ショートショート 「満月の記録」 #3つのお題に空想のひらめきを
目を疑った。
確かに僕の目の前には”日本狼”がいた。
そして僕の右手には運命を書き換えるペン。
狼の守り人が残した満月の記録をペン先でなぞらえたのだった。
…。
ペン先が空間を滑るたび、墨の線が震え、脈打ち始めた。
最初はただの黒い輪郭が呻き出す。線の内側に銀灰色の毛並みが滲み出す。月光の柔らかな光が毛並みに命を吹き込んでいく。
鼻先が突き破るように盛り上がり、湿った黒い鼻が現れた。耳がピクリと動き、瞳が開く。琥珀色の瞳がこちらを見据えた瞬間、空気が変わった。幻の存在が、確かにこの世界に「いる」と告げていた。
魔法の線が割れ、爪が、肉球が、静かに地を踏む。床の上に描かれた影が立ち上がり、三次元の質量を持ってこちらに歩み寄る。毛並みが風にそよぎ、鼻先が空気を嗅ぎ、喉の奥で低く唸る音が響いた。
ガルルルルゥゥ…。
そこにいたのは、かつて絶滅したはずの”日本狼”いや、祈りと満月の記憶から再構成された、もう一つの現実だった。
狼は一歩、また一歩と近づいてくる。足音はまるで風のように静かで、それでいて確かな重みを持っていた。
僕はペンを握りしめたまま、動けなかった。琥珀の瞳が、まっすぐに僕を見つめている。そこには怒りも憎しみもない。ただ、何かを確かめるような、深い静けさがあった。
そのとき、空気が変わった。
世界は静止する。
そして…
視界がふっと暗くなった。音も、色も、重力さえも、すべてが遠のいていく。最後に残ったのは、狼の瞳に映る僕自身の姿だった。
それは恐怖ではなかった。ただ、何か大きな流れの中に吸い込まれていくような、抗えぬ運命の一筆。
ペン先は、もう動かない。
完
(本文673字)
あとがき
片桐みかんさんの企画『【第32回】3つのお題に空想のひらめきを』に参加させて頂きました。お題は…
お題①:「狼の守り人」
お題②:「満月の記憶」
お題③:「運命を書き換えるペン」でした。
結末はご想像にお任せします。
#3つのお題に空想のひらめきを 【第32回】
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