雨のあと
大樹
静止画のような雨の朝
深碧に滲む世界
その中心に
一本の大樹がある
冷たい雨粒を受けとめて
微かに震える
一枚の葉は
一つの国かもしれない
一軒の家かもしれない
向こうの枝で揺れているのは
あなたかもしれない
かつては
一本の双葉だった
けれど
いまは遠く
虫が来る
来ない
鳥が囁く
囁かない
光が届く
届かない
パタ
パタ
パタ
ヘリコプターの音が
のどかに響く昼の空
太く張られた根から
今朝の雨を吸いあげて
違う形をした葉脈が
それぞれの色に透けてゆく
病葉の
穴の向こうで
陽が沈み
樹洞のなかへ
風を束ねる
ささめく寝息がいつか
ひとつに重なるとき
降りくる夜よりも
深い影に
地上は包まれて
無数の星だけが
青く目醒めている

雨の日には
いつからか
雨が降り続いている
雨音は
私のからだの中へ積もって
冷えた爪先を見つめれば
青色のペディキュアの奥は
静かなさざ波
揺らめく光を追いかけて
気づけば
トンネルの前に
立っていた
ゆっくりと
暗闇へ進んでゆく
耳に吸いつく
静寂
優しい輪郭が
ほのかに光りながら
浮かびつつ
沈みつつ
たましいを
水の中へ入れたら
こんなふうだろうか
呼んでいるように縮み
呼ばれて伸びる
糸のような 触手に
わたしは引き寄せられていく
いつか
水になってしまいそうな
そんな心許なさから
目が離せない
いまもきっと
屋根には
雨が打ち続けているけれど
安らかに泳ぐ魚たちの
何も知らない
糸は
わたしのところまで
繋がってはいない
アクリルガラスの
向こうの
水の途中で
途切れた糸を
手繰り寄せるすべもないから
わたしの視線は
ふたたび
雨に濡れることを
選ぶのだろう

夕立
あらゆるひとびとの
あらゆる首を濡らしてゆく
変声期の
喉仏の張り出た首も
崩れそうな肉体を
支える足首も
嬰児に与える
ミルク臭い乳首さえも
夕立が
容赦なく濡らしてゆく
無防備に
息づいている私たちを
咎め
呼吸も
うまくできない私たちを
憐れむように
こんなにも平等に
濡れているのに
乾いていく早さが違うから
こんなにも
独り
いっせいに俯いて
守るべきものを守り
帰るべき場所を目指し
遠ざかるひとびと
一瞬の迷いに揺らぐ
わたしの視線は
雨に打ちつけられ
もう動けない
足元にできる水溜りを
ただ見つめる
歪む水面へ
雨音は吸い込まれ
底の青さから浮かんでくる
お囃子の振動
広い水槽のなかを
とめどなく巡っていた
小さな運命
光をすり抜けて
掬われなかった金魚は
どこへ
何も違いはなかった
ただ薄っぺらい和紙が
濡れすぎただけ
打ちつける雨粒から
逃げるように泳ぐ
金魚が見えた
気がしたけれど
あれは真っ赤な兵児帯
雲間からさす
光のほうへ
遠ざかっていく
いつのまにか夕立は止み
あたりは祭りあとのような
静けさ
薄日に輝く
濡れた屋根の下で
あの子が待っていることを
ようやく思い出す

雨音
宵闇の匂いが
濃さを増し
鼻先に滲む
改札を出ると
一歩、二歩、
諦めの歩調で
雨をくぐる
手のひらを差し出せば
かすかな響き
見上げれば
壊れる前の
奏でる前の
無音の震え
鯉のゆらめく
緑青の池へ
触れて
流れて
落ちて
音が
うまれる
光って
砕けて
咲いて
わたしを濡らす
言えないまま
背を向けて
夜に沈んだ
わたしの声もまた
切り株や
小窓の声と
混じり合い
幾層にも
重なり合った雨音は
途切れずに
遠のいていく

