない
5月20日 一日の連鎖
5月20日、趙博氏は一日のうちに三投稿を連続発信し、最後にFacebookアカウントを閉鎖(一時停止とみられる)した。
4項目要請は、5月17日「謝罪文(2)」 公表時点の「説得できるよう努めます」 という私的・努力動詞を、「以下、皆さんに要請いたします」 という公開の場での要請形に切り替えた一歩前進であった。
しかし同日中に、(a) 砂布均氏「オレらが…4.3声明を撤回せなアカン理由もない」「オレらが謝罪する理由も…ない」「どこから圧力かかってる?」 という公開拒絶応答が発信され、4項目要請の第1項・第3項は共同代表側から明示的に拒否され、(b) 第2項・第4項で要請された「進まない論拠を公開の場で示す」 は充足されないまま、加害/被害の反転枠付けと外部圧力枠付けへの切り替えが実演され、(c) 趙博氏「謹告②」 で「Facebookも活動のうち」 と拡大解釈し、FB閉鎖により4項目要請への共同代表4名からの応答の公開観察可能性そのものが撤退した。
被害当事者本人からの公開発信
そして同日夜、被害当事者本人からの公開発信が連続した。
Miky King氏「『沖縄に向き合う謝罪』 というより、『芸能活動や仕事を継続していくための姿勢表明』」「facebookを閉じるという判断は卑怯です」「謝罪とは、活動停止の宣言だけで成立するものではない」。
宮城秋乃氏「FB退場は反省でなく逃げ」「謝罪文ごと消してしまった」「私たちの意見は聞いてこなかったのに、なんでその意見は採用したのだろう」。
比嘉マリア氏「離れる特権」「やり逃げ、逃げ得」「沖縄で暮らす私は離れることも辞めることもできない」「周りにいる趙博氏の仲間さん…書いてノリノリだった人たち/恥を知れよ!!!」。
そして新城肇氏「和解の回路は永遠に失われますね」。
中心命題の再確認 ── 謝罪は「活動」 ではない
「謝罪は『活動』 ではない」
「謝罪は『謹慎』 の対象ではない」
「Facebookも活動のうち」 という拡大解釈は、「謝罪の実行」 の経路そのものを撤退させる選択であった。
加害者は「離れる」「辞める」「閉じる」「謹慎」 という選択肢を持つ。被害当事者は持たない。沖縄で暮らし続け、4ヶ月余りの加害発信を受け続け、そして「謝罪文」 を読む時間さえ取れないうちに「謝罪文」 自体が消失するという、非対称的な構造のなかにいる。
趙博氏へ ── 戻ってきて向き合うことこそが
最後に、趙博氏本人に向けて書く。
5月17日「謝罪文(2)」 で、趙博氏は次のように書いた。
これからは齢70にして、前座修行を始める覚悟です。
5月15日「謝罪文(1)」 では、9件の過去発言を撤回し、4月4日4.3声明シェアまで撤回対象に含めた。5月20日「4項目要請」 では、「説得できるよう努めます」 という私的・努力動詞を「以下、皆さんに要請いたします」 という公開要請に切り替えた。これらは、生まれ変わろうとする一連の動きであった。
「その同じ日の夕方、Facebookアカウントを閉じた」
「これは本当に謝罪になるのか」
5月20日夜、比嘉マリア氏は加害者本人に向けて、公開でこう呼びかけた。
繋がる人があるなら
趙博氏に声かけて下さい
せっかくだから
facebookをクローズから元に戻しなよって
なんとか乗り越えようよ
米兵の性被害がとんでもない犯罪だとわかるなら
それを無くしたいなら
本当に沖縄にご縁があるという気持ちがあるなら
ここで
逃げたらダメだよ
私らは互いを蹴り落とすために言葉を重ねてきたわけじゃない
間違いを正そうよ
間違いには間違いだから
整理して整えよう
