【デジタル巡礼】阿寒――根源。言葉を超えて、「強く、面白く」踊る。

美瑛に引かれた「秩序の線」をあとに、僕は今、深い森と湖の静寂に包まれている。
阿寒、アイヌコタン。
木彫りのノミが弾く音。
五月の阿寒湖はいまだ冬の名残のような冷気を湛(たた)え、アイヌの人々が「カムイ」と呼び、敬ってきた野生の息吹が、そこにある。
ここは、北海道巡礼の極点。
言葉の前で、生きてきた場所だ。
透析を受けながら、構成を考えています。

文字がない。
だからこそ、彼らは「今」を逃さない。
形に残る言葉を持たないからこそ、風のささやきを全身で受け止め、踊るように生きてきた。
ままならない不自由も、運命も。
すべてを役割を持ったカムイとして、共に在ったのだ。
森を歩きながら、僕はいつの間にか、小さな声で口ずさんでいた。
「かわいいコロボックル♪」
ふっと漏れた歌声が、風に溶けていく。
目に見えないものと遊ぶ。
それだけで、いい。
あどけない知恵の欠片が、僕の身体にも馴染んでいく。
すべてをデータとして記録しようとする、傲慢な光をあとに、僕は思う。

生きているだけで、もう十分面白い。
週12時間の透析室。
言葉にできない時間が、ただ流れている。
機械に繋がれ、重い倦怠と向き合う時間は、僕の生を削り出す儀式だ。
3万円のPCを開き、文字を綴る。
だが、本当に残したいのは、整った文章ではない。
文字になる前の、震えるような「生きている実感」そのものだ。
「大ふべん者……だが、それがいい」
不自由であっても、面白さは失わない。
重荷があるから、歩幅にリズムが生まれる。
制限があるから、言葉に命が宿る。
理屈はいらない。
面白いかどうか、それだけだ。
それは、どんな過酷な地であっても自分を劇場に変えてしまう、古の魂と同じ在り方だ。
湖畔に立つ。阿寒富士が水面に揺れている。
アイヌの人々が何千年も物語を紡いできたように。
僕もまた、この不自由な現実を「最高のアソビ」として、死ぬまで踊り続けてやる。
巡礼は続く。
北海道・十の地層をすべて踏みしめて。
次は総括。
「削られ、残り、なお在る」僕たちの物語を、一束の槍として完成させるために。

【透析を受けながら、構成を考えています。】
