創作大賞2025エッセイ部門│ラオス🇱🇦│0を0.1にしたかった夜
手持ちのラオス通貨、キープが少なくなってきていた。
ナイトマーケットで「1枚100バーツのTシャツを、500バーツ札で買い、お釣りをキープでもらう」という交渉が、屋台のお姉さんとのあいだで成立した。
ビア・ラオ(ラオスのビール)柄のTシャツ姿で、小路を背景に自撮りすれば、すごくいい記念になる――ワクワクしながら500バーツ札を差し出した。
ところがお姉さんは毅然とお札を突き返してきた。よく見るとお札の折れジワの端に、ごくわずかな切れ目が入っていた。
「このお札が使えないなら、いらない。ごめんね」
キープ目当てだったし、バーツも心もとなかった。だから謝って、買うのはやめた。
するとお姉さんは私を――まるで蛆でも見るような目で睨みつけた。
あれから一晩経った。
今日は早朝の托鉢に始まり、メコン川を北上するボートトリップにも参加した。雄大な川の流れ、仏像がぎっしりと並ぶ洞窟――どれも圧巻だった。
景色はどこまでも穏やかで、まるで心も洗われるようだった。
――だけど、ふと気を緩めると、脳裏にあの視線がよみがえる。
今夜もまたナイトマーケットに来た。
ルアンパバーンには観光客向けの洒落たレストランもたくさんある。でも気後れして入る気になれず、私にとって気兼ねなく食事ができるのは、ここしかなかった。
物販屋台の並ぶ通りの奥に、フードコート形式の広場がある。旅人たちが集まり、夜な夜な盛り上がる場所――今夜もここは大賑わいだ。
今夜のメニューはカオピアックにナムワーンエブリシング(ココナッツミルクぜんざい具材全部のせ)、それに買ったものの飲みそびれていたビア・ラオの黒。
カオピアックはラオス全土で親しまれる麺料理で、いわばラオスラーメン。鶏だしのやさしいスープに、ほぐした鶏肉や揚げニンニク、パクチーなどがのる。
できたてを受け取り、ライムや唐辛子で好みに調えるのは、タイと同じ。私は唐辛子をほんの少し。
澄んだスープはコクがあり、香ばしさとうまみがじんわり体に染みた。喉の渇きとともに、足りていなかった塩分を補ってくれる。
夜風の中、熱い麺と冷たいビール、甘いナムワーン。
気持ちよく、楽しい。
ラオスの米麺はもちもちしていて、タイの米麺とは食感がまるで違う。タイの米麺は弾力が少なく、歯切れがいい。思えばラオスに来てからずっとこのもちもち麺だ。調べてみると、タイでは乾燥した米麺を戻して使うのに対し、ラオスでは生の米麺が一般的らしい。
乾麺はラオス国内で大規模には生産されておらず、タイなどからの輸入品は割高になるという。もちもちの秘訣は、米粉にタピオカ粉を混ぜること。パンやうどんの生地のように長時間寝かせる必要はなく、さっとこねて包丁で切るだけ。大がかりな設備もいらないので、小さな屋台でも本当に自家製麺をしているらしい!
私も同じように作れるのではないか?
機械や物流に頼らず、素材と手作業で成り立つ暮らしが、ここでは今も生きている。そんな中には、日本の自宅でも真似できることが、たくさんあるかもしれない。
味噌や梅干しを作るのと同じように、ラオスで知ったものを手作りできたら……ちょっとそれって、面白いんじゃない?
これからそういう目でラオスを観光してみたら、楽しい発見がたくさんありそうだ。
満腹になり、スマホでそんなことを調べながらのんびりしていると、売り子のお母さんがテーブルに来た。スーパーの籠らしきものを提げ、その中には揚げ餃子が山盛りになっている。
「3個1万キープ(約62円)」
お母さんはニコニコしている。
今!?
揚げ物を消化できる腹のコンディションではない気がするが――。
「これはラオス料理?」
タイ語で聞くと、そうだそうだとうなずく。お腹がいっぱいなんだというジェスチャーで5千キープを差し出し、1つだけ買った。袋が用意されているようだが、1つだからか、手渡しされた。そっとひと口かじる。
――美味しい!なにこれ!!
