台湾映画『鯨が消えた入り江』とレスリー・チャン
半年前、Netflixで『HIStory 2 越界 ~君にアタック!』に出演していた范少勳(フェンディ・ファン)が出演していたので視聴した『鯨が消えた入り江』(原題:我在這裡等你)。
今夏、2025年8月8日からの「2週間限定上映」で鑑賞した方も多いのではないでしょうか。
しかし、正直なところ、初見の時点では、あの不思議な郵便受けが生み出す複雑な時系列と世界線の改変に頭が追い付かず、わずかな消化不良感を抱えてしまいました。ただ作品全体の美しさ、ティエンユーとアシャンの物語の感動は疑いようがなかっただけに、すぐに考察を探し求めました。
そこで気づかされたのが、この作品に深く織り込まれたレスリー・チャン(張國榮)という伝説の存在です。
恥ずかしながら、彼の名前を耳にしたことはあっても、その作品に触れたことはありませんでした。
そして、『鯨が消えた入り江』は、ウォン・カーウァイ監督の傑作『ブエノスアイレス』への深いオマージュ作品ではないかという記事を目にしました。
それから、彼の人生、特に公に同性愛者であることを表明されていたこと、そして死に至る経緯を知りました。
レスリー・チャンのことをもっと知りたくなった私は、レストアされた香港の巨匠ウォン・カーウァイ監督の耽美的な愛の物語『ブエノスアイレス』、そして京劇の世界で運命的な愛憎を描き、歴史的名作として名高い『さらば、わが愛/覇王別姫』を視聴しました。
そして、レスリー・チャンという稀代のアーティストが、東アジアのクィア・シネマ、そして普遍的な愛の物語に遺した影響の大きさを感じました。
レスリー・チャンを知ることで、『ブエノスアイレス』のオマージュ的な部分があるというだけでなく、もっと深いものが感じられたように思います。
『ブエノスアイレス』の主人公は旅の目的地である「イグアスの滝」に、二人ではたどり着けなかった。
しかし『鯨が消えた入り江』では、ティエンユーとアシャンはグアバ(犬)の案内により滝にたどり着きます。
少し長くなりますが、この素晴らしい作品に込められているであろう、様々な想いを、私なりに書き留めておきたいと思います。
※ここからはネタバレですのでご注意ください。
台湾映画『鯨が消えた入り江』(2024年)
ティエンユー(顧天宇)役:テレンス・ラウ (劉俊謙)
アシャン(鍾易翔/阿翔)役:フェンディ・ファン(范少勳)
<ザックリあらすじ>
香港の人気作家ティエンユー(天宇)は、盗作疑惑で世間から激しいバッシングを受け、人生に絶望していました。彼は、かつて文通していた少年から聞いた、「天国に繋がる」という伝説の場所「鯨が消えた入り江」(死に場所)を探し求め、単身台湾へ渡ります。
台北で泥酔していたティエンユーは、地元のチンピラの青年、アシャン(阿翔)に助けられます。ティエンユーが「鯨が消えた入り江」を探していると打ち明けると、アシャンは「その場所を知っている」と請け合い、二人の旅が始まります。
台湾の美しい風景の中を旅するうちに、二人は心を通わせていきます。アシャンはティエンユーにかつて自分が文通をしていた少年「ジン・ルンファ(金潤發)」であることを明かさないまま、二人で見るはずだった花火大会(2020年)の日にアシャンは事故で命を落としてしまいます。
その事実を知らないまま、ティエンユーは「香港で待っている」とメモを残し香港に戻ります。
その後、アシャンがティエンユーの手紙に書かれた「台北へ行け」という言葉を信じ、養子縁組で台北へ行きましたが、養父からの虐待を受け過酷な運命だったことを知り、さらには亡くなったことを知らされます。
自分の言葉がアシャンの人生を狂わせたことを知ったティエンユーは、文通をしていた郵便受けの不思議な力を信じ、「台北へ行くな」と郵便受けにルンファ宛ての手紙を投函し続け、ルンファが台北へ行かない未来、すなわちアシャンが命を落とさない別の運命を願い、過去を書き換えようと必死に試みます。
そして、ティエンユーの想いは時空を超えて奇跡をおこします。
世界は「アシャンが生きている世界」へと書き換えられ、二人は台北で再会するのです。
