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お酒は体にいいの? 「神話崩壊」の生物学

はじめに

 「お酒も適量なら体にいい」。長いあいだ、これは「神話」といっていいほどの常識でした。私も仕事帰りに一杯やって、ストレスを解消していました。ところが近年、この心地よい常識が覆されつつあります。神話の「成立」から「崩壊」、そして「現在」までをたどってみましょう。

第一幕 「赤ワインは心臓にいい」という物語

 物語の幕開けは、一本のテレビ番組でした。1991年11月、アメリカの人気報道番組「60ミニッツ」が、「フレンチ・パラドックス(フランスの逆説)」という特集を放送します。司会者が赤ワインのグラスを片手に語ったのは、こんな謎でした——フランス人はバターやチーズ、肉といった脂っこいものをたっぷり食べているのに、なぜか心臓病で亡くなる人が少ない。その秘密は、彼らが日常的に飲んでいる赤ワインにあるのではないか、と。
 この放送の反響は劇的でした。直後からアメリカで赤ワインの売り上げが跳ね上がったと言われています。「赤ワインは健康にいい」という物語が、お茶の間に一気に広がった瞬間でした。
 もっとも、これはまったく新しい発見というわけではありませんでした。科学の世界では、すでに十年も前から、同じ兆候が報告されていたのです。早くも1981年、イギリスの研究者マーモットらは、多数の公務員を長年追跡した調査で、まったく飲まない人より少し飲む人のほうが死亡率が低いという「J字型」の関係を見いだしていました。テレビ番組は、いわば、この十年来の観察に火をつけたのです。
 そして科学は、その物語をさらに後押しします。放送の翌年、フランスの研究者ルノーらは、ワインの消費と心臓病の少なさを結びつける論文を医学誌『ランセット』に発表しました。さらに研究者たちは、世界中の追跡調査を寄せ集めて統計をとります。すると、百万人を超える膨大なデータから、きれいな「Jカーブ」が浮かび上がってきたのです。まったく飲まない人を基準にすると、少しだけ飲む人のほうが死亡リスクが低く、そこから飲む量が増えるにつれてリスクが跳ね上がる。縦軸にリスク、横軸に飲酒量をとると、ちょうどアルファベットの「J」のような曲線になりました。これが、後に有名になる「Jカーブ」です。
 決め手は、もっともらしい体のしくみまで見つかったことでした。お酒を飲むと善玉コレステロール(HDL)が増える、血が固まりにくくなる、赤ワインのポリフェノールが体にいい。こうした説明がそろうと、人はもう疑いません。「観察された事実」「巨大な統計」「納得できるしくみ」。この3点セットがそろい、「適量のお酒は薬である」という常識は、ほぼ一世紀をかけて、動かしがたいものになっていったのです。

第二幕 ほころび——「お酒を飲まない人」とは誰なのか

 ところが、その立派な物語には、最初から小さなほころびが潜んでいました。しかも、それを見抜いた人は、ずいぶん早くに現れていたのです。
 ここで、時計を少し巻き戻してみましょう。あの「60ミニッツ」が赤ワイン熱を煽るより3年も前、1988年のことです。イギリスの研究者シェイパーは、素朴ながら鋭い問いを投げかけていました。「比較の基準にしている『お酒を飲まない人』のグループには、本当は昔よく飲んでいたけれど、病気になってやめた人が混じっているのではないか」と。
 考えてみれば、当たり前のことでした。健康診断で肝臓の数値を指摘されてお酒を断った人。医師から「もう控えなさい」と言われた人。こうした人々は、調査の時点ではみな「飲まない人」に分類されます。シェイパーはこれを「病気でやめた人」と呼びました。
 すると何が起きるか。「飲まない人」のグループに、もともと病気を抱えた人がまぎれ込むため、このグループの成績が実際より悪く見えてしまう。その結果、飲み続けている人たちが、相対的に「健康そう」に映ってしまうのです。お酒が健康を守ったのではなく、不健康になった人がお酒をやめて「飲まない人」の側に移っただけ。これが「Jカーブ」の正体でした。
 落とし穴は、ほかにもありました。一つめは、いま述べた「病気でやめた人」の混入。二つめは、「飲まない人」という箱の中身が、生涯一滴も飲まない人から、宗教上の理由の人、ごくたまに飲む人まで、あまりに雑多だったこと。そして三つめが、最も根が深いものでした。毎晩おだやかに晩酌できる人というのは、たいてい収入や生活に余裕があり、食事や運動にも気を配れる、もともと健康な人が多いのです。つまり観察されていたのは「お酒の効果」ではなく、「適度に晩酌できるような暮らしをしている人」の効果だったのかもしれない。そう疑われ始めたのです。
 とはいえ、疑いを投げかけることと、それを証明することは、別物です。シェイパーの警告は早くから出ていたのに、白黒をつける手立ては、当時まだ存在しませんでした。その間にも、フレンチ・パラドックスの熱狂と、年々ふくらんでいく統計とに支えられて、「適量は薬」という物語は、かえって勢いを増していきます。決着がつくまでには、なお二十年あまりの歳月と、まったく新しい道具の登場を待たねばなりませんでした。

