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「らしさ」の迷路

「その人らしさを、大切にしましょう」

介護の世界に飛び込んだ私を待っていたのは、壁に掲げられた、その美しいスローガンでした。けれど、その言葉はいつしか、私の足をすくませる足枷のようになっていました。

その人らしさって、一体なんだろう。

目の前の利用者さんの人生に、誠実に向き合おうとすればするほど、答えのない迷路に迷い込んでいく。当時、50代だった私は、自分自身の「自分らしさ」さえまだ掴めていませんでしたから。それなのに、他人の人生の芯にあるものを定義し、支えるなんて傲慢ではないか、と思いました。

私は同じ場所をぐるぐると回り続けていました。どこへも進めないまま、心だけが摩耗していったあの頃。

周りの高齢者のご家族の話に、耳を傾けるようにもしてみました。けれど、「本当のところは、それだってわからないのではないか」という疑念は消えませんでした。

家族が見ているのは、あくまで「親としての顔」や「元気だった頃の記憶」というフィルターを通した姿です。本人の本当の肉声は、どこにあるのだろう。

そんな私の迷路に、ひとつのヒントをくれたのは、亡くなった祖父の日記でした。

母方の祖父は、明治生まれの絵に描いたような生真面目な人間。少し怖いイメージも。

祖父の法事のとき、遺された日記を少し読ませてもらう機会がありました。ページをめくっていくと、なんとそこには、私が生まれた日のことが残されていました。

さらにビックリ、私の名前の候補が3つ並んでいて、「この名前なら、こんな女性に育つだろうか」「いや、こちらの名前なら…どうだろうか」。

初めての女の子の孫の、まだ見ぬ未来を勝手に想像し、真剣に、そして笑ってしまうほどに頭を悩ませている祖父の姿が、そこにありました。

今の私の名前を選び、付けてくれたのは祖父。その事実と、日記から溢れ出す愛情に触れたとき、私は、祖父への印象がガラリと変わりました。と同時に「この名前で、本当に良かった」と、心から思えたのです。

何のフィルターも通さない、本人が自分のためだけに紡いだ言葉。それが、その人の「らしさ」を知る、一番の手がかりになるのではないか。

私は日記の行間から、祖父の「その人らしさ」を見出し始めていました。

祖父の日記を読み進めると、昭和から平成までを駆け抜けた一人の男の足跡が刻まれていました。

戦時中、身体が弱く兵役を免れたことを、「日本男児として恥だ」と深く悔やんでいたようでした。その悔しさをバネに、強い身体を作るため、あらゆる健康法を片っ端から試さずにはいられない行動力。戦地へ行けなかった負い目を社会貢献に変える努力。

退職後は町内会長や老人会の仕事を率先して引き受け、誰かが困っていると聞けば、さっと動く優しさ。

日記の文字からは、不屈の精神と利他の心が、力強く滲み出ていました。

一つ、忘れられないことがあります。

そんな祖父が、人生の最終章に認知症を患いました。次第に記憶の糸は解け、ある時、自分の名前さえも言えなくなってしまいます。介護現場の言葉で言えば、「その人らしさ」が失われつつある状態。

でも、祖父の「らしさ」は、そんな病気ごときで消えはしません。名前を忘れてしまった祖父が、毎日ずーっと続けていたことがありました。

それは、町内の溝掃除。黙々と灰と泥を集め、灰が降る街をきれいにする祖父の背中に、近所の婦人が声をかけました。

「いつもきれいにしてくださって、助かります、ありがとうございます」と。

その瞬間、祖父はまぎれもなく、あの生真面目で利他にあふれた「いつもの祖父」でした。

言葉や記憶を失っても、人生をかけて体に染み込ませた「魂の習慣」は、壊れていないものだと思いました。

「その人らしさ」とは、誰かが定義するものではなく。その人が選び、重ねてきた日々のあしあとだと、祖父は言葉なき背中で私に教えてくれました。

完璧な答えを探して、バスケのピボットのようにぐるぐると、軸足を動かせずにいたかつての私の迷路は、ようやく静かに終わりました。

今、私は還暦を過ぎ、実質「おばあちゃん」と呼ばれる年齢です、この先、自分の名前を忘れてしまうかは、わかりません。

そして、日々、思うままをnoteに綴っています。かつて私が祖父の日記に救われたように、私が今、書いているこのnoteもまた、いつか子供や孫が目にしたとき、私という人間を理解してもらうための手立てになるかもしれない。そんなささやかな願いを抱きながら、私は今日もキーボードを叩いているというわけです。

おじいちゃん、
あなたが真面目に悩んで選んでくれた私の名前で、私は私らしく生きています。


毎日、暑いですね、この毛皮、暑いのです


祖父が亡くなる10年前ーー。

1993年(平成5年)8月6日の「鹿児島8・6水害」は、鹿児島市内の中心を流れる甲突川の氾濫で、浸水家屋1万3000棟、浄水場の水没により最大約8万3000戸が断水するなど、甚大な災害でした。

高齢の祖父母がその渦中で家財を失い、水に浸かった我が家を目の当たりにしたショックは、計り知れません。

そんな中、奇跡的に、祖父の日記は残っていたのです。しかしこの日を境に、祖父は記憶を留めることができなくなり、残念ながら筆跡も途絶えました。

「高齢者は被災すると、環境変化で認知症・せん妄のリスクが高まる」これは、あの時、祖父を見て、心に残った教訓です。


そして何より辛かったのは、
「心配かけて、ごめんね」という祖母の言葉、自分達が大変な状況になっているというのに…。

こちらのことは、気にしなくていいと伝え、無理をしないようにと声をかけることが精一杯でした。






熊本地震で被災した方々へ

どうか今夜、涼しい場所で、少しでも心穏やかに眠れますように。心と体が少しでも軽くなりますように。