はい、激痛です
リハビリの成果を阻害する
大きな要因のひとつに痛みがある
この痛みは本人が自覚するものなので
患者が痛いと言えば、それが痛みであり
どの程度痛いか聞いたとして
痛みに対して強いか弱いか個人差があるので
アセスメントが非常に曖昧だ
なので自分がこれまでの人生で体感した痛みと
リハビリに従事した経験値から
患者の痛みのほどを想像するしかない
これがなかなか難しい
そう言えば父がよく言っていた
我慢できない痛みは3つあると
ひとつめ、腹の痛み
ふたつめ、歯の痛み
みっつめ、頭の痛み
確かにどれも我慢できない痛みだ
だけどこれらはあくまでも健常者にとっての
と、枕詞がつくだろう
我々が相手にするのは病人や怪我人だ
しかも病気を患うと、その度合いも質も違い
鎮痛剤や抗精神薬の服用していたり
体の位置や姿勢
色々な要素が絡んで、総合的な痛みとなるから
ますます、ややこしくなる
そんな患者の痛みに悩まされながら働いていると
ごく稀だが、摩訶不思議な痛みと出会う
メリットのある痛みだ
痛いと、他の人が助けてもらえる
痛いと、かまってもらえる
痛いと、優しくしてもらえる
どういうわけか、辛いはずの痛みが
彼らの暮らしの必需品になっているのだ
その人たちのこれまでの生活環境や
人間関係によって出方は様々だとは思うが
とにもかくにも
これらの痛みは相手を操作するために
利用される
この痛みに慣れてしまっている人たちは
いち理学療法士では手に負えない
なので俺はそういう患者を担当した時
相手の体を一切、触らない
なぜなら
彼(山ちゃん)にされたから
ますます痛くなった
そう言って、その後十中八九こじれるからだ
彼らはまざまざと痛みを訴えるため
自分以外に要因を探し続けているので
我々のような触ってなんぼの職種は
かっこうの餌食となる
なので、リハビリの内容は
歩くだけ
一緒に軽い体操をするだけ
そして、遠くから見てるだけ
この3つだけをただ繰り返す
すると、彼らは物足りなくなり
(こんなリハビリじゃよくならないでしょ?)
専用の機械を使った物理療法か
マッサージをしてほしい、と言い出す
不思議だ、ほぼ確実にマッサージと言う
そういう時は、サラッと断る
何かと理由をつけて、サラッと断るのだ
断固として、あなたに触わることはない
と、理解してもらうまで、断り続ける
すると、また違う場所に痛みを出現させて
注目を得ようとするのだ
彼らはそうやって死んでゆくのだろう
話は変わるが
詐病、という症状がある
その名の通り、病気を装ってしまうもので
症状というより、もはやその人の癖でしかない
中には、救急車を呼んでしまったり
数多くの検査をしたり
大事にいたるケースもある
結果、体は異常なしです
と、医師から言われると
深いため息をつき
こんなに痛いのに、どうして?と
彼らも食い下がらない
まるで、そんなことも分からないの?
と、責めているようにも見えるほどだ
この先、彼らはどうなるのか
数多の病院を転々とし
どこからも異常なしをもぎ取って
私の痛みは特別で、治すことができないの
と、痛みがいつの間にか神聖化され
会う人会う人に自慢かのように
どれだけ自分の痛みは重篤か訴え続ける
両足が痛くて痛くてひとりで歩けないの
これまでたくさん病院にかかったけれど
どこもその原因が分からないんだって
平行棒という両脇に長く頑丈な棒がある
歩行訓練に使う機器の中で
彼女はそう言った
俺が近くで見守っていると
辿々しい足の運びの芝居が始まる
だが、山ちゃんが別の用事を装い
その場から離れると
苦痛な表情もなしに、とぼとぼと歩き出す
彼女の中にも
このまま痛い痛いと言い続けて
本来の筋力が落ちるわけにはいかない
そのくらいは分かっているのだ
体が悪くなるわけにはいかない
自分だけをかまってほしいだけなのだから
なので、とぼとぼと歩き出す
スタッフだってみんな知っている
彼女は詐病だと
でも、痛みはあくまで自覚なので
痛いと言えば、痛みとなるのだ
彼女もまた、そうやって死んでゆくのだろう
また俺は別な患者の痛みの部位に触れ
グイッと筋肉をダイレクトにストレッチした
ここが痛いところですか?
そう聞くと
患者は三面眼の眼をこちらに向けて
淡々と
はい、激痛です
と言った
