理論編3:企業は、誰と価値を創るのか。(フリーマン)
フリードマンが1970年に提起した“The Social Responsibility of Business Is to Increase Its Profits”は、「企業は利益だけを追求すればよい」という単純な主張ではなかった。フリードマンが問うたのは、企業経営者は、誰に対して責任を負うのか。という企業統治の根本問題だった。
株主から経営を委ねられた経営者が、自らの判断で会社の資源を社会的な目的に振り向けることは、どこまで正当化できるのか。社会政策を決めるのは企業経営者なのか、それとも民主的な手続きを経た政府なのか。
フリードマンの問いは、半世紀を経た現在でも終わっていない。
しかし、その後の企業を取り巻く環境は大きく変わった。企業活動は国境を越え、サプライチェーンは複雑化した。企業の意思決定は、株主だけでなく、従業員、顧客、取引先、地域社会、行政、市民社会、さらには将来世代にも影響を及ぼすようになった。
こうした現実を前にすると、「企業は誰に責任を負うのか」という問いだけでは、企業経営の全体像を捉えきれない。
もう一つの問いが必要になる。
企業は、誰と価値を創るのか。
この問いを経営戦略の中心に据えた人物が、R・エドワード・フリーマンである。
1984年に刊行された「Strategic Management: A Stakeholder Approach」は、その後のステークホルダー研究の出発点となった。現在、ステークホルダー理論をめぐる研究は広範な領域へ発展しているが、その議論の方向を定めた著作として、同書は現在も位置づけられている。
ただし、最初に一つの誤解を解いておきたい。フリーマンは、「ステークホルダー」という言葉を発明した人物ではない。彼の功績は、すでに存在していた概念を、経営戦略の中核へと引き上げたことにある。
「ステークホルダー」という言葉はどこから来たのか
フリーマンは、1984年の著書の第2章“The Stakeholder Concept and Strategic Management”において、ステークホルダー概念の歴史をたどっている。
その記述によれば、経営の文脈における「stakeholder」という言葉は、1963年にStanford Research Instituteの内部メモに登場した。Stanford Research Instituteは、現在のSRI Internationalである。フリーマンによれば、この言葉は、経営者が配慮すべき相手を株主、すなわちstockholderだけに限定する考え方を広げるために用いられた。
当時Stakeholderは、“those groups without whose support the organization would cease to exist”と定義された。すなわち、「その支援がなければ、組織が存続できなくなる集団」である。株主だけでなく、従業員、顧客、供給者、金融機関、社会なども、企業の存続を支える主体として捉えようとしたのである。
ただし、この1963年の内部メモ自体は、一般に容易に参照できる公刊資料ではない。したがって、「1963年のSRI文書で初めて使われた」という説明は、現在確認できる範囲では、主としてフリーマンが1984年の著書で示した概念史に基づいている。
Cambridge University Pressが公開する同書第2章にも、経営文献におけるstakeholderという語が、1963年のStanford Research Instituteの内部メモに現れたこと、その目的がstockholderだけを経営者の応答対象とする発想を一般化することだったと記されている。
SRIの発想は何を変えようとしたのか
SRIの初期的な考え方が重要なのは、単に「関係者を増やした」からではない。そこには、企業を理解する単位を変えようとする発想があった。
企業を株主の所有物としてだけ捉えるなら、経営者が第一に見るべき相手は株主となる。しかし、企業の存続が、従業員の労働、顧客の購買、供給者の協力、金融機関の信用、地域社会の受容によって支えられていると考えるなら、企業は株主との関係だけでは説明できない。企業は、複数の主体から資源、協力、信頼、知識、正当性を得ながら存続する。SRIの定義が注目したのは、まさにこの点だった。
もっとも、その定義は比較的限定的である。「支援がなければ企業が存続できない主体」という基準では、企業に直接的な資源や協力を提供する主体が中心になる。例えば、株主、従業員、顧客、供給者、金融機関などである。
一方、企業の活動によって影響を受けながらも、企業の存続に直接的な支援を提供しているとは限らない人々は、この定義では十分に捉えられない。工場の周辺で環境上の影響を受ける住民、企業の調達活動によって生活条件が変わる生産地の労働者、製品や技術の長期的な影響を受ける将来世代などは、SRIの初期定義だけでは、必ずしも明確に含まれない。
フリーマンこの定義を拡張させた。
フリーマンの定義