しかし、その世界は、アシャンがティエンユーのことを知らない世界です。
「鯨が消えた入り江」の原題は「我在這裡等你」で「私はここであなたを待っている」という意味だ。
アシャン(ルンファ)が探し求め、奇跡が起こる前にアシャンが「ティエンユー、死なないで。ここで待ってる」と願った場所が「鯨が消えた入り江」。
そして、ティエンユーが手紙を送り続け待ち続けた場所、奇跡が起こる場所、すなわち、アシャンに会える場所が「鯨が消えた入り江」だった。
不思議な郵便受けの存在とパラレルな時系列を理解するのに少し時間がかかりましたが…。
たとえ二人の思い出が消え去ろうとも、ただただ愛する人に会いたいという強い願い(愛)は時空をも歪め、新たな世界を創り出すという究極の愛の物語だった。
エンディングで映し出された浜辺に座る2人の描写は、奇跡が起こる前なのか後なのか…。
2023年の花火大会は、二人並んで花火を見上げたと信じている。
香港映画『ブエノスアイレス』(1997年)
ファイ役:トニー・レオン
ウィン役:レスリー・チャン
チャン役:チャン・チェン
監督:ウォン・カーウァイ
<ざっくりあらすじ>
ゲイのカップルであるファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)は、二人の関係を修復しようと香港からアルゼンチンへ渡り、旅の目的地であるイグアスの滝を目指しますが、道に迷ったことなどから喧嘩になり、別れてしまいます。
旅費がなく香港に帰れないファイはブエノスアイレスで働き始めます。その後、傷を負ったウィンがファイの元へ転がり込み、二人は再び一緒に暮らし始めます。ファイは甲斐甲斐しくウィンの面倒を見ますが、自由奔放なウィンは傷が癒えると再び外出(他の男に会いに行く)を繰り返すようになります。
ウィンの奔放さに不安と独占欲を覚えたファイは、ウィンのパスポートを隠してしまいます。これを知ったウィンは怒ってファイの元を去り、また別れ別れになります。
ファイは仕事場で、台湾から来た旅行者の青年チャン(チャン・チェン)と親しくなり、彼との交流を通じて人生と向き合うきっかけを得ます。やがて旅費を稼いだファイは、一人でイグアスの滝へと向かい、一人で香港へ帰る決断をします。
ファイは香港へ帰る途中に台北に立ち寄り、チャンの実家が営む屋台を訪れ、「会いたいとさえ思えば、いつでもどこでも会える」と確信して、一人立ちした希望とともに旅を終えます。
という、ざっくりすぎるあらすじですが、要するにレスリー・チャン演じるウィンはどうしようもないチャランポランな男で、でも憎めないキャラで、そんな男にファイはあれこれと、尽くしまくるのだ。
裏切られても「やり直そう」の言葉で許してしまう、喧嘩しては別れを繰り返し、愛し合いながらもすれ違い、傷つけ合う二人の男の切なくも熱い関係を体温が感じられるくらい描いている。
『ブエノスアイレス』が制作された当時の香港は、1997年7月1日の香港返還を目前に控えた時期。
映画の舞台は1995年頃から始まり、後半では、中国の最高指導者だった鄧小平の死去(1997年2月)が報じられるシーンもあり、物語の終盤が返還直前の時期と重なる。
そして彼らが「故郷ではない場所」であるブエノスアイレスを彷徨う姿は、返還を前に「どこへ帰るのか」「自分たちは何者になるのか」という、香港の人々が抱えていたアイデンティティや未来への不安と期待を見事に描いているように思える。
(作中の舞台から30年が過ぎた今の香港を考えると、複雑な気分ではある。)
そして、激しく依存し傷つけ合う二人に反して、原題は『春光乍洩』(直訳は「春の光がふいに漏れる」)、英題は「Happy Together」なのだ。
終盤、ザ・タートルズの疾走感のある音楽「Happy Together」が流れて、これまでの暗く息苦しい関係から抜け出し、ファイが前を向いて歩き始める雰囲気で物語は締めくくられる。
♪♪So happy together(ねぇ、幸せになろうよ、二人で)♪♪
しかし、ウィンは? パスポートは隠したまま?
