棋士の統括
将棋連盟の理事会が棋士を統括するには、一般的な企業における取締役会と社員との関係とは異なり、構造的な難しさを抱えています。以下に考察していきます。
個人事業主としての棋士
棋士は将棋連盟に所属していますが、雇用関係にあるわけではなく、個人事業主という立場にあります。芸能事務所とタレントのようなマネジメント契約を結んでいるわけでもありません。
この関係だけを見ると、将棋連盟は棋士に仕事を依頼するクライアント的な立場、棋士は将棋という技能を提供するサービス提供者となり、本来は将棋連盟が棋士を統括する立場にはないことになります。
しかし実際には、将棋連盟は棋士の対局スケジュール調整、対局場の設営、タイトル戦への同行、イベントや取材の手配、報酬の経理処理など、一部マネジメントの役割を担っています。これは、団体として円滑な活動をステークホルダーに対してコミットするために、棋士を統括し、一定の規律を保つ必要があるからです。
とはいえ、個人事業主である棋士の活動をどこまで組織がマネジメントし、規律すべきかの線引きは難しく、案件ごとに判断のコストがかかり、ノイズが生じやすいのが実情です。このノイズを減らすために、将棋連盟と棋士の間でマネジメント契約を結ぶという考え方もあります。ただし、棋士の自由な立場を尊重する必要があること、そして将棋連盟自身が200名を超える棋士・女流棋士を一括してマネジメントできるだけの専門性やリソースを持ち合わせていないことが課題となっています。
近年では将棋連盟外で活動の幅を広げる棋士も増えていますが、対局など多くの棋士の活動の中心には将棋連盟が関係しています。つまり、棋士は個人事業主として独立的である一方で、団体に依存的でもあるという関係性に置かれています。
社員(正会員)としての棋士
また、棋士は個人事業主として活動を行う一方で、公益社団法人である日本将棋連盟の社員(正会員)の立場もあり、この「個人事業主」と「社員」という二重の立場が、将棋連盟と棋士の関係を特殊なものにしています。

棋士は社員として社員総会に出席し、理事の選任や決算の承認など、定款に定められた重要な議決事項に参加します。また、必要に応じて理事に説明を求めることもできます。
この構造は、株式会社における経営者と株主の関係に近く、棋士を将棋連盟の運営を委託するプリンシパル(委託者)、理事をその委託を受けて運営を行うエージェント(代理人)と捉えることができます。
株式会社では、株主であるプリンシパルが経営者であるエージェントを監視・規律する立場にありますが、将棋連盟も社団法人として同様のガバナンス構造を持っています。
ただし、将棋連盟においては前述した通り、団体活動の円滑な運営のために、本来プリンシパルである棋士を、エージェントである理事が統括し、規律する必要があるという構造的な逆転現象も生じており、その統括は容易ではありません。
プリンシパル=エージェント問題
棋士は個人事業主であると同時にプリンシパルでもあるため、理事(エージェント)に対して個人事業主の視点で自身の立場や利益の最適化を求める傾向があります。活動の多くを将棋連盟に依存している以上、それは自然なこととも言えます。特に、将棋連盟は社団法人であり、元来、将棋という共通の目的のために人々が集まって設立された組織であるため、「棋士が運営する棋士のための団体」という意識が根強く存在します。
一応将棋連盟について説明しておくと、棋士が運営する棋士のための団体です。棋士になる人数も自分達で決めます。よく100年続いている印象ですが、スポンサーやファンの方の力が絶大だなと思います。あと、運営方針自体は手堅くむちゃなことはしないのがいいのかもしれません。
— 大平武洋🌗 (@oohira0511) August 8, 2025
しかし、2011年以降、将棋連盟は公益社団法人へと移行しました。これにより、税制上の優遇措置を受ける一方で、公益に資する目的を掲げた法人運営が求められることとなりました。将棋連盟の定款第3条には、その公益目的が以下のように明記されています。
本連盟は、将棋の普及発展と技術向上を図り、我が国の文化の向上、伝承に資するとともに、将棋を通じて諸外国との交流親善を図り、もって伝統文化の向上発展に寄与することを目的とする。
株式会社においては、経営者は株主への利益還元として配当や自社株買いなどの手段を講じますが、公益法人では、仕事の対価性を欠く内部関係者への特別の利益の供与は禁じられています。あくまで将棋の普及や文化振興といった公益目的に資する活動が求められます。この点について、公益認定法第5条三には、以下のように定められています。
その事業を行うに当たり、社員、評議員、理事、監事、使用人その他の政令で定める当該法人の関係者に対し特別の利益を与えないものであること。
このため理事は、公益事業を実施するためにステークホルダーとの調整を図り、その枠組みの中で棋士に活躍してもらう必要があります。
結果として、棋士の個人事業主的な視点と理事の組織運営的な視点の間に齟齬が生じやすく、これは将棋連盟におけるプリンシパル=エージェント問題の典型的な例と言えるでしょう。
さらに、理事はエージェントであると同時に棋士として個人事業主でもあるため、利益相反や内部の公平性に注意しながら、自己抑制的に振る舞うことも求められます。
現状
私自身は、上記課題に対する即効性のある解決策を見出せていません。幼少期から切磋琢磨してきて距離感が近く、村社会的な性質を持つ組織において、ソフトパワーに傾斜した統括は一見調和的に見えますが、実際にはノイズが生じやすく、内部の調整コストは増加します。
結果として、意思決定の遅延など、組織全体の成長を停滞させるリスクも孕んでいます。さらに、理事が内部調整に過度のリソースを割き、仕事をした気になる状況に陥ってもいけません。
長期的に見れば、エージェントである理事のマネジメント能力を高めること、そしてプリンシパルである棋士が組織運営や公益に対する理解を深めて、情報の非対称性を地道に解消していくことがやはり重要であると考えています。