フリーマンは、ステークホルダーを“a stakeholder is any group or individual who can affect, or is affected by, the achievement of a corporation’s purpose. Stakeholders include employees, customers, suppliers, stockholders, banks, environmentalists, government and other groups who can help or hurt the corporation.”と、定義した。日本語にすれば、「ステークホルダーとは、組織のパーパス(目的)の達成に影響を与える、または、その達成によって影響を受ける個人もしくは集団。ステークホルダーには、従業員、顧客、サプライヤー、株主、銀行、環境、活動家、政府及びその他企業を支援、あるいは痛めつけることができるグループを含む」である。
一見すると、非常に簡潔である。しかし、ここには企業観を変える二つの方向が含まれている。
一つは、can affect――企業に影響を与える主体である。
顧客は購買を通じて企業に影響を与え、従業員は、労働、知識、創造性を通じて企業に影響を与える。供給者は、品質、価格、技術、納期を通じて企業に影響を与え、投資家や金融機関は、資本の提供や評価を通じて企業に影響を与える。行政は、法制度や政策を通じて企業に影響を与える。メディアや市民社会は、社会的な評価や論点形成を通じて企業に影響を与える。
もう一つは、is affected――企業の活動から影響を受ける主体である。
経営者が見るべき相手は、企業の成功に必要な資源を提供する人々だけではない。企業の意思決定によって、その権利、生活、環境、将来、機会に影響を受ける人々も含まれる。つまり、企業にとって有用であるかどうかだけで、ステークホルダーを定義することはできない。企業から影響を受けるという事実もまた、その人々を企業経営の考慮対象にする。
SRIの初期定義が「企業を支える主体」を中心に捉えたのに対し、フリーマンは、「企業に影響を与える主体」と「企業から影響を受ける主体」の双方へ概念を広げた。この拡張によって、ステークホルダーは単なる「重要関係者の一覧」ではなくなり、企業と社会との双方向の関係を理解するための枠組みとなったのである。
CSRではなく、戦略論として書かれた
もう一つ重要な点がある。『Strategic Management: A Stakeholder Approach』は、企業の社会貢献を論じた本ではない。タイトルが示すとおり、これは戦略経営の書籍である。フリーマンが問題にしたのは、企業が善意によって社会へ貢献すべきかどうかではなかった。企業を取り巻く環境が変化し、従来の戦略経営の枠組みだけでは、経営者が直面する問題を十分に説明できなくなっていることだった。
政府、競合企業、消費者団体、従業員、顧客、供給者、地域社会など、企業の意思決定に関係する主体は増えている。その期待は互いに異なり、しばしば対立する。こうした環境の中で、経営者は単に市場を分析し、競争相手に勝つだけでは十分ではない。企業を取り巻く主体を特定し、それぞれとの関係を理解し、関係を具体的な行動へ結びつけなければならない。フリーマンにとって、ステークホルダーは道徳的な付加物ではない。戦略を成立させるための現実的な条件だった。
Cambridge University Pressによる同書の紹介も、本書を、企業や資本主義を「ステークホルダーのために、またステークホルダーとともに価値を創造する仕組み」として理解するための基礎的著作と位置づけている。
ステークホルダー理論は「株主以外にも配慮しましょう」という一般的な倫理論ではない。企業の成功そのものが、多様なステークホルダーとの関係に依存している。したがって、ステークホルダーとの関係は、利益を生んだ後に考える社会貢献ではない。価値を創造し、戦略を実現し、企業を存続させるプロセスそのものなのである。
フリーマンはフリードマンを否定したのか
フリーマンは、しばしばフリードマンの反対側に置かれる。
フリードマンは株主を重視した。
フリーマンはステークホルダーを重視した。
そのため、両者は「株主資本主義対ステークホルダー資本主義」という単純な対立として説明されることがある。しかし、この整理は正確ではないのではないか。フリードマンが問うたのは、経営者は誰から権限を委ねられ、誰に説明責任を負うのか、という問題だった。これに対してフリーマンが問うたのは、企業は誰との関係によって戦略を実現し、価値を創造するのか、という問題だった。
フリードマンの中心的な関心は、経営者の権限と企業統治にあった。
フリーマンの中心的な関心は、企業を取り巻く関係と戦略経営にあった。
しかし、フリーマンを単なる「フリードマンへの反論者」として扱うと、彼の戦略論としての貢献を見失う。フリーマンが示したのは、株主の重要性を否定することではなかった。株主もまた、企業にとって重要なステークホルダーである。問題は、株主の価値と、それ以外のステークホルダーの価値を、常にゼロサムの関係として捉えることである。
顧客に価値を提供できなければ、企業は売上を生み出せない。
従業員が能力を発揮できなければ、企業は製品やサービスを生み出せない。
供給者との関係が不安定であれば、品質や供給を維持できない。
地域社会や行政から受容されなければ、事業の継続が困難になる。
長期的な株主価値も、こうした関係から切り離して実現することはできない。
したがって、問いは、「株主か、ステークホルダーか」ではない。株主を含むステークホルダーとの関係を通じて、どのように価値を創るのか、である。
フリーマンは企業の見方を変えた
フリーマンが変えたのは、経営者が見るべき相手の数だけではなく、企業の見方そのものだった。従来の企業像では、企業は資本を投入し、財やサービスを生産し、利益を株主へ還元する主体として描かれやすい。この図式では、株主が企業の中心にあり、顧客、従業員、供給者などは、企業目的を達成するための手段として位置づけられる可能性がある。