あまりの衝撃に、思わず背筋がビシッと伸びる。中身はあられ切りの椎茸や人参を甘醤油で味付けしたものだった。もっと食べたい。10個くらい食べたい。だが、満腹と胃の不調が憎い。冷凍して持って帰れたらいいのに!
(すっごく美味しいよ!)
指で丸を作って、少し遠くにいるお母さんに伝える。すると彼女は「そうでしょう」というように笑い、親指を立てた。
(グッド!3個いる?)
即座に3本指で聞いてくる。
(いらない、お腹いっぱい!)
腹をぽんぽんたたいて見せ、お断りしつつ、切り返しの速さに大笑いした。商魂の逞しさにも感心する。
ああ、ラオスに来てから初めて心から笑った気がする。憂鬱になる出来事も多かったが、蓄積していたもやもやが一気に吹き飛んだようだった。人と笑い合うだけで、こんなにも気持ちは軽くなるものなんだなと実感する。
――だんだん、腹が立ってきた。
お母さんを、目で追っていた。
席の間を歩き回り、観光客の間合いを見ながら餃子を売ろうとするお母さん。一歩踏み出したり、籠を見せてすすめたりしている。その姿は確かに視界に入っているはずなのに、観光客たちはまるで誰もいないかのように会話を続ける。近づいただけで、手で追い払うような仕草をする人もいる。だけど、無視のほうがよほどひどいのかもしれない。
どちらも、残酷だった。
彼らは何事もなかったかのように、笑いながら飲み食いを続けていた。いや「何事もなかった」とさえ、思っていないようだった。
餃子って、手がかかるんだぞ!それにここでは皮の入手だって一苦労だろう。輸入品を使うなら割高だし、粉をこねて作ったなら余計に大変だ。揚げ油は新鮮で、使いまわしではなかった。誠実に作られたことが伝わる餃子だった。
私も時々は餃子を作る。市販の皮を使っても、焼き餃子でも、気が遠くなるほど手がかかる。洗って、刻んで、塩をふって、水気を絞って、皮をむいて、すりおろして、味を整えて、こねて、包んで、洗い物が山――。
そして並べて、焼いて、蒸らして、パリッとさせて、皿に盛って、食われて、洗い物が山――。
それでも作るのは、必ず家族が美味しい美味しいと食べるからだ。
揚げ餃子なら、余計に大変だ。お母さんはどんな気持ちで作っているのか。邪険にされながら、売れるかどうかわからない。それでもこんなに美味しく作っている。
確かに、餃子は籠に直入れだ。嫌がる人もいるかもしれないと少し思った。でもラオスでそれが普通なら、体に影響はないはずだ。
そもそも餃子を買わないとしても、なんなんだ。 他国にお邪魔して、楽しさや美味しさを受け取っている。その国の人が真っ当にやるささやかな商売に対し、買わないなら買わないなりの振る舞いかたがあるんじゃないのか。
なのに、おまえたち、その態度!
しかも、相手は年長者!よくもそんなにぞんざいに扱えるな!
ふと、ある言葉を思い出す。
「ゼロは何を掛けてもゼロ」
中学時代の美術教師Sの言葉だ。ちょっと変わった教師だった。ぬっと図体がでかく、いつもむっとした表情。生徒の挨拶は全て無視。絵でも彫刻でも最低限の説明だけして、あとは数週間にわたってやらせるだけ。
当時「こんな大人もいるんだ」と思ったが、大人になった今振り返っても「ちょっと変な人」だ。
それでも私はSが嫌いではなかった。「こんな大人もアリなんだ」と思うと、親近感さえ覚えた。社会不適合の芽が、きっと当時の私にはすでにあったのだと、書きながら気づく。
みんなが無言で木の板に彫刻をする中、突然Sが言った。
「どんなに出来がよくて『5』を取れる作品だったとしても、ほかの人の作品を傷つけたり汚したりしたら絶対に『1』にするからな。その場合、本当は『ゼロ』なんだ。ゼロは何を掛けてもゼロ!でも、ゼロという評価は存在しない。だから1にするしかない」
Sにしては珍しく、声を荒げていた。
「昔、何かあったんじゃない?」
そんな声が、ひそひそとあちこちから聞こえた。
Sの「ゼロ」は、「無いも同然」「評価不能」「どんなに良いものでも無価値」だった。
お母さんの餃子は、まさにそのゼロを思い起こした。そこにあるのに、誰にも気づかれない。味を知ってもらえないから、評価のしようもない。こんなに美味しいのに、このままだと、売れる未来が見えない。
見向きもされず、試されることもなく、埋もれていく――。
なんという、むなしくやるせない不条理――。
餃子の味は、申し分ない。この餃子がもっと売れるには、どうすればいいのか。売り方を変えない限り、この状態は続く。私にできる工夫はないか。
インスタにアップする?それならこの場でできる。でも私のフォロワーといえば、数人の友人くらいだ。「へー」で終わる。考えろ。何かあるはずだ。 お母さんが籠で提げている餃子が美味しいと、直接アピールできる方法――。
アレだ!
