【せりふ三題噺】牛丼物語
「牛さんのなにが旨いんじゃ」
学んできた日本語よりやや崩れた話し方をする少女だ。この国にも訛りがあるのかと、金髪の青年は微笑んだ。
「なにがおかしいんじゃ。異人さん」
「これ、失礼じゃろ!」
少女の父が彼女を制する。少女の父と金髪の青年は商取引相手なのだが、今日はそのご家族に西洋の牛肉を振舞っている。
滅多に味わえない西洋の牛肉はこの時代のこの国では最先端のごちそう。ご夫婦は喜んでいたが、娘さんは不満げだった。
「臭い!牛さんが可哀そうじゃ!」
「これ!ごちそうしてくれておるのに何てこと言うんじゃ!」
「いえいえ、お構いなク。皆さん最初は抵抗があるのは当然でス。お子さんならなおさラ」
青年は笑顔を崩さず言った。
一同は外国人の居留地の飲食店のデッキにて食事をしていた。少女はもう牛肉を箸で皿の端に寄せ、野菜ばかり食べている。
少女は青年の金髪をじっと見ていた。この国に来てからずっとそうだが、よほど物珍しいのだろう。
結局少女は牛肉は食べず、肉と金髪を交互に見るばかりだった。
「それデ、弊社で扱う西洋の食器なのですガ——」
*
この国での商売が失敗して数年、故郷に帰る金すら確保できない。
後悔ばかりの毎日だ。最初から順調すぎた。調子に乗って商売を拡大し続けた結果、派手に破産してしまった。
「当然だナ。日本でナイフやフォークが売れるわけなイ」
いや、ぼちぼち日本でも洋食が広まってきた今、西洋の食器の需要はむしろ拡大している。
日本の技術力を見くびっていた。日本に西洋の食器を売りすぎたせいで、日本人が製法を編み出し、あろうことか西洋の職人より高品質なものを作るようになった。
もう何日も食べていない。雨風も凌げない日々に、体力も尽きそうだ。
青年は、名も知らぬ土地でついに倒れた。
懐かしい香りで目が覚めた。気が付けば青年は温かい布団に寝かされていた。
牛肉の焼ける匂いだ。いや、日本のショウユの匂いも混じっている。起き上がると、そこは日本の古い一室のようだが、柱時計や地球儀など西洋の足跡も見える。
「起きたかい異人さん」
声を呼ばれて振り返ると、日本人の女性が立っていた。胸の奥から温もりが込み上げる。
「あ、あなたハ…」
あの時の少女だ。半分和服、半分洋服のような服を着て、一人前の大人になっている。それほどの時が経ったのか。
彼女はお盆を持って来て青年の隣に座った。鉄の小鍋に牛肉とネギを煮た料理、米の入った小さい丼がある。彼女は米の上に牛肉を煮たものをお玉でかけ、銀の匙を添えて渡してくれた。
「熱があったからねぎ多めで作ったよ。ゆっくり食べな」
「この匙は…」
「子供の頃、エゲレスの商人さんが銀の匙をあたしにくれたの。エゲレスで銀の匙は、子供を守ったり祝福したりする意味があるって。だからうちのお客さんには銀の匙で食事してもらう。まあ、お客さんのは本物の銀じゃなくて洋白(亜鉛、ニッケルなどの合金)で作ってるんだけどね」
彼女は言ってくれた。青年は片言の日本語で「イタダキマス」と言った。
一口運ぶ。米の甘み、ショウユの塩辛い旨味、そして牛肉の固く深い歯ごたえと旨味。ああ、ダメだ。涙を堪えきれない。
「おいしいでス」
「良かった」
彼女は微笑んで部屋を出た。
得も言えぬ感慨が胸に満ちた。積年の疲れが報われた、たまらなくそう感じた。
胃腸が弱っているのも知らず牛肉を米ごとかき込んだ。旨い。それだけじゃない。染みてくるのだ。ネギの甘辛さ、米の優しさ、汁の温もり。異人でも使える匙という優しい配慮。
青年は一気に食べ尽くした。決して故郷の味じゃないのに、むしろこの国の極めて先進的な料理なのに、居心地はまさに誰かのふるさとだった。
この根拠なき郷愁に、青年は涙した。
ああ、俺は生かされたのだ。
ならば、誰かを生かすとしよう。誰かを温めるとしよう。無性にそうしたくなった。貰った恩を返したくなった。それはそのまま青年の活力となった。
そうだ、この料理の名前が知りたいな。この国風に言うなら、さしずめ牛丼といったところだろうか。
▼参加させていただいた企画
▼創作大賞2026応募作品です。よろしければご一読ください。