フリーマンの企業像は異なる。企業とは、多様な主体が協力し、それぞれにとっての価値を生み出す関係の仕組みである。顧客は単なる売上の源泉ではなく、従業員は単なる労働コストではなく、供給者は単なる調達先ではない。さらに、地域社会は単なる事業環境ではないなど、それぞれが独自の目的、価値、権利、期待を持つ主体である。また、企業経営とは、それらの関係を調整するだけの仕事でもない。関係を通じて、新たな価値を生み出す仕事である。
ここから、企業価値に対する理解も変わる。価値は、企業の内部だけで完成するものではなう。企業が製品をつくっただけでは、価値はまだ確定しておらず、投資家が将来性を評価して資金を供給し、顧客が必要性を認め、従業員が意味を感じ、供給者が協力し、地域社会が受け入れ、社会がその活動に正当性を与える。こうした関係の中で、価値は初めて実現する。
企業が一方的に「価値を提供する」というよりも、企業とステークホルダーがそれぞれの資源、知識、判断、信頼を持ち寄ることで、価値が成立するのである。興味深いのは、フリーマンが、米国企業が日本企業の経営から学び得ることにも目を向けていたことである。1984年当時、日本企業は、従業員、取引先、金融機関などとの比較的長期的な関係を基盤として競争力を高めていると、欧米で広く認識されていた。フリーマンにとって日本企業の経験は、企業を株主との関係だけで説明することの限界を考える一つの材料だった。
ただし、これを「日本企業はすでにステークホルダー理論を実践していた」と単純化すべきではない。日本型経営には、長期的な関係性という強みと同時に、閉鎖性、関係の固定化、声を上げにくい主体の排除といった問題もあり得る。それでも、企業の成功を多様な関係者との長期的な協力から捉える視点が、フリーマンの問題意識と響き合っていたことは注目に値する。
欧米のステークホルダー理論と日本の経営思想は、一方が他方を直接生み出したという関係ではない。しかし、異なる歴史的・制度的背景から、企業は社会との関係の中で存続し、価値を創るという共通の問いに接近していたのである。
フリーマン以後の理論
フリーマンの1984年の著作は、すべての問題に最終的な答えを与えたわけではない。むしろ、多くの新しい問いを生み出した。ステークホルダー理論は、現実の企業を説明するための理論なのか、優れた経営成果を生み出すための手段なのか、それとも、企業が従うべき倫理を示す理論なのか。誰をステークホルダーとして認めるべきなのか。すべてのステークホルダーを平等に扱うべきなのか。異なる利害が対立したとき、誰を優先すべきなのか。企業とステークホルダーの関係には、どのような倫理的原則が必要なのか。
こうした問いに対して、DonaldsonとPreston、Mitchell、Agle、Wood、DonaldsonとDunfeeなどその後の研究者たちが理論を発展させていった。
企業は、株主へ利益を届けるために、他の主体を利用する機械ではない。企業は、多様な主体が協力し、それぞれにとっての価値を生み出す関係の仕組みである。企業は社会に影響を与え、同時に、社会から影響を受ける。
企業が価値を提案することはできる。しかし、その提案が価値として実現するかどうかは、顧客、従業員、供給者、投資家、地域社会、行政、市民社会などとの関係によって決まる。この双方向性を経営戦略の中心に置いて考えることで新しい世界が見えてくるのではないだろうか。
今回の原典
R. Edward Freeman(1984)
Strategic Management: A Stakeholder Approach
Boston: Pitman.
本書を読む際にまず注目したいのは、「stakeholder theory」ではなく、Strategic Managementという題名である。
フリーマンの出発点は、企業環境の変化に対し、従来の戦略経営が十分に対応できていないという問題意識にあった。
第1部では、従来の企業観を見直し、ステークホルダー概念の歴史と基本的な枠組みを示す。第2部では、ステークホルダーを分析し、戦略を形成し、具体的な行動へ移すためのプロセスを論じる。第3部では、経営者や各機能部門にとって、ステークホルダー・アプローチが何を意味するかを検討する。
したがって、本書は概念を紹介するだけの本ではない。経営者が複雑な環境をどのように理解し、誰との関係を構築し、どのように戦略を実行するかを扱った実践的な戦略論である。同書第2章は、ステークホルダー概念を、企業計画、組織論、企業の社会的責任、システム論、戦略経営など複数の研究領域から整理している。
日本語で読むなら
Strategic Management: A Stakeholder Approachについては、確認できる範囲で公刊された日本語全訳はない。
フリーマンの考え方を日本語で読む場合には、次の書籍が有用である。
R・E・フリーマン、J・S・ハリソン、A・C・ウィックス著
中村瑞穂訳者代表
『利害関係者志向の経営―存続・世評・成功』
白桃書房、2010年
原著 Managing for Stakeholders: Survival, Reputation, and Success
同書は、「株主の利益か、ステークホルダーの利益か」という二者択一から離れ、顧客、従業員、供給者、コミュニティ、資金提供者が長期的に成功できる方法で価値を創造するという、フリーマンの成熟した考え方を比較的平易に示している。日本語版は2010年に白桃書房から刊行されている。
