「生きつづける」こと――Wさんへ贈った "思い出の音"
30歳
それまでの 努力至上主義で
得てきたものを
全て 失い
「ここにいる」
ことを やめようとしていた
日々 が ありました
きょう かな?
あした かな?
どんな やり方で?
そんな ことを
考えている
日々 が ありました
終わりへの誘惑から――呼ばれた場所へ
ある初夏の 朝
いままで 見たことも無いような
はげしい 雨
ニュース
わたしの 高校の母校がある
三条市
が 水害で大変なことになっている…
『自分には 生きている価値は ない』
と 思っていましたが
まる いちにち かけて 悩み
『とりあえず やろう』
と
毎日 ボランティアに 向かう日々が
始まります

感情が 麻痺
していた時期でした
つらかった たいへんだった
という 記憶は ありません
ただ 晴れた日
生き物が 死んだ 強烈な においで
呼吸が苦しかったこと
そして
息が詰まるようなこと
があったことは
覚えています
いろいろな ひとも みてきました
災害になったとき
「日本人のすばらしさが 現れる」
という 報道を よく見ます
嘘ではありません
でも
一面
でしか ありません
キャンプで有名な
ヒロシ さんが
災害用のリュックの中に
「熊よけスプレー」
を 入れているそうですね
もちろん
熊 対策ではありませんよ
人間に
使うんです
…
9名の方が
亡くなられました
あらためて
ご冥福をお祈り申し上げます

生きることを やめたい
という おもい
物理学修士であるという
自負
人間相手の仕事はしたくない などの
こだわり
が
三条市で
汗と一緒に
流れてしまったようです
もう一度生きる――未知のケアの現場へ
その 三条市でのボランティアにて
ご縁をいただき
「訪問入浴オペレーター」
という 非常勤の仕事に 就きます
資格は 不問
年齢も 不問
当時のわたしには
その仕事に就けるだけ
ありがたかった…
そんな 時代でした
ご自宅で 主に寝たきりの利用者さんが
対象です
看護師さん 介護士さん と
3人で
専用の車に乗って 移動します

うわぁ 久しぶりに写真見ましたが
懐かしいですね
…
Wさん
は
筋萎縮性側索硬化症(ALS) という ご病気を
抱えておられました
わたしたち みな 少し 緊張します
ミス が 大きな事故に
つながるからです
お部屋に お邪魔します
ご本人も 奥さんも
とても 穏やかな ご性格なんです
人工呼吸器 の
音
が 聞こえます
それを 聴くと
緊張するのです
ALS は 運動することが
侵される ご病気です
感じること
考えること
は
正常です
最後まで
正常です
「ご自分の肉体の中に
閉じ込められる」
そういう ご病気です
こんな 残酷な ご病気が あるのか?
と 当時
強いショックを 受けました
Wさんは
ご自分で 呼吸ができないので
人工呼吸器を 使用されています
ベッドから
浴槽までの 移動は
わたしと 介護士さんふたりで
Wさんのお身体は まっすぐのままで
抱えて 移動します
そのとき
お部屋の環境の ため
人工呼吸器を
一旦 外さないと いけません
浴槽に 着地したら
間髪入れず 呼吸器を 装着します
わたしたちに 求められれているのは
安全 であり
かつ
速やか であること
重い方ですし
部屋も広くない
難しいのです
毎回 緊張しました
訪問入浴オペレーターという仕事は
看護師さんが 指示される お湯の温度で
浴槽に お湯がたまることが 求められます
季節 気温
ホースのお部屋までの 長さ
いろいろなことを 考慮して
設定します
Wさんは
お湯の温度への こだわりが あります
「Wさんルール」 のようなものです
それも 緊張しました
お風呂 もともと 大好きだったそうです
ですので
失敗して がっかりは させたくなかった
いまでも ありありと 思い出せるくらい
集中して
とりくんで いました
Wさんは 右目が まだ 動きました
文字盤で
奥様と コミュニケーションを とられます

