ウォークマン − アラカン9

すべての段階の音色を
聴いていた。
ウォークマン
先日、娘に新しいイヤホンを買ってあげたら、
夕飯のときにこう言ってきました。
「パパ、このイヤホン、なんか音ペラいよ。」
買って貰ったイヤホンを、“ペラい”と言う
この娘は一体どういう教育を受けたんだ。
親の顔が見てみたいと思いつつ、
「前のと、そんなに変わらないって」
と言いかけて、ふと思い出します。
このシチュエーション、三十数年前にも
あったような。
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私が通っていた大学では 、当時、アジアからの
留学生が増えていました。私はそこで留学生の
面倒をみたりして、関係を持っていました。
“黄(コウ)先生”と呼ばれる中国人は、講師だった
と記憶していますが、かなり曖昧です。
真剣で、誠実で、しかしどこか静かなユーモア
のある人でした。
ある日、韓国人留学生が自分のウォークマンを
私に自慢げに見せてきました。
韓国でもこんなの作れるんだというアピール
だったんでしょうか。
当時は韓国、中国が、安い携帯プレイヤーを
作り始めていた時期です。
再生ボタンを押して、じっくり耳を傾けながら
私は内心、こう思いました。
(あれ、なんか音がシャカシャカしているな、
日本製とは“何か”が違う。)
すると黄先生は、私の怪訝そうな顔に笑顔を
見せながら、こう言ったんです。
「日本人は、韓国製の音質の悪さが気になる
でしょう?」
私は素直だったので、全面的に同意しました。
すると韓国人の留学生がムッとしながら、
私のウォークマンと自分のを聴き比べて、
「同じだよ。そんな音質の差なんてないよ。」
と言いました。
次の瞬間、黄先生は静かに笑ってこう言った
んです。
「でも君たち韓国人は、韓国製と中国製の
音は全然違うと思うんだよね。」
その留学生は、なんだか得意気に言いました。
「それは事実だから仕方ないですよ。
韓国と中国では技術力が違いますから。」
それに対し黄先生は答えます。
「中国人には全部、同じに聞こえるんだよ。
僕は幼い時に日本に来たから、どう違うか、
分かるけどね。」
そして続けます。
「中国はね、いつか日本や韓国を追い越すよ。
時間はかかるけれどね。その時は君たちが
自分たちのウォークマンと、中国のそれとの
区別がつかなくなっているはずだ。」
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当時の私は、この言葉の意味を正確には
掴めませんでした。
しかし今になって思います。
人は“自分より下”との差には敏感なのに、
“自分より上”との差には驚くほど鈍いのです。
だからこそ人は、いつだって“自分が正当に
評価されていない”と錯覚します。上に存在する
努力や蓄積の厚みが見えないからです。
彼はその“階段の構造”を理解していたのです。
あの日の教室で交わされたのは、ただの
ウォークマンの話ではなく 認識の限界、
人間の自己評価、それを理解した上での
国の成長という、とても大きなテーマを
射抜いていたのです。そしてその頃の日本は、
降って湧いたバブルに浮かれていました。
私は娘に、この思い出話をしました。
すると娘はカレーを食べながら、ひどく軽い
口調でこう言いました。
「人ってさ、“下との差”には敏感だけど、
“上との差”は聞こえないんだよね。
パパがすっごい分かりやすい例じゃん。
新しいイヤホン買い直してね〜。」
……おい。
妻は皿を拭きながら、静かにつぶやきます。
「そりゃそうよ。
ちゃんと分かっちゃって、自分の位置が
見えたら、みんな落ち込むだけなんだから。
見えないようにできてるのよ、人間は。」
その言葉を聞きながら、
ふと黄先生の横顔を思い出しました。
誰も見ようとしなかった現実を、
あの人は、ただ静かに見つめていました。
私は娘の前へ、
イヤホンの箱をそっと置きます。
そして、ふと思うのです。
見えなくても、平和に生きていける。
見ようとすれば、痛みとともに進める。
そのあいだに立っているのが、
いまの私であり、
この国なのだと。