第三幕 遺伝子という公平な「くじ引き」

 疑いを晴らすには、これらのほころびを取り除いた上で、もう一度確かめる必要がありました。21世紀に入り、研究者たちは二つの新しい武器を手にします。
 一つめは、遺伝子を使う方法です。お酒に強いか弱いかは、遺伝子である程度決まっています。そしてこの遺伝子は、受精の瞬間にいわば運命で決まるもので、その人の収入や生活習慣とは無関係です。これは「公平なくじ引き」ということもできます。これを使えば、「もともと健康な人」などの偏りを取り除くことができます。37万人を超える人々でこの方法を試したところ、あの「Jカーブ」はきれいに消えてしまい、残ったのは、飲む量が増えるほどリスクが上がる、という右肩上がりの直線でした。
 二つめは、研究そのものを「質」で選り分ける方法です。2023年、多くの過去の研究が、その研究方法の正しさで分類されました。すると、「Jカーブ」が現れるのは、高齢者を対象にしていたり、基準のグループに様々な病歴がある人が入っていたりする、いわば「質の悪い」研究ばかりだったのです。病気でやめた人の影響を抑えた、きちんとした研究では、「Jカーブ」は現れませんでした。
 こうして遺伝子という手法と、研究を選り分ける手法という、まったく違う二つの道が、同じ結論にたどり着いたのです。「適量のお酒が健康を守る」という強い効果は、お酒そのものの力ではなく、不適切な統計の影だったのです。

第四幕 それでも割れる専門家の意見

 では、これですべて決着したのでしょうか。話はそう単純ではありません。2025年のはじめ、アメリカで、政府の食事指針を決めるための二つの報告書が出ました。ところが、その結論は正反対だったのです。一方の報告(NASEM)はこれまでと同様に「適量の飲酒には健康上の利点がありうる」と書き、もう一方の報告(ICCPUD)は「ごく少量でもがんのリスクは上がり、どの年齢でも飲酒に正味の利益は認められない」と書いたのです。同じ年、同じ政府のために書かれた報告書が、真っ向からぶつかったのです。
 なぜ、違いが出たのでしょう。その背景には、科学を揺さぶる「お金」の影もあると言われています。象徴的なのが、アメリカの国立機関が計画した、お酒の効果を確かめる大型臨床試験の顛末です。この試験は、研究者たちが酒類企業から六千万ドルもの資金を集めようとしていた利益相反が発覚し、2018年に開始からわずか4か月で打ち切られました。お酒の科学が、業界の思惑と無縁ではいられなかったことを示す出来事でした。
 整理すると、現在の到達点はこうです。「かつて信じられた強いJカーブは、ほぼまちがいだった」こと、そして「ごく少量の酒でもがんのリスクが上がる」ことは、かなり固まりました。一方で、「本当にごくわずかな利点が存在するのか」「Jカーブを示す証拠は全くの間違いだったのか」をめぐっては、いまも論争が続いています。それでも世界の流れは、WHO、カナダ、そして日本が2024年に出した飲酒ガイドラインも含め、「飲むなら、少ないほどよい」という方向へ、はっきりと舵を切っています。
 この方向転換は、つい最近、私たちの足元でも形になりました。2026年6月、国立がん研究センターは、がん予防の指針「科学的根拠に基づくがん予防法5+1」を刷新し、長年かかげてきた「節酒する」という言葉を、「飲酒をひかえる」へと書き換えたのです。理由は明快でした。少量の飲酒でもがんのリスクが上がること、つまり「ここまでなら安全」という量は存在しないことが、はっきりしてきたからです。担当した研究班は、がん予防の観点からは「ほどほど」ではなく「飲まない」ことがいちばんだ、と述べています。考えてみれば、「節酒」という言葉には、どこかに安全な適量があるという、あのJカーブ時代の発想がにじんでいました。それを「控える」と改めたのは、言葉を科学に合わせ直す、ささやかですが象徴的な一歩だったと言えるでしょう。