仕切り直そう
「facebookをクローズから元に戻しなよ」「ここで逃げたらダメだよ」「間違いには間違いだから整理して整えよう。仕切り直そう」── これが、4ヶ月余りの加害を受け続けてきた被害当事者本人から、加害者本人に向けて投げかけられた言葉である。
「生まれ変わる」 とは、Facebookを閉じて姿を消すことではない。「謝罪文(2)」 を書いた相手 ── 比嘉マリア氏・宮城秋乃氏・Miky King氏・沖縄の被害当事者・支援者 ── が、その「謝罪文」 を読み、応答し、再応答する時間と経路が確保されることである。「謹慎」 が「謝罪の実行」 を停止する形式に変質すれば、4ヶ月余りに積み上げた加害は、解かれないまま埋もれる。
「前座修行を始める覚悟」 は、自分の所属する芸能ネットワーク内での修行ではなく、被害当事者の声を聞くという修行であるはずだ。被害当事者の声に応答し続けることが、その修行の中身であるはずだ。
Facebookを戻すこと。共同代表4名への4項目要請の継続フォローを担うこと。論考40 第7章 第三〜第十項(4月4日4.3声明シェアの公開訂正・新宿梁山泊「沈黙の海、骨は語る」 旅公演対処・6月23日沖縄慰霊の日ライブ対処・宮城秋乃氏発言改変操作の自己分析・春摘紅子氏被差別性借用攻撃を制止しなかった責任の整理・4月6日反省文との比較分析・大須賀博監督およびシアタードーナツへの直接謝罪・主催「2秒の視線」 への直接謝罪と1.4イベント当日進行妨害発言謝罪)の8項目を、「謹慎中も継続して実行する」 こと。被害当事者の応答を待つ時間と経路を確保すること。
これらが、「生まれ変わる」 ことの中身である。
「離れる特権」 を行使するのか、戻ってきて向き合うのか。
「問いは、まだ加害者本人の側に開かれている」
まだ何も終わっていない
5月20日のFB閉鎖が「終了」 ではなく、被害当事者と支援者にとっての「これからの問い」 となるかどうかは、残る七名一人ひとりの応答、そして周辺支援者圏(「神輿に担いで持ち上げた連中」── 比嘉マリア氏)の整理にかかっている。
そして、趙博氏本人が、被害当事者本人の呼びかけ ──「整理して整えよう。仕切り直そう」── をどう受けるかにかかっている。
逃亡する特権が許されないために、本稿は記録を続ける。
「まだ何も終わっていない」
参照論考一覧
本稿で参照した論考シリーズの主要稿。
論考03「1.4イベント問題に見る沖縄差別の構造 ── 離脱できる正義、離脱できない現実」 ── 本稿「逃亡する特権/離れる特権」 の理論的基礎
論考13「『反差別』 の名で行われた沖縄差別」 ── 沖縄差別であると論証した到達点
論考16「『本土は沖縄を消費するな』 ── 何が問われているのか」 ── 本土による沖縄消費の構造的問題
論考25「声明側はTICを知らなかった ── 無知が生んだ2ヶ月間の加害」 ── TIC(トラウマ・インフォームド・ケア)の核心
論考27「『殲滅』 と『連帯』 ── 趙博氏の3ヶ月間の記録」 ── 4月6-7日反省文と翌日撤回
論考31「TICを知らなかった者と、知っていて適用しなかった者 ── 砂布均氏とMarikoCaroline Greet氏の矛盾」 ── TIC続編
論考40「『謝罪』 ではなく二次加害 ── 趙博氏『謝罪文(2)』 を読む」 ── 5月17日「謝罪文(2)」 ロング版
論考41「誰にも届かない『謝罪』 ── 趙博氏『謝罪文(2)』 公表日」 ── 5月17日「謝罪文(2)」 ショート版
論考シリーズ全体の読み方ガイド付き一覧はこちら。
(2026年5月20日 red)