ベトナムを一人旅した時に出くわしたバイクタクシーの運転手。たしか「ビン」といった。
「一日〇ドンでどこへでも案内してあげる。私は何人も日本人を案内してきた。みんなハッピー。ほら」
ビンはそう言って近づいてきた。小さいノートを突きつけてくる。そこには日本語でぎっしりと、利用者の感想が書いてあった。
「ビンはいい人です。親切にいろいろ連れて行ってくれました」
「もしもホーチミンを回りたいなら、ビンはおすすめです」
「私がビンに払ったお金は安くはなかったけど、悩みをずっと聞いてくれて、心が軽くなりました」
それはビンの宣伝だった。案内を終えた客に書かせているのだろう。ビンは何を書かれているかは理解していないとみえ、暗に書かれた「高いよ」という声も隠さずに、ドヤ顔で見せてくる。きっと満足させたという自信があるのだ。私もその満足を体験したくなった。初の一人旅で安全第一だったし、値段はそれほど高くなかった。
あのやり方、イケる!
ビンに一日観光をお願いした結果は、確かに楽しかった。しかし途中で「ガソリンが……あと〇ドン」「小さい子どもがいて……あと〇ドン」となり、要はぼられもした。
あの時、悔しい思いをしてよかったと思える。私はあの「クチコミ戦法」を覚えていて、今ここで使ってみる!
メモを取り出し、書いた。
「この餃子、美味しかったです。おすすめ! 2024年8月 アキ」
餃子の絵と、にっこりマークも描いた。これをお母さんに渡して、籠に貼ってもらえば、日本人の目にとまるはずだ。中国人も漢字を見て、どうやら美味しいらしいとわかってくれるかもしれない。タイ人も日本語で何か書いてあるのを見て、好意的に受け取ってくれるかもしれない。
今、ゼロだ。それを0.1にはできるのではないか。
お母さんの姿を探して、メモを届けに行く。 離れたところでも、やっぱり相手にされていなかった。でももう大丈夫。このメモがあれば、もうそんなことにはならない。
「あの、これ――。チャンキアン、ティー……(私書いた、~について)」
私のタイ語はそこまでだった。それでも貼るジェスチャーを見せれば、わかってもらえるはずだ。「ギョウザー、アロイアロイ(美味しい美味しい)」とか言いながら。
セロテープ、持ってるよね?
お母さんは最初、笑顔だった。
でも、メモを目にした瞬間、サッと顔がこわばった。そして叫ぶ。
「ノー!キアン!」
ヤバい――やってしまった。
自分の過ちに気づく。熱がすうっと引いていき、マーケットが色を失う。
――字が読めない――。
読めないのだ、文字が。いや、私が書いたのは日本語だから、ラオス人が読めないのは当然だ。でもお母さんは、私が書いたのがラオス語ではないことさえ、わからないのだ――!