アルゼンチンに一人取り残され、愛するファイがいない絶望を味わっているのでは?
「会いたいとさえ思えば、いつでもどこでも会える」
この言葉は誰に向けられているのか…。
レスリー・チャンの存在
『ブエノスアイレス』を観た後に、もう一度、『鯨が消えた入り江』を観ましたが、感じ方が全く変わってしまった。
時代背景や使用されている楽曲や美術に、レスリー・チャンの存在があちこちに。そして終盤、「春夏秋冬」の歌が流れると涙が止まらなかった。
☆レスリー・チャンの主演作との関連性
ティエンユーとアシャンが「鯨が消えた入り江」を目指して旅をする設定が、『ブエノスアイレス』の主人公たちが「イグアスの滝」を目指す旅と重なる。
『ブエノスアイレス』と同じくレトロな車で旅をして、車が故障する。
途中で滝のシーンが登場して「イグアスの滝」を連想させる。
『ブエノスアイレス』のファイが香港に帰る前に訪れた場所も、『鯨が消えた入り江』の舞台も台北。
アシャン(ルンファ)の部屋には、レスリー・チャン主演の映画『星月童話』や『ノマド』などのポスターが貼られている。
☆「春夏秋冬」とタイトルの関連性
映画の終盤の重要なシーンで、レスリー・チャンの名曲「春夏秋冬」が使用されている。
手紙に書かれた「春夏秋冬」の「秋天該很好 你若尚在場(君がいれば秋も美しい)」というフレーズ。アシャンの部屋の壁にも書かれている。
英題「A Balloon's Landing」は、「春夏秋冬」の英語タイトルである「A Balloon's Journey」(気球の旅)に対応していて、旅の終わりを暗示している。
☆ その他
ティエンユーの両親が亡くなった2003年は、レスリー・チャンも亡くなっている
主人公ティエンユーを演じたテレンス・ラウは、2021年の香港映画『梅艷芳(アニタ)』でレスリー・チャン役を演じている。
自殺しようとするティエンユーが、レスリー・チャンを思い起こさせる。
「2023 レスリー・チャン 世界ツアー台北公演」のポスターや看板、チケット。
「 レスリー・チャン ワールドツアー2023」が意味するもの
現実の世界において、レスリー・チャンは2003年に亡くなっている。
しかし、ティエンユーが過去へ手紙を送り、アシャン(ルンファ)が台北へ行かないように運命を書き換えた後の2023年の世界には、「張國榮(レスリー・チャン)ワールドツアー2023」の公演が行われている。
これは、ティエンユーの介入によって、単にアシャン(ルンファ)の運命が変わっただけでなく、レスリー・チャンが2003年に亡くならなかった(香港も変わらなかった?)、より幸福な世界線が生まれたことを示している。
そして、これは同時に、私たち観客の「もしレスリー・チャンが生きていたら」という切実な願いが、作品の世界線の中で具現化された瞬間でもある。
「会いたいとさえ思えば、いつでもどこでも会える」
『ブエノスアイレス』の結びのモノローグ「会いたいとさえ思えば、いつでもどこでも会える」は、ファイが精神的な自由を得た「境地」だった。
そして、ティエンユーが書き換えた世界で、幸せそうなアシャンと再会する「春夏秋冬」の曲が流れるラストシーン。
この瞬間、ティエンユーもまた、アシャンに「会いたいとさえ思えば、いつでもどこでも会える」と思ったに違いない。
また、レスリー・チャンは2003年にこの世を去りましたが、今なおアジアの多くの人々の心に深く刻まれていて、彼の歌や映画を通して「会いたいとさえ思えば、いつでもどこでも会える」と…。
