左利き用の万年筆が教えてくれたこと
バイアスの修正にはまず知識から
ドイツ視察のため、フランクフルトを訪れた。
家族からお土産に文房具を頼まれていた。
ドイツの文房具といえば、LAMYである。
デパートの文房具売り場には、LAMY製のペンがたくさん並んでいた。手頃な価格の万年筆があったため、それを購入することにした。
日本の売り場と同じように、試し書きができるコーナーがあった。そこで私は、右利き用の万年筆と左利き用の万年筆があることに気付いた。
右利きの私は、両方を試してみた。
しかし、正直なところ、特に違いは感じなかった。
陳列棚の万年筆は盗難防止用にロックされていたため、店員さんを呼んだ。欲しい万年筆を手に取ろうとしたとき、店員さんからこう聞かれた。
「左利きですか?」
私は、
「右利きです」
と答えた。
すると、店員さんはすぐ横の陳列棚を案内してくれた。
どうやら右利き用と左利き用で売り場が分かれていたようである。
そのときは、右と左で何か違いがあるのだろう、と思うだけで、特に深く考えることはなかった。
右利きには見えていなかった世界
帰国後、家族に万年筆を購入したときの話をした。
すると、右利き用と左利き用の区別があることを、家族もよく分かっていないようだった。
確かに、右利きと左利きでは書き方が異なる。
それは分かる。
しかし、ペンの構造にまで違いをつける必要があるとは、私自身も思っていなかった。
気になってネットで調べてみると、左利き用の万年筆が存在する理由が分かった。
世の中の多くの人は右利きである。
右利きの人が万年筆で文字を書くとき、多くの場合、ペン先を引くようにして書いている。
一方、左利きの人は、文字の進行方向に対してペン先を押すように書くことが多い。
この違いが、万年筆では大きな差になるようだ。
万年筆は基本的に、ペン先を紙の上で滑らせるようにして書く道具である。右利きの人にとっては自然に引く動きになるが、左利きの人にとっては押す動きになりやすい。
その結果、ペン先が紙に引っ掛かったり、インクがうまく出なかったりすることがあるという。
左利き用の万年筆は、そうした押し書きでも書きやすいように工夫されているそうだ。
言われてみれば、確かにその通りである。
当たり前は、誰かにとっての不便かもしれない
私たちは普段、文字を左から右へ書く。
多くの言語の文章も、左から右へ流れるようにできている。
右利きである私にとって、それはあまりにも自然なことである。
だからこそ、その仕組み自体を疑うことがなかった。
しかし、その「自然」は、右利きの人にとって自然なだけかもしれない。
世の中の多くは、右利きの人を前提に作られている。
ハサミ、机、改札、工具、文房具。
普段は気にも留めないものの中にも、右利き仕様は数多くあるのだろう。
私は右利きである。
そして、世の中の大半が右利き仕様でできていることを、改めて知る機会となった。
あまりにも当たり前すぎて、気付かなかった世界がそこにあった。
知識が視点を変える
今回の出来事で感じたのは、自分が知らないうちにバイアスの中で生きているということである。
バイアスというと、何か悪意や偏見のように捉えられることがある。
しかし、必ずしもそうではない。
単に知らないだけ。
経験したことがないだけ。
自分にとって不便ではなかっただけ。
そういう理由で、見えなくなっている世界がある。
だからこそ、バイアスを修正するためには、まず知識が必要なのだと思う。
左利き用の万年筆がある。
その理由は、左利きの人の書き方に合わせるためである。
たったそれだけの知識でも、見える景色は少し変わる。
それまで「右利き用と左利き用があるのか」と思っていただけのものが、「そうか、右利きの自分には気付けない不便があったのか」という理解に変わる。
知識は、視点を変える入口になる。
ビジネスはバイアスを乗り越える営みでもある
同時に、こうしたバイアスを乗り越えることは、ビジネスの大切な目的でもあると思った。
多くの商品やサービスは、無意識のうちに「多数派」を前提に作られている。
それ自体は、ある意味では自然なことかもしれない。
しかし、その前提からこぼれ落ちる人がいる。
右利き用の万年筆が当たり前であれば、左利きの人には使いにくい。
多数派にとって便利なものが、少数派にとって不便になることがある。
そこに気付き、工夫し、別の選択肢を用意する。
それは単なる親切ではなく、立派な価値の創造である。
ビジネスとは、不便を解消する営みである。
そして、不便を見つけるためには、自分の当たり前を疑う必要がある。
そのためには、まず知ることだ。
知らなければ、気付けない。
気付けなければ、変えられない。
フランクフルトの文房具売り場で見た左利き用の万年筆は、私にとって小さなお土産以上のものになった。
それは、自分の中にある当たり前を少しだけ揺さぶってくれる出来事だった。
