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【歴史】幻の山岳城・観音寺城②

さて、前回に引き続き観音寺城について紹介をしたいと思う。

↓前回はコチラ
【歴史】幻の山岳城・観音寺城①|赤田の備忘録


城周囲の設備

古くから歳月をかけて出来上がっていったと考えられる観音寺城であるが、その防御施設や内部はどのようになっていたのだろうか。その一部をここで紹介したい。

・多すぎる支城の数
さて、城そのものに言及する前に、まずは城を築く際の基本について軽く説明をする。城というのは基本的に一城だけで完結するものではなく、その土地を統括する人物が拠点とする大城を中心にその周囲を家臣が守る構造になっている。そして、この周囲の城を支城と呼び、外から攻める際にはまず周囲から攻略していくのが基本となっている。

さて、これを踏まえた上で佐々木氏について考えると、佐々木氏は400年以上に渡り近江国全土を丸々治め続けた名族であり、その最盛期には500を超える支城(城館)が存在していたという。これは誇張のように思われるが、田中はこれについて以下のように述べている。

現に大津市の本多史料館には近江五百余城の名を記した冊子が保存されてある。また近江史新開略記、淡海温故録、淡海地志、浅井軍記、浅井日記、江侍聞伝録、明智軍記、石田軍記、佐々木軍記、江源武鑑、淡海六、近江与地志略、近江名跡案内記、その他王位に関する誌書の記録を統合すればこれが実証される。

(同書、90頁。)

また、観音寺城付近の支城をいくつか挙げると、

・箕作城・和田山城・目賀田城(現:安土城跡)・伊庭城・須田館・種村城・今村城・垣見城・簗瀬城・佐生日吉城

など半径約3キロメートル以内にこれだけの城跡が残っていることが分かる。

このように、城そのものも巨大な要塞であることに変わりはないが、その権力と代々の歴史故に周囲の防御も合わせて強固な城郭に佐々木氏は居を構えていたのである。

・谷筋と主な曲輪

続いて、実際に城について焦点を当てるが、観音寺城のある繖山(きぬがさやま)の山頂は、標高430メートル以上あり、その山上395メートル付近に本丸は位置している。このような山岳を利用した天然の防壁に加え、三方に分かれた長頂線には曲輪が無数に構築されている。
また山麓に下ると、一定の防備を施した夥しい数にのぼる武家屋敷が間断なく配置されており、山下には石寺の城下町が広がっていたという。

また、観音寺城の城域は16に区分されており、以下に主な家臣屋敷と併せて記す。
(かっこ内が曲輪主の名前)

①    大手筋
(木村氏、進藤氏、池田氏、永田氏、落合氏、平井氏など)

本谷筋
(久保氏、三上氏、山中氏、後藤氏、進藤氏など)

赤坂筋
(青地氏、宇野氏、梅原氏、山崎氏、後藤喜三郎、目賀田氏、永原氏、種村氏など)

お茶子谷筋
(鯰江相模守、松岡石見守、赤田信濃守、お茶子(佐々木氏の妾)、市田采女正など)

観音谷筋
(建部日向守、山岡美作守、青地駿河守など)

栢尾源三谷筋
(目賀田氏)

清水鼻筋

辰の口筋

川並口筋

山上筋
(伊庭出羽守、馬場伊予守、三井越後守、三井修理亮、三上越中守、国領信濃守、種村三河守、楢崎越前守、永原大炊頭、馬淵摂津守、沢田民部少輔、蒲生飛騨守、倉田典膳、和田維政、高宮三河守、三雲対馬守、小梅某、小藤某、松吉石見守、伊藤民部亟、小倉三河守など)

白ころばし筋

薬師口筋
(長束大蔵太夫、小倉藤介など)

宮津口筋
(高谷備中守、梅原壱岐守、山中丹後守、池田伊予守など)

三昧谷筋

嵐ヶ谷筋
(狛丹後守)

女郎ヶ谷筋

などである。(同書、19-28頁。)

ここに記載した曲輪主名は、観音寺城古絵図、観音正寺文書及び古図、石寺村史、新開略記、近江輿地志略、淡海温故録、地元の伝承名、その他多くの古記録によって考証したもので、戦国時代末期の武将のうち、佐々木氏一族ならびに家臣の旗頭(高級武家)二百余家と伝えられるうちの、およそ数分の一に過ぎないという。
(同書、28頁。)

↓次回はコチラ。
【歴史】幻の山岳城・観音寺城③|赤田の備忘録

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