【せりふ三題噺】草原のオカモチ少年
老舗・”岩波食堂”の跡取り少年は、修行を兼ねてバイトしている。夕暮れ刻、返却されたの出前の食器を入れたアルミ製のオカモチを、自転車の荷台に乗せて帰路に就く。
「おう、オカモチ少年」
草原沿いの広い道で屋台のオヤジに呼び止められる。看板には”角川カフェ”と書かれている。一見、ラーメン屋やおでん屋の移動式屋台に見えるが——実際、古い屋台を買い取って改築したらしい——、移動式のカフェらしい。
少年は自転車を脇に停めていつもの席に着いた。剥き出しの木材の武骨なデザイン。大きな二輪タイヤも、U字のハンドルも、古き良き昭和のラーメン屋台の恰好だ。
その心地よい場違い感に、移動式タイムマシンと少年は勝手にあだ名を付けている。少年は、この店の常連である。
「出前の帰りかい?」
「まぁね」
「遅くまでご苦労なこった。いつものか?」
「うん、ショート……いや、グランデサイズで」
「へいよ、マンデリン、グランデ、一丁」
オヤジ、それラーメン屋の掛け声だ。その言葉はそっと胸にしまった。オヤジが慣れた手つきで豆を挽き、その間にお湯を沸かしている。ふと、メニュー表が新しくなっているのを目にした。
以前はドーナツや、フレンチトーストなど甘味ばかりだったが、ミニパスタが追加されている。
「オヤジ、パスタ始めたの?」
「おう、なんか食うか?」
「ちょっと迷ってみる」
「はいよ」
丁寧にラミネートされたA3のメニュー表は、パステルカラーの色鉛筆に丸い字で書かれている。オヤジに似つかわしくない少女的な筆記。これを書いたのはきっと——。
「はいよ、マンデリンお待ち」
深い香りとともに、拳二つ分の高さのカップを置かれた。
「オヤジ、これベンティだよ」
「るせぇ。サービスだ馬鹿野郎」
そう言って、オヤジはケラケラ笑う。夕日は草原の方に暮れていき、屋台の光が少年を優しく迎える。
「オヤジも、ハード食器派なの?」
少年の言葉に、オヤジは眉根を寄せる。差し出されたコーヒーは、背の高く白い陶器のカップだった。
「また親父さんと揉めたか。さしずめ、そこらの出前屋みたいに使い捨て食器にしようぜなんて言ったか?」
「あーちくしょう。オヤジに隠し事できないわ」
「調子乗んな若造が、俺も娘も前は同じこと言ってら」
「え?」
少年は思わず顔を上げ、すぐに親父から目を逸らした。あの人も——オヤジの娘さんも、自分と同じ悩みを…?
「チェーン店みたいに紙コップでコーヒー出せば食中毒も怖くねぇし、お持ち帰りもできっから強えのは確かだ。だが捨てていい食器ってなりゃあ、店の周りに捨てられたら敵わねぇ」
「いいじゃん、移動できる店なんだし」
「馬鹿野郎!だからこそだ!俺ぁこの場所をお借りして商売してんだから、綺麗に使って綺麗に去るのが流儀ってもんよ!」
ことごとく、父親と同じ性格だ。なのに、このオヤジの方が心に響く。言っていることは同じなのに、何が違うんだろう。
「実はさ、父さんにも言ってみたんだ。出前の食器、返却しなくていい使い捨て容器にしようって」
「へぇ、で?」
「叱られた。岩波食堂の料理は食器との相性を考えて料理してるってこと、食器返却という手間を介してお客様と会話する、これも商売だと」
「ごもっともだ、いい仕事人じゃねえか岩波の旦那は」
コーヒーを一口含んだ。苦みが深い。
「父さんは正しいと思う、けど、お客様と接するからこそ、この耳で何度も実際に聞くんだ。返却が面倒だって、使い捨ての容器にして欲しいって。それで離れたお客様もいる。それを伝えても、これが岩波流だから続けるって。俺、納得できないよ」
「そうか、分かった」
「え?」
オヤジは少年からコーヒーカップを奪い、使い捨ての紙コップに移して少年の前に置き、こう言った。
「今日からこの店は、全て使い捨て容器で行くぞ。お前も例外じゃない。今後一切、陶器のカップは使わない。いいだろ?」
「え、ちょ…」
「はははは、嘘だ。で、どんな気持ちになった?」
紙コップのコーヒーを啜りながらオヤジは言った。
「なんか、寂しくなった」
「じゃあ、これでどうだ?」
オヤジはどこからか白い陶器のカップに注がれたコーヒーを置いた。この店でしか味わえない、オヤジのコーヒーだ。
「変だな、懐かしい気がする」
「岩波の旦那も、それを伝えたかったんだと思うぜ」
紙コップのコーヒーを啜りながらオヤジは言う。少年もカップのコーヒーを啜る。ああ、これだ。熱さも苦みも変わらないのに、思い出の一部を取り戻したような安らぎを感じる。
「ありがとうオヤジ、帰ったら父さんに謝る」
「おう、そりゃあいい」
オヤジはにっかり笑った。少年にも微笑みが移る。
「さて、俺はそろそろ休憩行くわ。パスタ決めたか?」
「え、えっと」
「お父さんお疲れ、あ、オカモチくん来てる!」
オヤジの後ろから快闊な女子大生が顔を出す。オヤジの娘さんで、角川カフェでバイトしている。メニュー表を書いたのもこの人だろう。少年の勘である。
「じゃ、あとは頼むぜ」
そう言ってオヤジは去った。
「で、今日は何にするの?」
娘さんが顔を覗かせる。少年は赤面を隠しながら、メニュー表を差して言った。
「カルボナーラペンネで」
手間のかかる、つまり時間のかかるメニューを選んだことは、ここだけの秘密。
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