そしてきっと、言葉も誤解されて伝わった。
「書け――」
「書きたくない!」
お母さんの反応には、覚えがあった。昔、北京でタクシーの客引きにあった時のことだ。ちょうどタクシーを探していたので、いいタイミングだった。ガイドブックの地図を見せ、指でさした。文字はわかるけど、読み方がわからない。地図を指さすのが確実だと思った。
するとドライバーは顔をこわばらせ、自分の目とガイドブックを交互に指さし、首を振り、去っていった。自分から声をかけてきたのに、どうして? 目が見えない?いや、運転しているのだから、そんなはずはない。もしかして、老眼?そこまで読めないものなの?小さい文字とはいえ、そんな年にも見えないけど。
当時の私は、ただ不思議に思った。「識字率」という言葉は知っていたはずなのに、そんな現実、大都会の北京では思い浮かばなかった。
ああ、あれは「字が読めない」――そう言っていたんだ。気づいたのは、何年も経ってからだった。
そして今、目の前で、お母さんがまさにその「読めない」ことに直面している。
傷つけてはならない。この人を。このままでは、たった今、軽蔑していた観光客と同じではないか。
誤解を解こうと、考えた言葉――
「これは餃子が美味しいってことを書いたんだよ。日本語でね。私は日本人だから……」 あなたはラオス人だから、日本語が読めなくて当然――。
あなたが作った餃子が美味しかった。あなたの力になりたかった。私は、私は――。
でもお母さんはパニックのようになっていて、私が口を開きかけるたび、「ノー!ノー!」と叫び、逃げるように離れていった。
周囲の観光客が、私たちのやりとりに注目していた。私に何か言いたげなアイコンタクトを送ってくる男の子もいた。彼はついさっき、お母さんを追い払っていた。
「なんかやっちゃったね」。そんな風に思う? それとも私が惨めそうに見える?どっちでもいい。どうでもいい。私が動揺していることがわかる。その心があるはずなのに、どうしてお母さんにはあの態度?
私に何か思う前に、お母さんへの態度を改めろ!
私はその場に取り残されたまま、手元のメモを見下ろした。
ゼロを0.1にするはずだった。それなのに、この紙きれはただの「何かよくわからない不気味なもの」になってしまった。にっこりマークをギュッと握りつぶした。
ラオスはもういい。惨敗だ――タイに帰ろう。
戦っていたつもりもないのに、「惨敗」という言葉が浮かぶ。ラオス――景色がよく、ご飯も美味しい。お寺が多くて、歩くだけで心がスッキリする。丁寧な暮らしを、もっと見たかった。だけどなじめなかった。
タイに「帰ろう」と思える。そんな国が一つあるだけで、もういいじゃないか。
キープが余るめどが立ったので、前日もめた屋台でTシャツを買おうと思った。けじめをつけるつもりだったのかもしれない。 屋台に行くと、彼女の姿はなかった。代わりに母親くらいの年齢の女性が店番をしている。2歳くらいの子どもと、座布団に転がした赤ん坊と一緒に。彼女の子なのか、きょうだいなのかはわからなかった。
昨夜は「500バーツ札にほんの少しくらい切れ目が入っていてもいいじゃないか」と思った。タイではきれいな部類のお札だから。無意識に「タイでなら使える」と思っていたのだ。
でも彼女には違ったのだ。あんなに小さい子がいればなおさら、きっとタイに遊びに行く余裕はない。それにラオスの銀行では、あの少しでも傷んだバーツ札は、キープに両替できないのだろう。だからあんなに拒否したのだ。タイで使えるかどうかは彼女には関係がなかった。
それでも、私は彼女にあんなに憎々しい目で見られるほど悪いことをしたのか?今朝、乗ろうとして誤解だったトゥクトゥクのお兄さんも、ただ苦笑いするだけだった。それくらいのことではないのか?そう思うのは傲慢か?
