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“子どものため”という名の言い訳 ― 私だって、幸せになっていい

「子どものために」「家族のために」——そう思ってがんばってきたのに、どこか満たされない自分がいる。
やりたいことを諦めた毎日に、私は心から笑えているだろうか?
“子どものため”という名の言い訳で、自分を置き去りにしていないだろうか。
母親である前に、一人の人間として。私が幸せでいることは、わがままなんかじゃない。
これは、そう気づけた私の小さな一歩の記録。


「何も制限がなかったら、本当はどう生きたい?」

スピーチコンサルタント古賀静香さんの言葉。
育児に追われる日々の中で、”自分には無理”とやりたいことを諦めていた彼女。でも、ある人に、「何も制限がなかったら、本当は何がしたいの?」と聞かれたことで、自分のやりたいことに向き合い、すぐにはできなくても、その”やりたいこと”の近くで動いていくことで、少しずつ望んでいた人生を引き寄せたという。


自分を諦めることが、当たり前になっていた――「子どものため」と言いながら、「私」を置き去りにしていた

育児や家事に終われる毎日の中で。
「保育園のお迎えに行かなきゃ」、「子供がママから離れないから、夜は家を空けられない」——できない理由はいくらでも思い浮かぶ。
母親になってから、自分のことはいつも後回し。
気づけば、何かを「諦める」ことに慣れてしまっていた。

でも、はっとした。
これは本当に”子どものため”?
自分の人生なのに、子供を、育児を、家事を、言い訳にしていないだろうか。

自分のやりたいことを諦めて、子供のためにと何かを我慢しているとき、
私は心から笑えているだろうか。
子供との「今」を楽しめているだろうか。

「あれ、私の子育て、少し楽になってる?」――気づきをくれたびっくりドンキーでの夕飯

ある日曜の夕飯、疲れ果てて「もう頑張れない」と思いながら、家族4人でびっくりドンキーへ。
待っている間、子どもたちはロボットに興味津々で、じゃんけんをしたり、手遊びをしたりと、予想以上にご機嫌に過ごしてくれた。
ごはんが来ると、5歳の娘も、もうすぐ3歳の息子も、自分で座って、ちゃんと自分で食べてくれた。
私は、自分のハンバーグを、邪魔されることなく最後まで味わうことができた。

ふと周りを見渡すと、そこには育児真っ只中の子連れファミリーがたくさんいた。
ミルクを飲ませてもらっている赤ちゃん、小さな子を抱えながら食事をかきこむパパ、泣いた子をあやしに席をたつママ…。

「ああ、うちの子どもたちって、いつの間にか大きくなってたんだ」
そして、ふと、気づいた。
「あれ? 私の子育て、ちょっと楽になってきてる?」

夜通し起こされた日々、離乳食作り、全力で追いかけ回していた時期、ママにべったりで身動きとれなかった日々……。
そんな“嵐のような季節”は、いつのまにか、過ぎ去りつつあるのかもしれない。

おわらない子育てはないって誰かが言っていた。
ほんの少しずつでも、毎日、子どもは成長している。
なのに私は、いつまでも「小さな子の育児真っ最中の自分」のままで、立ち止まっていたのかもしれない。
今こそ、子育てのフェーズが変わったことを、自分の中でアップデートするタイミングなのでは…?

もう「子育てしているから」「家事があるから」を理由に、自分の人生を先延ばしにしている場合じゃない。
自分の気持ちにちゃんと耳を傾けるときが来たのだ。

自分を満たすことは、わがままじゃない――「シャンパンタワーの法則」


一番上のグラス(自分)にシャンパン(エネルギー)を注がなければ、その下のグラスは満たされない。まず自分自身を満たすことで、その溢れたエネルギーが周りの人々を満たしていく。

シャンパンタワーの法則

母親として、妻として、誰かのためにと生きていたけど、まずは自分自身のグラスを満たすことが、結局は家族みんなの幸せにつながるんだと、ようやく気づいた今日この頃。

「親の幸せ」と「子どもの幸せ」は、ちゃんとつながっている

保護者の幸せ実感と、子どもの幸せ実感は、相互に影響している。
保護者自身の幸せのために、普段の生活の充実が必要。

ベネッセ教育総合研究所

そう、まずは自分を満たさないと。
自分のやりたいことを叶えようとすることは、わがままなんかじゃない。
母親の前に、妻の前に、ただの「私」。
私が、自分らしく生きていくこと、そして笑顔でいること。
それこそが、子どもにとって、いちばんの幸せなのかもしれない。

おわりに――

いつも自分に制限をかしていた私にさよなら。
小さなことからひとつずつ、自分を満たしていこう。
「私」が幸せであるために。

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