目線は筆者が入れました
本もお好きな方で
本を朗読して録音する
ボランティア団体からのものを
聞いて
すごされていました
また
音楽も 大好きで
訪問入浴のときは
大音量で
その時の 気分で
お好きな 音楽を かけておられました
全ての作業が 終ると
奥様が コーヒーを 淹れてくださります
本来は いただいては NG なのですが
いつも おひとりで
旦那さんを 介護されている
奥様さまの
「息抜き の 時間」
として
ケアマネジャーから要請あり
そして事業所の所長より
「いただいてくるように」
と 指示がありましたので
いただいておりました
わたしも
ほっと 一息
ついていました
当時のわたしは
自己否定の感情が強く
また
人間の心理を 未知なものとして
恐れてもいました
難病である Wさんに
どう接していいのか
わからなかったのです
ただ
看護師さんと 奥さんが 笑いながら
会話しているのを
聴きながら
ちょっと濃いめの
美味しいコーヒーを
いただく 時間は
好きでした
『Wさん 今日のお風呂 どうだったかな?』
『人工呼吸器 外したとき
苦しくなかったかな?』
『もっと 早く
移動するには どうすればいいんだろう…?』
そんなことを 考えていました
Wさんは 入浴後 寝られます
人工呼吸器の 音が
一定の リズムを きざみます
「これが ピーピー いわないのが
とっても 安心
まさか この音で
安心するなんてね」
いつだったか
奥様が そのようなことを
おっしゃられていました
当時の わたしには
意味が よく わかっていなかった…
けど
覚えていました
心が閉じ込められた身体――呼吸の境界
コーヒーもいただき
最後に
あいさつを するのですが
わたしは
Wさんの あの 強い目を
きちんと 見れませんでした
Wさん に対し
『わたしなんかが
目を合わせる 資格は ない』
と 思っていたのです
そのときは Wさん も 目を覚まし
目で あいさつを 返してくださいます
わたしは そのときだけ
ちらっ
と 目を合わせ
すぐに 外し
「ありがとうございました」
と 言いました…
そんな でしたね
当時の わたしは…
…
その後 理学療法士となり
さまざまな 場面で
ALSの患者さんに 関わらせて
いただきました
そのたびに
Wさんを 思い出していました
人工呼吸器を
つけておられる方
まだ 付けていない方
が
おられました
「まだ つけていない」
と おもわず
綴りましたが
その後の その方の
選択 については
わかりません
リハビリ場面で
話題にするには
あまりにも 重い
でも 絶対に
考えては おられる
問題です
お一人で 決められることでも
ありません
こう言われた男性患者さんが おられました
「俺 絶対に 付けない」
…その場合
自然な経過で
呼吸不全により 数日から数週間をかけて
薬で苦しくないようにして
最後を 迎えていかれます
その男性は 離婚歴があり 独身
「親も 高齢だしさ…」
そのとき わたしは
お返事
できなかったと 思います
…
わたしも 離婚しひとり
親も高齢です
自分が 彼だったら
「人工呼吸器は 付けません」
と いいそうです
でも
ひとりだから
生きては いけない
のでしょうか…
~~~
ひとによっては
「病気に屈しない」
「生き延びて 治療方法が
発見されるのを 待つ」
という
凄まじい生への執着を 持たれる方も
いるかもしれませんね
わたしには ありませんが
そういう 執着を 持たれている方って
いずれ おとずれる
眼球運動を含めた 全ての筋肉が 動かなくなる
「完全閉じ込め状態 TLS(Totally Locked-in State)」
となる ご自分を
ちゃんと 想像 されているのでしょうか
わたし 個人は
とても この状態に入る
自分を
想像できません
恐怖
でしか ありません
ですから
たぶん
いまの わたしであれば
人工呼吸器を 装着しないと 思います
その 意識も感覚も しっかりしているのに
自分の肉体の中に 閉じ込められる
その感覚は
恐怖
でしか ありません
人工呼吸器が こわい のです
そこまでして
ここに とどまりたいとは
おもっていないのですから
20年 前から…
…
でも
この 気持ちだって
本心かどうかは
わかりません…
…
そういえば わたしは
物理をかじった 端くれでしたね
ホーキング博士 いましたね
かれは ALSでした
「ほかの障害者の人たちに助言するとしたら、障害に妨げられずにあなたがうまくできることに集中し、何ができないかを無念に思わないこと。身体的だけでなく、精神的にも障害者になってはいけない」――2011年5月、ニューヨーク・タイムズとのインタビューで
「患者には、もし望めば自分の命を終わらせる権利があるべきです。しかし、私は(安楽死は)大きな過ちだと考えています。どんなに人生がひどいように思えても、いつだってできることはあり、うまくやることもできる。命があれば希望はあります」――2006年6月、中国・人民日報のオンライン版とのインタビューで
彼らしい ことば ですね
わたしの こころ とは
大きな 距離を 感じます…
ALSでは ありませんが
脳幹の中の 橋という部分が
出血などで障害されると
「閉じ込め症候群(Locked-in Syndrome)」
症状という状態になる方がいます
「潜水服は蝶の夢を見る」
ジャン=ドミニク・ホービー氏は
脳出血により 閉じ込め症候群となりますが
左目のまばたきが 残り
まばたきのみで この本を 書かれます
映画化もされていますが
いろいろ事実とは異なるみたいですね
ただ
わたしは
この本にも 映画にも
触れられずに います
興味本位では とても 触れられず
真剣に触れるには
あまりにも つらいのです…
わたしは
こころが
よわい
人間です
…
Wさん の 奥様
人工呼吸器の 音が
警告音なく 一定の音を 刻んでいる音が
「安心する」
と おっしゃって おられました
最初に それを 装着し
その 音が 家の中に 聞こえたときは
どんな 思いだったのでしょう…
わかりません
ですが
「安心する音」
だと おっしゃられました
Wさん が
「生きている音」
に
なったとき が
あった のでしょうか
わかりません
軽々しく
考えては いけないと
こころが 教えてくれます
静かに贈る――音の想い出
Wさん の 入浴が終わり
コーヒーをいただいているとき
看護師さんと 奥様が
こんな お話を されていました
「〇〇さんという 演奏家さんがいてね
その人の 音楽会に
主人と 行ったことがあったんです
主人 とっても 感動しちゃって
それから どのくらい経ったのかしら
あとで その方が CDを発売されたってお聞きして
ずいぶん レコード屋さんを 探したんですけど
どうしても 見つからなくてねぇ~
レコード屋さんも どんどん なくなってきて…」
…
なんとなく このことを 覚えていて
帰宅し
検索をしてみました
そのCD
見つかったのです
そのページを 印刷し
まず 所長に相談
そして 奥様へ 相談
大変 喜ばれまして
Wさんの ご自宅へ 着払いで届くように
手配しました
しばらくの あいだ
Wさんの ご自宅へ訪問する機会が
無かったのですが
他の スタッフから
「アルさん! あのCD また流れていたよ!」
と 教えていただきました
「いやぁ…」
と 当時のわたしは
ただ 照れて
笑っていただけでした
そして
Wさんの お宅へ 行く機会が やってきました
CDの 音が
聞こえます
すごい
大音量
人工呼吸器の音なんか
聞こえませんでした
そのとき
はじめて
Wさんと
目が
合いました
にっこり
されたと
かんじ
ました
そのとき
とても
静かでした
…