第五幕 「ストレス解消」という物語

 ここで、もう一つの根強い「効能の物語」に触れておかなければなりません。「お酒もたばこも、ストレス解消になる」という話です。まず科学的な事実をお話ししましょう。そのストレス解消は、気のせいではありません。お酒には、脳の興奮を鎮めるGABAという物質を通じて、不安を和らげる作用があります。たばこのニコチンも、吸った瞬間には脳に短い安らぎをもたらします。問題は、その「楽になった感じ」の正体のほうにあります。
 たばこについて、研究者たちが見つけた答えは、いささか皮肉なものでした。喫煙者が感じる「安らぎ」の多くは、純粋なリラックスではなく、ニコチンが切れて生じた不快感、いらだちや不安を、次の一本で打ち消しているだけだったのです。多くの喫煙者は、この「ニコチン切れの苦しさ」を「日常のストレス」と取り違え、またたばこに手を伸ばします。それを裏づける事実は、たばこをやめた人のほうが、吸い続けた人より不安や抑うつが軽かったのです。つまり「一服でストレスが消える」のではなく、たばこ自身が生み出したストレスを、たばこで埋め合わせていただけで、やめてしまえば、その悪い循環が消えるのです。
 お酒もよく似ています。飲んでいる間こそ気は楽になりますが、アルコールが抜けていく過程で、体は反動に見舞われます。脳内では鎮静役のGABAが減り、興奮役のグルタミン酸が跳ね上がります。ストレスホルモンであるコルチゾールは、酔いの最中ではなく、むしろ翌朝にピークを迎えます。飲んだ翌日、理由もなく不安に襲われる、いわゆる「迎え酒を呼ぶ不安」は、こうして生まれます。そして厄介なことに、この「不快をすばやく消せる」のが迎え酒です。こうしてもっと飲みたいという欲求を強め、依存へと引き込む原動力になるのです。
 ここで、素朴な問いに立ち返ってみましょう。ストレスが和らぐのなら、それは健康に良いことではないのか。答えは、残念ながら「NO」です。瞬間的に楽になることと、体にとって良いことは、別物だからです。精神的な安らぎの時間は短いのに対して、反動の大きさと持続時間ははるかに大きく、しかもその心地よさ自体が依存の入り口になる。長い目で見れば、ストレスを耐える力は、むしろ削られていきます。
 ここで「Jカーブ」の物語と交わります。実は「お酒はストレスを和らげ、それが心臓にも良い」という筋書きは、かつて「Jカーブ」を支えた「もっともらしいしくみ」の一つでした。けれど、これまで見てきたとおり、「Jカーブ」自体が統計の間違いだった以上、酒やたばこによる「やすらぎ」もまた、寿命をのばしてはくれません。それどころか、ストレス緩和は、依存という害への入り口だったのです。心地よい物語が、実は害の入口を飾る看板だった。この皮肉は、たばこの歴史でもっとも鮮やかな形をとって現れます。