思い返すと、私が持っていたバーツ札にたまたま切れ目が入っていただけであんな思いをすることになった。彼女にもあんな目をさせた。その巡りの悪さがラオスとの相性の悪さを象徴していると思えてくる。
ラオスでは宿を3泊しかとっていなかった。でも居心地が良ければルアンパバーンの滞在を延ばしてもいいし、他の町に行ってみてもいい。いくらでもいようと思っていた。
しかし撤退だ。
次の日のルアンパバーンからビエンチャン行きの飛行機のチケットをスマホでとった。ラオス航空で約5千円だった。一気にタイに飛ぶ飛行機はべらぼうに高いので、ビエンチャンからバスで陸路を超え、タイに戻ることにした。
翌朝、今朝は6時起床。
3分後には外にいたと思う。宿の前でお坊さんを待った。「場所を変えていろんな背景で写真を撮るのもいいかもしれない」と昨日は思っていたが、それを試す気力は残っていなかった。
観光客はまばらで、セッティングされた托鉢の席に、今朝は空席が目立つ。また地元の人から托鉢への参加を勧められるが、今日も見学にすることにした。
ぎりぎりの時間に出たので、すぐにお坊さんの列がやってきた。先頭は白黒模様の犬。まるで先導しているようだ。この光景は毎朝のことらしく、ネットの写真にもよくこの犬が写っていた。
川沿いのレストランで朝食だ。今日もメコン川は雄大に流れる。絶景に別れを告げた。
ルアンパバーン空港12時05分発の飛行機に乗るため、空港までの足を確保しないとならない。乗り合いバンも存在するようだが、それを探したり、予約をするのも億劫だった。
宿へ戻る途中、トゥクトゥクが通りかかる。3歳くらいの男の子を乗せているお父さんドライバーに声をかける。2~3時間後にここを出ても十分間に合うが、散歩に出掛ける気力が湧きそうにもない。
「出発は9時くらいでもいいですか?」
ドライバーはいいと言う。料金を聞くと、たしか800円分くらいのキープだった。空港へは15分足らずで着くから少し高い。でも小さい子連れの手持ちのドライバーに交渉するのは気が引けたし、確実に手段を押さえておきたかった。要は疲れていた。
手持ちのキープを確認すると少し足りず、切りのいいキープと、バーツを組み合わせて払うことに。お札を何枚か見せると、ドライバーは20バーツと50バーツを指さした。どちらも見るからにぼろいお札だった。他の観光客へのお釣りには使えるのかもしれない。まるでババ抜きのババ!
料金はあと払いするので、一度財布にしまった。持ち逃げされたら終わるから、これは鉄則だ。何かの事情で来れなくなる可能性もある。宿の場所を伝えるため、この近距離をトゥクトゥクに乗ることになった。エコじゃない。
1時間ほど時間があるのに、ドライバーはこの場を離れずに待つようだった。シャワーを浴び大急ぎで準備をし、8時45分、チェックアウトする。
「サンキュー、バイ」
「バイ」
オーナーらしきスマートなお兄さんは、今日もスマートだった。
ルアンパバーン国際空港へ、9時ちょうどに到着した。小さな空港で、職員以外には誰の姿もない。国際空港とはいえ発着便は少なく、この時間帯に出発する便はないのだろう。乗るのは国内線なのに3時間も前に着いてしまったせいで、空港内は静まり返っていた。それにしてもレストランすらない。
唯一開いている土産物店で、ラオス産のコーヒー豆を180バーツで買う。量の割に少し高いが、家でコーヒーミルを買ったばかりなので、いいお土産になった。夫の誕生日が近い。プレゼントということにしよう。
観光客はチェックインカウンターがオープンする頃に合わせて、ぱらぱらと集まり始めた。私はそれよりずっと前から待っていたのだ。一番に手続きしないと損な気がして、真っ先にカウンターに向かった。 出発ロビーには売店やカフェがあり、冷かしながら出発までゆっくり待つことができた。 やがて人がどんどん増え、立って待つ人もでてきた。
搭乗開始のアナウンスが流れ、ターミナルの外へ出る。視線の先には小さな飛行機が待っている。歩いて向かう。遠くには山並みが広がる。
やっぱりこの町は美しい――そう思った。さようなら、ルアンパバーン。
飛行機は満席だった。昨日の夕方にチケットを取ったときには、すでに売り切れ間近だったのかもしれない。 シートは2席×2列。またしても通路側だった。どうも今回の旅は通路側ばかりだ。
すでに窓際には女性が座っている。 彼女は日本人だった。ちらりと見えたパスポートが日本のものだったのだ。ビエンチャンでは日本人の青年に外国人のふりをしたのがバレて、気まずい思いをした。ここでは、先に明かしておいたほうがよさそうだ。
