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この感情が嫉妬でしょうか #嫉妬祭り

最後に嫉妬したのはいつ、だれにだろう。

たとえば子どもの頃。
妹が生まれ、両親も親戚も友達も妹にかかりきりだった時期に、なんでよ、わたしも見てよ、と思ったりだとか、携帯ゲーム機を家の外に持ち出して、空き地で通信対戦をしている近所の友達の画面を覗いてまわって羨ましくなったりだとか、背格好も名前も好きも得意も似ているけれど、全部わたしより良くできる友達がいて、わたしとあの子は似てるけど、きっとわたしは「じゃない方」なんだろうな、と心にもやがかかったことはある。

今でも誰かにいいな、すごいな、と思うことはある。ライブにいっぱい行けててうらやましいなとか、妹に身長越されたとか、このアイドルわたしより年下じゃんとか、もう内定貰ったんだとか。たくさん。どうやらわたしは、いいな、と思うことと、やきもちを焼くことを切り離して考えているみたい。それができるようになったのは、多分、いつかどこかで聞いた言葉を、心の真ん中に置いているから。


一番いらない感情が嫉妬だと思うの

世界でいちばんかっこいいあの人は、今のわたしより少しお兄さんのとき、そんな風に言ったらしい。

テレビの前でにこにこと笑うあの人は、自律の人。電波に乗らないところで鍛錬を重ねた上でカメラの前に立っている。直接見たわけではないから、ずっと練習してるよね、台本ボロボロだもんね、などと共演した人がバラしてくれなかったら知りえなかった面だけど。

きっと誰かがこうだから、ではなくて、自分軸で物事を考えられるから、もくもくと刃を研いでいられるんだろうな。勝手に思いを馳せていたら、自分がものすごく小さく見えた。嫉妬を感情のくずかごに捨てた。それがだいたい5年前くらいのこと。


嫉妬に関するnoteを書く、という企画を知って、感情のくずかごを覗いてみた。思ったよりも色は薄く、形も小さく、弱弱しい。「嫉妬を手放した」と書くとなんだかすごい人みたいだけれど、そんなことはなくて、ただ嫉妬を何かを成すためのエネルギーとしない、それだけのことみたいに思う。少なくともわたしはそういう人間なんだろう。だから、嫉妬を力に変えて、何かをもっと頑張ろうと奮起できた人は純粋にすごいな、と思う。わたしはきっとそんなに頑張れないから。

いろんな人のいろんな嫉妬を読んで、すごく「生きている」感じがした。どのエピソードも、当たり前だけど同じものはなくて、みんな必死で、本気。醜かったり、不格好だったりもするかもしれないけれど、なんだか眩しい。


わたしはわたしが望んで嫉妬をしなくなった。自分で決めた。結構快適だと思っていた。なのに、今は少しだけ苦しい。
ないものねだりでしょうか。この気持ちには、嫉妬と名が付くのでしょうか。

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