豊川稲荷東京別院開運法❣️修証義❣️「帰依」❣️「南無」❣️「御宝号」❣️
(最近、豊川稲荷に関する古い良い書籍達を復活させ開運法の書籍を書くと言う夢を持ち始めました❣️毎日、赤坂トライアングルの氷川神社、日枝神社、豊川稲荷東京別院と、明治神宮、待乳山聖天、金龍山浅草寺にお詣りしながら、修証義、甘露門、大祓詞、観音経全文、金光明最勝王経、日月神示、おみくじで見えない世界の整理整頓に挑戦しながら、私の勝手な独断と偏見の試行錯誤を繰り返し、勝手な自己満足ながら、効果を実感した実践や気付き、グローバルな用語で言うベストプラクティスを生意気ながら、共有させて頂きます。万が一気になれば試したり参考にして頂ければ幸いです。)
修証義とその現代語訳を毎日唱えていると、時々、何かが凄い数のロジックの連続で分かった氣になる事があります。
頭の記憶容量が少ないのか、すぐ忘れるで困っていましが、
神仏やご神霊のお名前をである「御宝号」を唱える事がトンデモ無く凄い事である事、
「ご真言」が無くて、分からなくて、
「御宝号」だけになっても凄い事が分かった事が
あります。
その理由は、「南無」にあります。
帰依するを意味すると南無なのですが、
私は軽々しく敬語のように、
使っていたのですが、
修証義第三章受戒入位によると、
仏法僧に帰依する事が説かれています。
仏法僧が凄いと言う視点に加えて、
帰依する、すなわち「南無」と言う事自体も、凄いと、
私の浅はかな理解かもしれませんが、
実感してしまったのです。
下記が、修証義第三章受戒入位の訳からの抜粋なのですが、その中の、太字の部分が私には、凄いと感じられたのです。
「世には、有頂天になっているものもあれば、ウカウカしている人間もあれば、苦しみにあえぐものもあれば、苦しみにあえぐものもあれば、 たえず飢えガツガツしている餓鬼や、無知で愚かな心をもつものもいるようであるが、ひとたび仏法を学び、我が仏に入り、全く一体となれば、どんな人でも、そのさまを帰依というのである。すでに、この処に至って安心決定すれば、生きかわり、死にかわりして、いずこにあろうとも、そのすぐれたはたらきが増し、そのはたらきを積み重ねざるをえなくなり、そこに、この上ない、すばらしい悟りの道を得るのである。三宝帰依のはたらきは、もっとも尊く、この上なく実に深いことは、仏陀釈尊がすでに証明してくれているのだから、この世のすべての人は、この証明を心から信じうけがうべきである。」
この帰依する=南無を使っているのが「御宝号」です。
豊川稲荷東京別院の読誦会では、
毎回、最初に、
「豊川御宝号」と言ってから、
三回
「南無豊川吒枳尼真天」
を繰り返します。
豊川稲荷での御宝号自体だけで、
我々の願いなど全て叶ってしまうぐらい凄い力を授かるようなのです。
この事が分かってから、
豊川稲荷東京別院の奥の院、本殿、大岡様御廟で、豊川吒枳尼真天様に相対する時は、
豊川御宝号から始め、
「南無」を意識するようになりました。
すると、気のせいかもしれませんが、
豊川吒枳尼真天様がこちらを真剣に、
見ていて下さるような気がするように
なりました。
「南無」皆さまもしみじみ感じてみては如何でしょうか?