『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年)
中国・香港の合作映画。
京劇のスターを主人公に、激動の中国近現代史を背景として、愛と憎しみ、嫉妬、そして芸術への執念を描いた、壮大な愛憎劇です。
レスリー・チャンのキャリアの中でも最高傑作の一つと称される作品です。(本当にレスリー・チャンは妖美だった。)
日中戦争、日本軍の占領、国民党政権、そして共産党の政権樹立、文化大革命という時代背景もしっかりと描かれ、目を覆いたくなるシーンもありました。(とくに幼少期はしんどかった…)
しかし、強烈なストーリーに視聴後は、頭の中が真っ白になった。
凄かった…。
程蝶衣(チョン・ディエイー)役:レスリー・チャン
段小樓(ドゥアン・シャオロウ)役:チャン・フォンイー
菊仙(チューシェン)役:コン・リー
<あらすじ>
1. 幼少期と運命の出会い
1925年の北京。娼婦の母親に京劇の養成所に連れてこられた少年小豆子(シャオドウズ)は、そこで兄弟子の小石頭(シャオスートウ)と出会います。厳しい訓練と折檻に耐える日々の中、小豆子はいじめからかばってくれる小石頭に、次第に強い思慕を抱くようになります。
小豆子は繊細で美しく、女性役の女形(おやま)に、小石頭は力強く男役の覇王に配役されます。特に京劇の演目『覇王別姫(はおうべっき)』で、小豆子(虞姫役)と小石頭(覇王役)は天下一のコンビとして頭角を現します。小豆子は、稽古中に「私は女」という台詞を間違え続けるうちに、現実と京劇の区別がつかなくなり、自分自身が虞姫であるかのように、そして小石頭を愛するようになるのです。
2. 三角関係と激動の時代
成長した小豆子は京劇のスター・程蝶衣(レスリー・チャン)、小石頭は段小樓(チャン・フォンイー)として名を馳せます。蝶衣は小樓への愛を募らせますが、小樓は舞台と現実を区別する豪快な性格で、その愛を受け入れられません。
そんな小樓は、ある日、毅然とした態度を持つ美しい娼婦・菊仙(コン・リー)と出会い、結婚してしまいます。この結婚は蝶衣の激しい嫉妬を呼び、三人の間に愛憎渦巻く魔の三角関係が生まれます。
京劇界のトップに立つ彼らは、日中戦争、日本軍の占領、国民党政権、そして共産党の政権樹立といった激動の中国近現代史の中で、常に時代の波に翻弄され、地位や愛するものを失っていきます。
3. 文化大革命と結末
物語は特に文化大革命(1966年〜)の時代に最も残酷な局面を迎えます。旧体制の文化や価値観が徹底的に否定される中、三人は周囲に扇動され、互いを裏切り、過去の「罪」を暴露することを強いられます。
保身のために、小樓は蝶衣を裏切って過去を告発し、さらには菊仙との愛も否定する痛ましい言葉を吐きます。夫の心変わりと裏切りを目の当たりにした菊仙は、絶望の末に自殺してしまいます。
そして文化大革命が終わり、十数年後。すっかり老いた小樓と蝶衣は、二人きりで京劇の舞台『覇王別姫』を演じます。虞姫になりきった蝶衣は、劇中の虞姫と同じように、小樓が腰に差していた覇王の剣で自らの喉を突き刺し、人生のすべてを費やした舞台上で最期を遂げます。
小樓は驚き、かつての愛称で「小豆(シャオドウ)」と小さく呟き、蝶衣の魂がようやく安息を得たことを示唆して物語は幕を閉じます。