終幕 「一服の安らぎ」—たばこがたどった同じ道

 たばこと酒がたどってきた道は、同じように見えます。かつて、たばこのメリットは、堂々と語られていました。「一服の安らぎ」「気分転換」「集中力が増す」。緊張をほぐし、人と人をつなぐ小道具として、たばこは文化の中に深く根を下ろしていました。そして驚くべきことに、その効能を保証していたのは、医師という権威でした。1940年代から50年代の米国では、「多くの医師が吸う銘柄」とうたい、白衣をまとった医師がほほえむたばこ広告が、堂々と世に出回っていたのです。
 風向きが変わるのは1950年、ドールとヒルが、喫煙と肺がんの結びつきを示してからです。しかし、社会はすぐには受け入れませんでした。なにしろ、あれほど心地よくなり、医師さえ勧めてきたものが体に悪いとは、にわかには信じがたい。さらにたばこ業界は、「疑いを作り出す」戦略をとりました。自ら研究に資金を出し、「たばこの害は分かっていない」と語らせることで、何十年も有害性を認めなかったのです。現在は、どちらも「量が増えれば害が増える」用量依存の関係にあり、「ここまでなら安全」という量は存在しないことが分かっています。「ほんの少しなら大丈夫」が通じない点では、お酒もたばこも同じなのです。
 もうお気づきでしょう。たばこと酒の物語との重なりの第一は、出発点が心理的・文化的に心地よい「効能の物語」と、それらしい観察データでした。「一服の安らぎ」と「適量は薬」は、よく似た響きを持っています。第二に、どちらの分野でも、業界の資金が科学を曇らせ、メリットの側を強調する力として働きました。第三に、その心地よい物語こそが、害の認識を遅らせる最大の壁になりました。人は、自分にとって都合のよい話を信じます。そして第四に、いずれの場合も、研究の手法が十分に成熟して初めて、「効能」が実は幻、あるいは見かけ上のものだったと分かったのです。最後に、科学の決着がついてから、社会の制度や指針が追いつくまでには、長い時間がかかりました。
 物語はここで終わりません。害があると分かることと、実際に消費を減らすこととは、別の問題だからです。とりわけお酒のように、お花見や宴会、晩酌といった暮らしの場面に深く溶け込んだものを、どうやって減らせばよいのでしょうか。ここでも、たばこが一つの先例を残しています。「増税」です。
 たばこ税には2つの効果があります。第一に、税を上げると、消費は確かに減ります。第二に、それでも税収の総額は減っていません。なぜ両立するのか。たばこには依存性があり、価格が上がっても一部の人は吸い続けます。値段が5割上がって、消費が半分になっても、全体の税収は目減りしません。喫煙者が減って、国庫も痛まない。この「二つの効果」が、たばこ増税を政治的に実行しやすいものにしてきました。
 では、同じ手法はお酒にも使えるのでしょうか。答えは「YES」です。世界保健機関WHOは、お酒の値段を上げる政策を、飲酒による害を減らすための最も効果的で費用対効果の高い方法に挙げています。ただし、工夫が必要です。スコットランドは2018年、お酒に最低価格を設ける制度を導入しました。すると酒類の販売量は3%減り、飲酒が原因の死亡は13%も減少しました。効果が最も大きかったのは、最も多く飲む人たちと、最も困窮した地域でした。つまり、たまに一杯やる人を狙い撃ちにするのではなく、害がいちばん集中しているところに効いたのです。
 「酒は文化だ」という反論はあるでしょう。確かにその通りです。しかし、「減らせない」理由を考えるのではなく、「どう減らすか」を工夫すべきです。スコットランドの最低価格制度が、安く強い酒の値段を押し上げることで多量の飲酒を減らしたけれど、ほどほどに楽しむ人への影響を抑えたように、手段は文化や実態に合わせて設計できます。
 日本では別の問題があります。酒税は、国にとって無視できない財源です。ところが日本人の飲酒量は1994年をピークに減り続け、若い世代の「酒離れ」はとりわけ顕著です。そこで国税庁は2022年、「サケビバ!」というキャンペーンを打ち出しました。いかにして若い世代に酒を飲んでもらうか、そのアイデアを募集する企画です。さすがにこれには批判が噴出しました。年間4兆円超と試算される飲酒がもたらす医療費などの社会的損失が、酒税の額をはるかに上回るからです。
 目先の税収にも、被害をともなう文化論も流されることなく、長い目で何を守るのかを選ぶのか、私たちの覚悟が問われています。

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