人生の転換 甲田光雄先生に捧ぐ
甲田光雄先生の本を読んでいて、学んだこと。
何事もむさぼるのはいけない。貪瞋痴は病気のもとという教え。この、貪瞋痴についての一文を読んだことが、人生で大きな転換期になったような気がする。
お酒をたくさん飲みたい、おいしいものをたくさん食べたいというむさぼりの心があった当時の私。30代の凡夫としては当然かもしれないけど、やめないといけないという目標を持つことはできた。10年を経て、達成しつつあるのもうれしいこと。
いかりについて、これが感慨深かった。そもそも私は本来、おっとりしていたはずの人間。遺伝的にもそう。しゃべるのもゆっくりで動作もおっとりだった。それが、性質的に正反対の母親に昭和の教育を受け、どんくさい私に怒り狂う母親に毎日おびえているうちに覚醒しちゃったタイプ。ハンムラビ法典。目には目を、歯には歯をで反逆をはじめた。
私が私らしくマイペースでいることが許されなかった。私らしくいるために怒りに怒りで返すことが、自分を守ることだった。悲しい。10代のキラキラな時間をあんなことに使っていたなんて。理不尽なことに正論で返し、怒られたら怒りを返す。これが私が家庭教育で身につけざるを得なかったもの。でもまあ仕方がない。母親自身がそういう風に育てられた人だし、私よりもっとひどい生育環境で育っている。精神的虐待はあったけど、肉体的、物理的虐待はしつけの範囲でしかなかったから、あきらめはつく。お互い、悲しい時に受け止めて抱きしめてくれる母親なんてみたことがない。幸せを分かち合うのが下手。ママ大好き!!なんて思ったことも言ったこともない。でもこの連鎖は私で断つつもりでがんばる。母親が〇ぬ前には私が母親になって甘やかしてあげるんだ。
自己表現=怒りの表出。この間違った公式をなくしていくことから始めた。怒りを人に見せないという、基本的なことからスタート。ちょうどそのころスピッツにも出会ったので、4人様の言動は教科書のようだった。穏やかで互いを尊重。そうか、こういうことかと。
怒りを手放すことは大変。日常でふとした瞬間にもあるから、一番の修行になる。まだまだ続くだろう、この練習は。
痴についてはこの3つの中では少ない要素だと思っている。身辺きれいなもの。
今日も息子①に借用書を書かせながらお説教。怒りを表出してしまう。修行が足りない。息子①も私も無宗教だけれどもお寺や神社が好きで、親子そろって高野山で結縁灌頂まで受けさせていただいているのに、恥ずかしいこと。5月連休に行われるから参加できていない、胎蔵界の結縁灌頂もうけるべきか。
子育てにも試験が欲しい。親が自分の見据えるいいきっかけになるだろう。