「あっ、日本人」
「あっ、日本人」
よくわからない言葉を交わし、それで会話は終わった。日本人同士、理想の距離感だ。
彼女はずっとタブレットで漫画を読んでいた。どうして景色に興味がなさそうな彼女が窓際で、こんなにも外を見たい私が通路側なんだろう。彼女は無駄に日焼けもしちゃうのに。
45分の短いフライト。キャビンアテンダントがペットボトルの水を配り始めた。
ビエンチャンに着陸した。またターミナルまで徒歩移動。周囲には山並みがなく、首都らしく建物がぽつぽつ見える。歩きながら、さっと写真を撮る。ぐずぐずしていると怒られそうだ。
空港には売店や両替所もあり、ラオスの玄関口らしい活気を感じた。
巡回バスに乗るのはもう慣れたものだ。黄緑の「ガチャピンバス」に懐かしささえ感じる。車掌さんは数日前と同じ人で、ちょっと嬉しかった。
タイへはバスで戻ることにした。電車という選択肢もあったが、駅へ移動するよりTBSから出るバスのほうが楽だ。それに今回の国境越えをバスと鉄道の両方で体験してみたかった。
ラオスに入る前に感じた、あの「新しい国へ踏み出すワクワク」はもう湧いてこない。ベトナムやカンボジアへ行く選択肢もあったのに、自然とバンコク方面を選んでいた。終わりが近づいているのを、どこかで感じていた。
バンコク行きのバスは、ノンカーイ、ウドンターニー、コンケーンを経由する。どれも未訪問だが、今回はウドンターニーに決めた。体力的にもういろいろ行けないけど、バンコク圏に近いコンケーンは避けた。
TBSに到着すると、またトゥクトゥクドライバーに囲まれる。
「ウドンターニー行きのバスに乗る」 と言うと、また切符売り場を教えてくれた。やっぱりみんな優しい。
TBSの裏手に長距離バスの切符売り場と、近郊を回るソンテオの発着所があった。
ソンテオ乗り場、ここだったのか!これに乗れば、ビエンチャン郊外へも自由自在。いくつかの気になっていた観光スポットに行ける。ビエンチャンにもう少しいてみようか――。
一瞬、そんな考えがチラついて、驚いた。
お前、ラオスは撤退するのではなかったか。
その元気が残っていたのか――。
でもその元気はウドンターニー――タイの初めての町にとっておくことにして、国際バスのチケット売り場へ入った。 5分後の14時発は見送り、15時発のチケットを買う。急いでタラートサオのフードコートへ。
ラオスでの最後の食事だ。慎重に選びたい。しかし最後で失敗するわけにはいかない。結局麺だ。何店舗かある麺類の店の中でも、お姉さんが親切だったのを決め手に選ぶ。 聞いてみるとカオピアックではないらしい。でもこれもラオスラーメンということにしよう。モツを指さし、入れてもらう。
モツの写真を撮っていた。なるべく人が入らないようにしていたが、お姉さんと、隣の店のお姉さんまでピースをしてきた。
「えっ、いいの!?」
焦ってブレてしまい、せっかくの写真はまったくわからないものになった。でも、それよりも――お姉さんたちの屈託のない笑顔が心に沁みた。
ラオスから拒絶されたような気がしていた。
でも、あれがすべてじゃない。
こうして受け入れてくれる人たちもいる。
そう思ったら、少し涙が出た。
ラオスラーメンはモツが新鮮で美味しかった。ナムワーンエブリシングもまた美味しかった。
ラオスでは、いろんな思いをした。 ルアンパバーンからは逃げるような気持ちで飛行機に乗った。それでもビエンチャンでホッとして、最後にもう少しいてもいいと思えた。日本に帰れば「ラオス?よかったよ」と、ドヤ顔で誰かにすすめることだろう。
きっとそのうちルアンパバーンの大自然もまた見たくなるし、行けば「帰ってきた」なんて思うだろう。その時はお母さんの餃子を3個ずつ何回も買って、サクラになろう。
ラオスに、悔いなし。
バスを1本見送ってチケットを購入したからか、席はA1。一番前で、窓際の席だった。
少しずつ乗客が増え、隣にタイ人女性が座った。気づけば全員が前3列くらいにちんまりと収まっている。時刻表によると、この便の運転手はラオス人らしい。タイ人の運転手がサブで同乗しており、彼は復路を担当するようだ。
タイ人運転手が「おいおいおい!後ろの席がガラガラなんだから、こんなに前に集まらなくていいのに!」と大声で笑うと、車内がドッと湧き、みんな後ろの席にバラけた。私の隣も空席になり、ゆったり座れるようになった。
バスは定刻通り、15時に出発した。
